[過去ログ] 【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬参拾 (1002レス)
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27
(2): 03/29(金)22:15 AAS
>>24
そんなすぐにバレる嘘をつくから畿内説は嘘だってバレちゃうんだぞw

元のリンク先はここだが
外部リンク:tizudesiru.exblog.jp
> 邪馬台国が狗奴国と戦ったとすれば、戦場はは何処だったのか。九州で戦い、二手に分かれて日本海がわと瀬戸内を逃げながら戦ったのかもしれません。
> 鉄鏃が出土する地域は、邪馬台国とつながりの深い所ばかりです。
> 何処で戦ったのか、弥生後期の鉄鏃の分布で明らかです。
> まさに弓矢が弥生の武器でした。
28: 03/30(土)09:54 AAS
>>27 ・・・オレは畿内説ではないけどな。
このブログにあるのは、川越哲志氏の資料を高島忠平氏がマスコミに提示したということだね。
高島氏は畿内説で、今は表向き博多経由・吉野ヶ里邪馬台国説の人だから、熊本/狗奴国で固まっている。
そこに、そもそもの立場・見解・行動の違いがある。

漢王朝が開発したハガネ鉄生産技術を、帯方郡に敵対した狗奴国が自由に出来はわけはない。
狗奴国は県南の球磨国であり、県北の山鹿菊池の邪馬台国こそ、楽浪・帯方二郡の倭国拠点だったのだ。

つまり2-3世紀、佐賀伊都国+熊本邪馬台国+宮崎投馬国は、
旧彌生の盟主、博多那の津の倭奴国王と戦闘状態にあった。
その関ケ原分け目の合戦が倭国大乱だったのだよ。
そこを正しく認識すれば謎は解ける。
29: 03/30(土)12:09 AAS
>>184
>普通に考えれば各地の発掘状況をまとめた結果だと分かるだろうに

ご存知の通り、埋蔵文化財は、個人が自由に発掘調査できるわけではない
地元各県の教育委員会が、しかるべき学者・研究者に依頼して公表する。
熊本県分は熊本県教育委員会、大分県分は大分県教育委員会所管であろう。
で、この公式記録は誰がまとめたのであろうか。
30
(2): 03/30(土)12:15 AAS
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
寺沢センセが監修した県別鉄器出土MAPを
古墳時代初め(3世紀初〜中頃)だけわかりやすいように加工した
31
(3): 03/30(土)12:27 AAS
>>30
3世紀後葉になると
前方後円墳への鉄器大量副葬によって
九州と畿内の鉄器量が逆転する

3世紀初〜中頃は九州が優位
3世紀後葉は畿内が優位

3世紀中頃にいったい何があったんだ……
そういえば魏から西晋への禅譲もその頃だな
32: 03/30(土)12:43 AAS
つまり列島に、
日本神話の神武東遷のような劇的変化があったということ、
近世でいえば、御所が京都から東京へ移ったような・・・
33: 03/30(土)13:36 AAS
>>31
逆転する、つーのが眉唾
古墳の年代が怪しいんだから、集落や住居など生活部分から出土した鉄器量で比較すべき
34: 03/30(土)13:37 AAS
>>27
>九州に邪馬台国があったとしたら、鉄を持っていたのに、なぜ、邪馬台国は狗奴国に負けたのか? 
>いえいえ、大丈夫です。

>もっと、武器を持ち(武力)、工具を持って生産力を上げていた地域がありました。
>当時、福岡より武器・工具の鉄製品を持っていたのは熊本ですから、そこが狗奴国です。
>邪馬台国の南の国になります。川越哲志氏の「弥生後期の鉄鏃の分布」を資料として、
>高島忠平氏が提示されていました。

熊本・狗奴国説といっても、球磨郡は熊本県の南半分を占め、県下11郡の内で最大の郡だった。
ここが狗奴国だったとみるべきでしょう(球磨郡、球磨川、球磨人=狗奴国)
そして方保田東原のある山鹿市/菊池市が、邪馬台国国衙だったのでは(廣志の耶馬嘉国)
35: ネトウヨ撲滅隊! 03/30(土)13:44 AAS
ネトウヨ思考
・日本人は縄文人の子孫
・日本語は縄文語の子孫
・Y遺伝子Dが自慢
・縄文文化を縄文文明という
・邪馬台国は九州と主張
・日本が中華に朝貢したのが許せない
・アイヌ人はシベリアからやってきた虐殺者
・なぜかエベンキという民族に関心がある
・古史古伝や日ユ同祖論などのオカルトを信奉
省4
36: 03/30(土)17:40 AAS
正しい纏向四世紀をサラッと入れるんじゃんねえ、お前がネトウヨだろ
37
(1): 03/30(土)17:46 AAS
そもそも日本書紀がウソ八百だ、
あんな山奥に高天原-高千穂王朝があったなんて、
荒唐無稽な万世一系のおとぎ話で、オレの青春を無駄にしてくれた・・、
まして、あの九州の山奥の高千穂に、卑弥呼王朝なんかあるわけがない・・、

関東・関西・中四国・博多の都会育ちお坊ちゃん学者は、皆そう思ってきたんだろな。
特に、昭和一ケタ参入組のほとんどはそうなんでないかな。

馬鹿馬鹿しい、卑弥呼は天照大神だー、
オレがきちんとした平野部に見つけて〆てやるわい・・、
と、平原やら、大宰府やら、甘木朝倉やら、筑後山門やら、纒向の箸墓・ホケノやら、阿波徳島やら・・・

探し回るけど、なーも出てこらっさん。
省3
38: 03/30(土)18:04 AAS
高天原はそのまんま御所市の金剛山の麓の高天の事に決まっとるだろが

地名をよく見てみ

御所だぞ

皇居の事だよ
39: 03/30(土)18:10 AAS
御所は 京都にもある、
皇居は 東京にもある、
問題は、それが3世紀前半だったかどうかだ・・、
40: 03/30(土)18:31 AAS
3世紀中頃に滅びたのが邪馬台国
その後繁栄したのは狗奴国と倭種の国
41: 03/30(土)18:59 AAS
晋の後ろ盾で、邪馬台国は臺与の時代に東遷した。
狗奴国は其の伴に就いた。
倭種は服属した
42: 03/30(土)19:04 AAS
高天原は楽浪郡・帯方郡
天の鳥船は、帯方郡の軍船
高千穂は、そのまんま高千穂
みな、日本神話の筋がき通りだ。
43: 03/30(土)19:13 AAS
晋が後ろ盾>ナイスジョークwww
44: 03/30(土)19:17 AAS
?まず「女王国(九州)東渡海千里、複有国皆倭種(本州)、又有侏儒国(四国)在其南、去女王四千里」から九州が確定。
?次に「帯方郡から女王(邪馬台)国に至るまで12,000里(900?)」(1里=75m)
狗邪韓国まで7,000里+渡海1,000里+【対馬400里】+渡海1,000里+【壱岐300里】+渡海1,000里+末盧(松浦)国500里+伊都(糸島)国100里=11,300里(850?)で奴国(博多)に至る。
つまり、博多から残り半径700里(50?)の範囲にあるということになり、糸島➡博多の北は玄海灘🌊、東は不弥国ですので、南(筑紫平野)に陸行するしかなく、博多から吉野ヶ里遺跡(邪馬台=脊振【山】南麓に突き出した舌状【台】地)「宮室楼観城柵厳設、常有人持兵守衛」が50?でピッタリです!
?そして「其南有狗奴国、不属女王。官 狗古智卑狗、男王 卑弥弓呼(熊本県・菊地平野)」から、【女王国=筑紫平野】であることは確実に読み取れます。

さらに「卑弥呼、事【鬼道】能惑衆、以婢千人自侍、唯有男子一人給飲食伝辞出入。居處宮室、樓觀城柵嚴設、常有人持兵守衞」は吉野ヶ里そのもので、【鬼道】を(鬼籍に入った)歴代倭王(死者)の霊を呼び出すイタコと解釈すれば、主祭殿3階(屋根裏部屋)の祖霊を祀る祈祷室(最高所)はまさに天(太陽)と鬼(死者=歴代倭王)のお告げの声を聴く卑弥呼(日見子=日巫女)にピッタリです!

ちなみに、投馬国からの「南水行十日陸行一月」は呉の背後、つまり「会稽東冶の東(沖縄那覇)にあり」とするための方便(嘘)だとすると辻褄が合いますよ。
外部リンク:pbs.twimg.com

※魏志倭人伝の蛇足=投馬国⇔邪馬台国「南水行十日陸行一月」(呉の背後)

末盧国↘伊都国↘奴国→不弥国(九州北岸-福岡平野)
省7
45
(1): 03/30(土)20:34 AAS
>>31
銅器が入って来なくなったから、鉄器が供給される
ようになっただけっしょ。

>>37
平野部は湖沼地帯で生活しにくかったんじゃね。

古墳時代の寒冷期は海退が進んで開発し易くなったと。
46
(1): 03/30(土)22:08 AAS
>>45
確かにそういうこともあるな
古代九州の平野部は今より温暖で、湿地帯にはマラリヤ蚊がいたらしい。
今も、九州の男たちは体中剛毛がはえている人が多いが、
あれはマラリヤ蚊が止まるのを防ぐ効果があるという。

だから古代の貴人たちは、剛毛の上にマラリヤ蚊除けの刺青をして、
涼しい高千穂で、涼しい顔して暮らしていたのだろう。
高千穂住まいは、高級な生活の知恵だったわけな。
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