[過去ログ] 【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬参拾 (1002レス)
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30(2): 2024/03/30(土)12:15:03.53 AAS
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
寺沢センセが監修した県別鉄器出土MAPを
古墳時代初め(3世紀初〜中頃)だけわかりやすいように加工した
201(1): 2024/04/16(火)12:37:51.53 AAS
>>193
>>162 にも書いたが
一次情報である距離と方角から
一万二千里のうち不弥国までで一万七百里だから残り千三百里。
水行は一日で千里だから、その後の水行二十日や水行十日陸行一月は無理なので
この二つの出発点は自動的に帯方郡ということになり、千三百里は誤差とするしかない。
また、邪馬台国は東の海の千里先に倭人がいるのだから九州の東海岸を含むことになる。
一次情報を改竄して好きな場所に邪馬台国を比定するのはご自由にw
317: [age] 2024/04/30(火)16:10:04.53 AAS
age を あぼーん してみた。
399: 2024/05/15(水)16:00:41.53 AAS
・『山海経』(せんがいきょう、山海經、)は、中国大陸で書かれた地理書。
戦国時代から秦朝・漢代(前4世紀 - 3世紀頃)にかけて徐々に付加執筆されたもの。
『山海経』に「君子の国は衣冠をつけ、剣を帯びて獣肉を食べ、
二つの飾りの虎をいつもそばに置いている。(狛犬の事か?)
不死の人が交脛(山東地方か?)の東にあり、その人は色が黒く長寿でなかなか死なない。
君子国も、不死国も、共に東方にある」とあり、『外国図』には、
「君子国は瑯琊(現在の山東省青島市黄島区)から三万里離れたところにある」とある。
帯方郡から邪馬台國までが、万二千里あまり。
476(1): 2024/06/02(日)01:21:41.53 AAS
>>427
伊都国がどこにあったのかさえ解らないのに考古資料って
いったいどこの資料を見てるんですか?
496: 2024/06/04(火)21:18:26.53 AAS
卑弥呼とは、日巫女。ひのみこ=ひみこ。
太陽信仰を祭祀する巫女。つまり現在の伊勢神宮の斎王の事。
711: 2024/06/30(日)07:12:05.53 AAS
tomuさんのブログ 倭人伝の伊都国 2011/06
「東南陸行五百里にして、伊都国に到る」。唐津市から「東南」の方向は、
松浦川に沿った国道203号線、佐賀市に抜ける唐津線が通るルートしかない。
唐津市から松浦川沿いに約25キロメートル程度で厳木(きゅうらぎ)町に着く。
松浦川沿いの道はピッタリである。
厳木町から200メートルの峠を登り、峠を下った所が多久市、
そこから10キロメートルで、小城市に入る。(以下略)
768: 2024/07/02(火)14:15:30.53 AAS
>>763
朝に旅立っても、歩くほどに景色は替わり、目印も替わって、
元の東がどこやらわからなくなる。
まして、真夏に糸島へ向かったのなら、次の博多へ向かうのは秋ごろのことになる。
そもそも東南、東南と、二度も繰り返されていることは重要で、無視できない。
781(1): 2024/07/02(火)17:14:43.53 AAS
糸島市
827: 2024/07/03(水)21:44:45.53 AAS
稲作の伝来に関して想像すると、たしかに中国南部からもきたであろう。しかし主として朝鮮半島を経由してきたという説はうごかしがたい。三世紀の対馬の卑狗も、四世紀後半から五世紀の人と思われる鶏知の前方後円墳のぬしも、朝鮮半島や博多湾沿岸のひとびととおなじ型の米を食っていたであろう。
922: 2024/07/11(木)22:53:52.53 AAS
希望的推測はいいよ早く病院行きなよ
首相みたいな顔しやがって
あとは
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