[過去ログ] 【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬参拾 (1002レス)
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630: 06/21(金)19:42 AAS
>>628
>九州説に論破されて

トンデモがトンデモを論破できる訳がない。   @阿波
631: 06/21(金)21:01 AAS
倭国大乱って
第5代から8代まで吉備と戦ってたのか

神武の時は奴国にいて

ツヌガアラシトは
崇神天皇と大王卑弥呼の時代に
長門、出雲に寄って敦賀に来てる
都の邪馬台国は敦賀

倭国大乱の時は長門~敦賀のどこに居たんだろう?

新潟でしか取れない翡翠硬玉が
青森で出土してるから
省4
632: 06/22(土)12:09 AAS
『古事記』『日本書紀』の神話において、九州が物語の舞台として重要な役割を果たしていることは明らかだ。天孫降臨神話における日向国、神武東征神話における熊襲征伐など、九州各地を舞台としたエピソードが数多く語られている。しかし、なぜ神話編纂者たちは、九州に如此にも深い関心を抱き、物語に織り込んだのだろうか?

神話の内容を単なる架空の物語として捉えるならば、九州への偏重は説明が難しい。しかし、史料を掘り下げることで、その必然性が浮かび上がってくる。

まず、『古事記』神話の資料となっている個別神話は、その多くが北九州の地で伝承されてきたものであることが指摘されている。例えば、天孫降臨神話に登場する高千穂峰は、宮崎県に実在する山であり、古くから神聖な場所として信仰されてきた。また、海幸彦・山幸彦神話に登場する鵜戸神宮も、宮崎県にある。このように、神話に登場する地名や施設が実際に存在することから、これらの神話は北九州地方で生まれたと考えられるのである。

さらに、考古学的調査からも、北九州地方が古代において重要な拠点であったことが示唆されている。例えば、福岡県にある吉野ヶ里遺跡は、弥生時代後期の大規模な集落遺跡であり、当時の権力者たちが居住していたと考えられている。また、佐賀県にある江田船山古墳は、前方後円墳としては日本最古級の古墳であり、被葬者がヤマト王権と密接な関係にあったことを示唆している。

これらの史料から、北九州地方は古代において政治、経済、文化の中心地として栄えていたことが推測される。そして、そのような繁栄を背景に、神話的世界観が形成されていったと考えられるのである。
省2
633: 06/22(土)14:09 AAS
>>622
ニセ情報を平気で書くAI荒らしw
634: 06/22(土)22:08 AAS
親魏倭王→南朝の藩→南朝滅亡後に冊封拒否して独立。
これが日本
635: 06/23(日)06:57 AAS
日本国の「将軍」が、漢委奴國王や親魏倭王

将軍が北や東に領土を広げた

北は中国とぶつかって7世紀に放棄

日本列島のみに収まったのが今日まで続いている

これが日本の歴史
636: 06/23(日)14:09 AAS
宋書に高句麗王、百済王、倭王がそれぞれ「作藩海外」とあるように日本国は漢化にともない南朝の幕府、藩になったのが現実。
そして鎌倉幕府や節度使のように自治権を発動し朝廷から自立いたしました。
637
(1): 06/24(月)02:24 AAS
なんで親魏倭王なんや
親魏邪馬台国王って刻めばいいのに
それとも倭はヤマトと読むのか?
638: 06/24(月)03:50 AAS
2022年、オーストリアのウィーン大学で行われた研究"Northeastern Asian and Jomon
-related genetic structure in the Three Kingdoms period of Gimhae, Korea
(『韓国金海の三王国時代における東北アジアと縄文人に関連する遺伝子解析』)"
(韓国ゲノミクスセンター、蔚山国立化学技術研究所協力)では、朝鮮半島南部金海市

に位置する4世紀 金官伽耶時代、大成洞(テソンドン)古墳の伽耶首露王の王陵から
出土した被葬者の人骨を検査したところ、墓主が縄文系のY染色体ハプログループ
とされるD-M116.1(D1a2a1)に属し、
殉葬者が弥生系ハプログループO-PH40(O1b2a1a2a1b1)に属すことが判明した。
639: 06/24(月)03:51 AAS
またこれを裏付けるように大韓民国釜山広域市江西区の加徳島にある獐項遺跡からは、
伽耶と同様にD-116.1(D1a2a1)のY染色体を持つ縄文系の人骨が出土している。

獐項遺跡からは日本産翡翠の装身具をはじめ48体の人骨が出土し、
科学分析が可能であったのは17体で、うち1体からはヨーロッパ系の母系とも共通する
ミトコンドリアDNAのハプログループHが検出されている。
640
(2): 06/24(月)06:21 AAS
>>637
倭ってのが漢読み「ワ」訓読み「やまと」

魏使の張政が、九州倭人が「やまと」と発音しているのを聞いた当て字が「邪馬台」

後漢宮殿で書記官が、倭国王師升が「やまと」と発音しているのを聞いた当て字が「倭面土」
641: 06/24(月)06:59 AAS
>>640
7世紀になって漢字を読み書き出来るようになった倭国(阿波)の役人が、
中国の文献にある「邪馬臺」「邪馬堆」をヤマトと読み、
同じく「倭」もヤマトと呼び習わしたのだろう。   @阿波
642: 06/24(月)08:20 AAS
そもそも邪馬台は畿内説が捻じ曲げたもの
邪馬壱だ
そろそろ正しく言うことを
習慣にしたほうがいい
643: 06/24(月)09:14 AAS
そうですね
画像リンク[png]:i.imgur.com

正確には「邪馬壹国」ヤマイコクですね
「臺」の字も記載されていますが別の意味で使われていますね
644: 06/24(月)11:07 AAS
邪馬台国は、使う人によって何にでもなる化け物だね。
645: 06/24(月)14:12 AAS
野馬臺詩
646: 06/24(月)15:49 AAS
>>640
そんな時代から大倭王がヤマトにいたのなら
やはり九州のどこかだな
647: 06/24(月)17:12 AAS
弥生時代中期、福岡県糸島市にある「三雲南小路遺跡」から、日本最古級の鉄器と見られる鉄剣が出土しました。 発掘調査によると、この鉄剣は紀元前2世紀から前1世紀頃の製作と考えられ、弥生時代中期のものとされています。

従来、日本最古の鉄器は、佐賀県吉野ヶ里遺跡出土の鉄斧(前3世紀頃)と考えられてきました。 しかし、三雲南小路遺跡出土の鉄剣は吉野ヶ里遺跡のものよりも古い可能性があり、日本の鉄器文化の起源を塗り替える発見として注目されています。

鉄剣は全長約40センチメートルで、茎の部分が三角形をしています。 刃の部分は失われていますが、研磨された跡が残っており、武器として使用されていたと考えられます。また、鉄剣と一緒に銅鏡やガラス製勾玉などの副葬品も見つかっています。
648: 06/24(月)22:47 AAS
日本刀は、現在では美術品だが元は人を切る道具として作られた。
古代から望む人は沢山いた。
649
(1): 06/25(火)00:43 AAS
帰りの船ってどこから出したんだろうか

来る時に協力してないのに
糸島から海流に逆らってスイスイ進める
屈強な船員を貸すかな?

松浦から壱岐を飛ばして対馬経由で
帰ったとかない?(沖で流されたら悲惨)
自前の船で来て荷物とか預けられる
船員の知り合い居たのかもしれない

伊都国に行くまでに
身ぐるみ剥がされる可能性もなくはないから
省3
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