【日本史】GHQに焚書された書籍 (542レス)
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360: 日本@名無史さん [sage] 2024/10/19(土) 16:47:40.39 >>269 『肥後藩国事資料第六』を図書館で借りてきたからしばらく脱線して荘村の手紙を転載したい。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/360
361: 日本@名無史さん [sage] 2024/10/20(日) 11:20:25.90 荘村助右衛門(省三)の主な手紙 六巻に載っているものだけ転載予定 文久3年5月2日 本藩「肥後藩・熊本藩」荘村助右衛門・庄林曽太郎等、家老小笠原備前「長洪」を訪ひ、大砲鋳造の為め、増田弥曽六其属工を率ゐて下藩すべきことを語る。 元治元年3月23日 本藩「肥後藩・熊本藩」庄村助右衛門・河瀬典次等、勝麟太郎「海舟・義邦・安芳、軍艦奉行並」を長崎の旅館に訪ひ、横井平四郎「時存・小楠、肥後藩士・熊本藩士」託する所の海軍問答書を贈る 慶応元年5月2日 在長崎荘村助右衛門「肥後藩士・熊本藩士」、英人グラバを訪ひ、薩藩英国留学生の消息を得たり。 慶応元年5月3日 米人宇利也牟斯「ウリヤムンス」、将軍進発につき援兵を英仏に借らんとするの議ある由を荘村助右衛門「肥後藩士・熊本藩士」に告ぐ。 慶応元年5月8日 荘村助右衛門「肥後藩士・熊本藩士」は、長人の銃砲購入、薩藩の通商及び薩長親和の事等を、長崎在留の外人に就きて探知するを得たり。 慶応元年10月26日 在長崎荘村助右衛門「肥後藩士・熊本藩士」は、越前藩士瓜生三寅が三国軍艦摂海入津、外国条約勅許等に関し英国船将と問答せし要領を藩政府に報告す。 慶応2年4月28日 在長崎本藩士「肥後藩士・熊本藩士」荘村助右衛門、天草動揺に関する事情を在国坂本彦兵衛「同藩士」に報ず。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/361
362: 日本@名無史さん [sage] 2024/10/20(日) 11:20:36.27 慶応2年6月11日 在長崎荘村助右衛門「肥後藩士・熊本藩士」、英国公使パークスの行動に関するフルベツキ「宣教師」の談話を奉行道家角左衛門「同藩士」に報告す。 慶応2年8月3日 在長崎荘村助右衛門「肥後藩士・熊本藩士」は、閣老小笠原長行「老中・唐津藩世子」の動静、諸藩兵の小倉撤退及本藩「肥後藩・熊本藩」の銃器弾薬購入等に関する報告をなす。 慶応2年8月6日 在長崎荘村助右衛門「肥後藩士・熊本藩士」は、幕府軍艦の集合、閣老小笠原長行「壱岐守・唐津藩世子」の長崎退去、小倉戦争当時幕府軍艦逡巡の状況等を奉行田中八郎兵衛「肥後藩士・熊本藩士」等に報告す。 慶応3年5月14日 我藩「肥後藩・熊本藩」荘村助右衛門、長崎より書を坂本彦兵衛「同藩士」に贈り、土佐藩坂本龍馬「直柔」と談合の顛末を報じ且つ其所見を陳ぶ。 明治元年閏4月21日 本藩「肥後藩・熊本藩」庄村助右衛門、京摂間に於ける内外の異聞を在藩機局吏坂本彦兵衛に詳報す。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/362
363: 日本@名無史さん [sage] 2024/10/23(水) 15:50:27.61 時系列としては、1866年に家茂と孝明天皇が相次いで病死し、1867年5月に慶喜の尽力により兵庫開港と長州藩の処分が軽くなる勅許が出る。 明治天皇は元服前の14才で践祚したから明治天皇の勅許だけど、兵庫開港問題は朝議の末に慶喜が後押しした、という感じ? http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/363
364: 日本@名無史さん [sage] 2024/10/23(水) 17:39:53.05 孝明帝条約の批准に同意してから死んだのだった。 9月16日夷船兵庫港到着 9月23日幕府が交渉 10月7日幕府は孝明帝が条約の批准に同意したと回答 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BA%AB%E9%96%8B%E6%B8%AF%E8%A6%81%E6%B1%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/364
365: ブログ転載 [sage] 2024/10/23(水) 17:55:19.83 肥後藩国事資料六巻p308 十月二十六日、在長崎の荘村助右衛門は、越前藩士瓜生三寅が三国軍艦の摂海入津、外国条約勅許などに関し、英国船将と問答した要領を藩政府に報告す 〔元治元年から慶応元年まで 探求書、尊攘録探索書〕 荘村助右衛門の書状の写し 寸紙に記録し差し上げます。時下は次第に風霜が募りますところ、ますます御安雅になりなさるべく、御勤仕をお慶び申し上げます。ところで、越前藩の瓜生三寅は再度二、三日前に浦を出発いたしました。昨二十五日、港内碇泊の英国軍艦に参上し、船将に面会いたし承り取りました。概略は福井で申し述べ致します。書状の草稿は極密に、そしてひらき見いたしました。要用の数件を写し取り御覧に入れ申し上げます。 書状写し 御国の御用船は急速に出帆の様子でございます間、とりあえず左の一つ、二つの事を申し上げ奉ります。 この度英仏蘭合衆国の都合十三隻の兵艦が兵庫に入港いたします事柄については諸説紛々、ことさらに京都にて事情を知りました。三港のみ 勅許の旨を御命令になられましたので、夷船は退帆いたしますなどの噂は、長崎の有志の仲間から聞き及びます説とは誠にもって雲泥の相違でございます。 幸い兵庫に参っております軍艦レパルトは、常時長崎港内に来舶いたしております間、すぐさま右船〔※レパルト〕に乗り込み、ことさらにその船将とはあらかじめ懇意の事柄でありますので、兵庫評判の始末を内密に尋ねましたところ、これは極密の事でありますので、これまで他人には明かし申さない筋でありますけれども、一々告知致すことがよいと考えて、その説の大略は左のように。 ※諸説紛々=いろいろな意見が入り乱れて、まとまりがつかないさま。また、さまざまな憶測が乱れ飛んで、なかなか真相がつかめないさま。▽「紛紛」は入り乱れたさま。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/365
366: ブログ転載 [sage] 2024/10/23(水) 18:37:05.14 >>365 常時長崎港内に来舶いたしておりましたので、に訂正 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/366
367: ブログ転載 [sage] 2024/10/24(木) 06:34:57.85 この度幸い英国アドミラル(官名)〔※提督〕がアジア洲中で交代いたしましたので、ついでなので龍敦政府にて評議を立て、あらかじめ長州償金三百万元の事柄は、幕府から御渡しになられます内容で御約定ゆえ、即刻御渡し方これありたく、もしただ今御弁償になられ難くありますならば、もはやこちらには願い申しませんので、その替わり一千八百六十八年(卯年霜月)正月元日、開港が実行されるはずの兵庫港を、今年から開港の御免許をいただき申したくあります。 かつ、これまで日本国中様々な擾乱が起こりました。始まりは皆公武御合体、これが無いゆえの事でございますので、この度は是非、 朝廷から条約御免許の 勅書を幕府に御受け取りになられ、その内容をあまねく天下の列藩その他山民までも御布告になり、国中一同、仲良く親しみ合いの上、互いに永く親睦を結び申したくあります。 かつまたこの度はこれまで税則が不規則の件々を改正致したくあります。 右の三ヶ条をもってアドミラール〔※提督〕が神奈川に参りましたところ、ミニストル(官名)〔※公使〕パークスは、その時函館におりましたので、早速函館に参り右の内容を申し述べましたところ、ミニストル〔※公使〕は直ちに横浜に帰り、すぐさま各国のミニストル〔※公使〕に相談が有り、幕府の官吏に掛け合いに及ばせましたところ、将軍様はじめ御老中総じて御留守中でありましたので、万事左右の返答を致し難い旨につき、すぐさま摂海に廻り幕吏と応接いたしましたところ、三百万元の償金は一度には渡し難い、先に半金を御渡しになられるつもり、兵庫の事柄は明後年の期限でありますので、その時に開き申すはずのわけでありましたので、それならば残金はいつ頃御渡しなられますかと尋ねましたところ、いつとも定め難くあります旨、かつ万事 朝廷の御聞(開イ)これがないのでは困り入ります件を告げ知らされましたので、こちらも何とも致し方ない。 それならばこちらから朝廷に奏聞いたすつもりだと申し述べ、即刻京都に連書を差し上げましたところ、朝廷から御返書の内容では、条約などの事柄に関しては 朝廷は万事御承知はなく、御免許遊ばされた覚えもこれはない。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/367
368: ブログ転載 [sage] 2024/10/24(木) 07:08:54.83 既にそのような事柄もあるので、それならば篤と幕府に御詰問遊ばされることがよい旨につき、とりあえずあらかじめ和解がなっております条約書一冊を京都に差し出し、細かく詳しいことはこの通りの事柄でございますので、とくと御勘考の上よろしく御さし図遊ばされたくとの旨の内容を申し上げ置きました。 ところが十月七日この日に至り京都からは関白殿下一人、幕府からは松平伯耆守英が軍艦に乗船になられ、償金の事柄は来る西洋十二月第一日残さず渡し申すつもり、兵庫は千八百六十八年までは開港致し難くあります。 さてまた条約 勅許の事柄はすぐに 勅書を拝受致しますので、その写しを渡します。すなわちミニストル〔※公使〕所持の本書からすぐさま模写致します。書付に曰く。 (中略、この書付は十月七日幕府外国条約勅許の旨を達する条にあるのをもってここにこれを略す※) かつまた税則改正の事柄の場合には、横浜幕府から相談致すつもりとの事につき、ミニストル〔※公使〕は初めて大満足、無限退帆致します事であります。 ただしこの事柄は大秘密、ことさらに幕府からは堅く沙汰を致さないようとの内容で、御訳もこれはある事なので、他人には写さないで知るように致したくありますとの事 右の内容は極密に夷人が告げ知らせますのでとりあえず申し述べ奉ります。 十月二十六日 瓜生三寅 ※十月七日幕府外国条約勅許の旨を達する条 一、条約の事柄は我が大君〔※将軍〕格別な御尽力にて京都に盛んにおっしゃるのは別紙の通り 御許容になりました。 一、兵庫開港の儀は直ちに談判致しかねます。もともとロンドンの約定が尽きる日限に開くつもりであるといっても、万一事情によって早く開きます時は開くつもり。右の一件は早速定め難くありますので、我らから江戸に告げ知らせた下関償金の第三度目を納めることがよいのは約定の通り。 日本は十二月中に納めなければならないよう告げ知らせた。その他は千八百六十四年十月二十二日この条約はこの通り執行申すつもりです。 一、税改方の事柄は委細承諾した。その件は急速に水野和泉守ならびに酒井飛騨守に告げ知らせたので、江戸では精々談判がありますよう写し取りはからい申すつもりです。この件申し入れます。拝具謹言 慶応元丑年十月七日 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/368
369: ブログ転載 [sage] 2024/10/24(木) 16:33:47.58 p564 四月二十八日、在長崎の本藩士、荘村助右衛門は、天草動揺に関する事情を在国の坂本彦兵衛に報す 〔慶応二丙寅年尊攘録探索書〕 慶応二、四月二十八日、長崎発の荘村の来信、五月三日着天草の事 密啓 この度、天草島中に少々動揺のきざし、これがあります様子はそれぞれ御聴きに達します通りで、万一浮浪の輩がその間に遊説いたし、島中の人心を煽動致しますような成り行きを、申すことがよいのかも推測し難い。 またはその大元の薩長などが闊歩致します筋では、あるまじきかこの事柄をできるだけ探索いたしますよう内々で諭してございますので、この一件を坂本良馬に面会致しますならば、浮浪の輩の暴動は事情が明了にわかりますはずかと見込みましたので、このたび差し急ぎ長崎に出発致しましたところ、既に七、八日程以前に火船に乗り組み摂海へ参ります件を承り、非常に便宜を失っておりますところ、去る二十六日、僕は天草にて銃隊を稽古教導致しました。 大谷朝三(町山口)松崎蕃(宮地嶽)新井藤之助(崎津)この仲間へ途中で邂逅致しましたので、僕は旅舎へ招きこの時の事情をできるだけうかがい糺しましたところ、この仲間の申し出を左にしたためます。 鈴木任三は極密の内話が大同小異にございます。大谷曰く、我輩はしょうじき事情は心得ません。この時の三人は吉田伝三郎という仲間は島中の人物でございます。しかし近日、島中の流聞ではほとんど死に、とりわけ申さなければなりません勢いで噂され、冤罪はおるべきところなく、訴えは誠にもって遺憾果てしないのです。どのように速く救出申したく朝暮懇願に堪えません。 委細はこの時、富岡の官吏鈴木任三が一昨日長崎に出発致して、明早日に参りますので、同人にすぐにと御聴合になりますならば、必ず事情は分明に心得ておりますはずと、考えます件を告げお知らせします。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/369
370: ブログ転載 [sage] 2024/10/24(木) 19:50:04.58 よってこの夜に入り天草の用をたし、円城寺友次郎へ参りますところ、芸妓数輩が参っており杯盤狼藉かつ来客もありましたので、いずれにしてもしばらく別室を借り受け控えており、ようやく午後八時、来客は散帰致しました。 後で面会を申し入れましたところ、早速参って対面いたしました。鈴木の極密の内話の大意は左のように。 任三は言う。この時の一件はその要点をとって御話しいたしましょう。大元の起こりは誠に僅かな事で、このような筋で成り行きましたはずの理由ではありません。 昨年肥後公子が天草島中の南海岸筋を御巡島遊ばされました時、島中の庄屋どもが御礼申し上げました事柄があり、その後、吉田伝三郎・木山為彦・藤田五一郎の仲間がしきりに天草郡はこれから後、肥後様の御支配になりますようお願い申したく、島中にて折々協議いたしましたところ、御国をおっしゃります仲間と薩州をおっしゃります者と、以前島中の議論が肥・薩の両端に分かれ混雑致します事柄、これがあります。 その趣旨は前将軍家が長州御追討官軍進発については天草島中で予定外の課金・諸懸物などおびただしく、かつ炮修築についても、大きな出金をくだしつけられました。これらは総じて島民の膏血から出ました事である。吉田・藤田の仲間の考えは、肥後の御支配を受けます日には決してこのような課金などに苦しみます事は、これはあるまじきかとの考えから起こりました。真心であって他に異心を挟みます筋ではありません。 しかし、治部右衛門の支配を離れ、今後肥後の御支配を受け申したくとの趣旨を申し立てましたのでは、どうあっても島中の政令は従来ではなく、調子の厳しさは論じ申しません。それならば島中にて協議の目的を表さないものであります。 ※杯盤狼藉=酒宴で辺り一面に杯や皿が散らかっていること。 ※公子=肥後候の子供 ※懸物=江戸時代、口米・高懸三役・国役金・諸入用金など土地や人に課した諸費用料。 ※炮??=中国語で簡易な砲台。 ※膏血=人の脂と血。苦心して得た収益のたとえ。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/370
371: ブログ転載 [sage] 2024/10/25(金) 17:09:47.67 そのようにありますならば、つまり、治部右衛門の一身の不行き届きと申しますものに落着致します形勢になってゆき、かつ結局は中傷はその間に行われますようこの内情も推測し難く。 いかにも同人(御郡代)は御熟知の通り、飄悍第一の気性でございますので、公領の民を使って他邦の支配を望み、あれこれ徒党を招き協議致しますのは、完全に国を売るという賊となり、満足されませんものと聞きます。 鈴木は言う。中西亀勇太は決して悪巧みのある者ではなく、無二の治部右衛門仲間でございます。郡代の為には身命をも惜しみ申しません様子を言い張り、既に小倉出張の折、天草の庄屋どもはことさらの他、嫌い避けました。兵糧方をも務め、その時二千五百両程莫大な出金なども差し出します者でございますと言う。 任三も同様に中西を引き抜きます者でございます事、永い往復も致しますけれども、余計な言葉は省き申します。中西は疑いようがない。奸佞に相違なくこれを見込み申します。中西は一途に公領の民であろう事を懇願致し、しきりに吉田という仲間を論じ、そのように勢いに激しくなります様子に噂されます事。 僕は言う。小山清四郎と申します者は、一同日田〔※大分県〕に連行されます様子にお話しをうかがいます。吉田・藤田の輩は同士でございましょうか。 鈴木は言う。完全に吉田の輩とは別事です。 旧年天草にて小寺幸兵衛へ酒宴の席で、誰とは名指し申しませんけれども、郡中にてどうあっても三、二人は天誅を加えません。それならば叶い難い人物がいます。我輩は微力につき小寺の輩の力を借りません。それならば行うのは難しいなど雑談致しますとの事。 この事柄は小寺幸兵衛は中西亀勇太に参上し、福連木御林の樫山は今回は御払いになりますようにお聞きします。これによって薩州で一山ことごとく皆買い入れます事柄は行われがたい。しかし都合に応じて残らず買い入れますことが良いかもまた、推測し難くあります。 薩州国用槍柄にいたします件で意見を述べます。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/371
372: ブログ転載 [sage] 2024/10/25(金) 17:10:00.67 ※同人=同じ志を持つ者。 ※飄悍(ひょうかん)=すばやい上に荒々しく強いこと。 ※頼談=江戸時代、蔵屋敷出入りの町人が秋の回米を担保として諸藩から借金を依頼されること。 ※奸佞=心が曲がっていて悪賢く、人にこびへつらうこと。 ※日田には江戸時代キリシタン関係で牢屋があった。進撃の巨人の作者はキリシタンが盛んな土地出身なんだな。 ※福連木官山は天草地方の福連木地区の樫木の天然林 https://kotobank.jp/word/%E7%A6%8F%E9%80%A3%E6%9C%A8%E5%AE%98%E5%B1%B1-3103085 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/372
373: ブログ転載 [sage] 2024/10/26(土) 06:54:32.03 中西は言う。槍柄の木になります分は御用木であり、切り出します事を堅く禁じられます。 ただ曲木あるいは老木の数抱え分、この材は槍柄に用立てません物につき、この分は御処分になります件、返答はその席にて、小寺から金子千両を借用致したい件を中西に頼談に及びますけれども、亀勇太は断りました。よってその時小山と申します者の悪口の一件は、小寺幸兵衛から亀勇太がうかがいました様子ですと言う。 鈴木は言う。小山清四郎、次いで一之助と申します者は、近年長崎に参り異館建築の請け負いを致し、幕吏の内にも所々に出入り致します者でございます。 この兄弟が相談して話す天草無調子のあの件この件は、領主直轄保護林に中傷致しましたとの治部右衛門の以前からの疑惑でございます。清四郎の一件は完全に吉田の輩の事とは別事でありますと言う。 中西と小山との確執は、先年長岡五郎左衛門が冤罪がもとで欠所を仰せ付けられました頃から、この両家は不和でございます。中西は長岡方、小山は長岡の向こう方になります者であると言う。(この三人の諸生の話でうかがいました) 鈴木は言う。小寺は完全に双方が互いに争います中で、奔走遊説致し動揺させます者と見えます。 その理由は藤田五一郎方にも参り、とりなしたからとうかがいましたと言う。 小寺藤兵衛・永島亘は完全に薩州よりの探索に相違なく見込みます件を任三は話し、それを聞きました。 鈴木は言う。この時の一件は郡代の飄忽の妄動から全ての事が起きました事柄につき、小生は日田に参り、三人の者どもは寛大の上にもなお慈悲の所置はありません。それならば叶い難い。 これによって小生は精一杯最大限入り込み尽力いたすつもりの覚悟でございます。 助右衛門にはあらかじめ、郡代には懇意の相談をしたところ、治部右衛門の返答は、内輪の様子次第から日田へ贈り物を企みます事柄もあるに違いない。 その時は苦辛ながら、一臂の力を添えてくれますようとの内容を任三からの演述でございます。この時の往復は、任三が深く入り込んでおります形勢に見えます事。 ※御頼談=>>372 ※欠所=江戸時代の刑罰の一。死罪・遠島・追放などの付加刑で、田畑・家屋敷・家財などを没収すること。 ※日田の牢に賄賂を渡せば捕らわれた人を助けられるのかも。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/373
374: ブログ転載 [sage] 2024/10/26(土) 06:58:53.11 >>370訂正 どうあっても島中の政令はこれまでのように無調子の厳しさは論じ申しません。 >>373にも出てくる「無調子」の意味がよくわからない。調子無し? http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/374
375: ブログ転載 [sage] 2024/10/27(日) 05:39:36.35 中西藤之助(亀勇太せがれのゆかり)がこの時日田へ参ります事柄は、なんとしても木山為彦の輩を救い申すつもり、それゆえに退出します。 亀勇太は一同日田へ参りますはずのところ病気につき、参ることができずにいます件、大谷朝三仲間の内話でうかがい及びました。 任三の見込み通りであるならば、小寺の輩の挙動は薩長などから後押ししています。同類の勢いには見えません件を申し出ます。 併せて愚考ではこの輩、一端天草を追われます者どもの事は、その萌芽に乗じていて、おさえていません。それならば最終的に斧の柄を用いますようにもなってゆくはずと考えます。 浮浪の輩の天草の滞留などは厳重の御所持、これから後は行き届きますよう御措置がありません。それならば叶い難いと考えます。 任三はこの行いを、十に八、九は御郡代に説得致すはずなのは必定でございます。しかし万一、日田の書状が参り、急いで行くようなこの事柄もございますので、僕はかねて御郡代様御懇意のわけをもって日田へ参り天理の公義を推挙し、いつも速やかに平穏の御処置に帰しますよう、僕一己の考えをもって豊後へこっそり出かけたく考えます。 お考えはいかが御高許(評かまま)を伺います。官脚出発に直面し、草稿のまま差し上げるのを受け入れ、御覧ください。よろしく御推読なさることをのぞみます。恐惶頓首拝 四月二十八日 荘村助右衛門 坂本彦衛様 ※御高許、評かまま、官脚は意味わからず。 ※推読は手紙を押し広げて読む? ※恐惶頓首=心からおそれかしこまり地にぬかずくことの意で、手紙の本文の終わりに敬意を表わして添えることば。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/375
376: ブログ転載 [sage] 2024/10/27(日) 05:53:28.95 >>368 登場人物 アメリカ合衆国 シャルセ、ダフェレル、エキセルレンシー、アルセ、ボルトメン 松平伯耆守(花押) 松平周防守(花押) 小笠原壱岐守(花押) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/376
377: ブログ転載 [sage] 2024/10/27(日) 23:28:42.61 >>268の「猿」はWikipediaの誤字 『新訂肥後藩国事資料六巻』p660〜 六月十一日、在長崎の荘村助右衛門は英国公使パークスの行動に関するフルベッキの談話を奉行道家角左衛門に報告す 慶応二年正月より 探索書控?? 謹んで記し上げ差し上げます。港内の事情は長崎にお出での最中にご見聞の通りで御座いますところ、またまた大いに打って変わりました形勢は、昨夜フルベッキから内話を極密にうかがい取りました件を、右に記し上げ差し上げます。 去る七日(大軍艦が薩州へ出船する期日)、アトミラール〔※提督〕、ミニストル〔※公使〕の二人からフルベッキに書状をやり、言って寄越します内容は、同人は日本に年久しく居ります。多分に日本士人とも交際するとの事なので、当時の形勢につき、うかがっております状況もあるはず。諸事承りたくとの内容を言って寄越します事情。 フルベッキから返答いたします。その様子は思い当たる状況がある。長々事情を書き記し、直ちに英国女王殿下への呈書を包み持ちますといっても、今しばらく形勢を観察の上はと考えて差し控えております。はじめの事情を見聞きした状況がありますので、こちらに参り承りますよう返答に及びますから、同八日ミニストル〔※公使〕、アトミラール〔※提督〕ならびに領事館が承りましたので、フルベッキ演説の大概は左の通り。 港内の商民は外国の形勢をちっとも知りません。それなのに諸藩の遊学生の中には各国二度の集会の論談を始め、薩長にミニストル〔※公使〕が参りました目的も、このようにあるに違いないと論じ、あるいはもしかするとこの意味かと疑いますなどと話しました。 諸方面にもこれがあります。大君〔※将軍〕の権勢を削ります場合に、企てる順序の論争等までも見聞き致しておりますとの内容を話し聞きました所、時務宰相、アトミラール〔※提督〕の二人はお聞きしまして、たびたび一様でないなりで驚愕いたします。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/377
378: ブログ転載 [sage] 2024/10/27(日) 23:28:53.85 そのように二人から申し出ますので、このほどこの勅書は真 勅ではないとの事柄を、証拠を例に挙げ告げ知らせました。諸方面もこれがありますので、よんどころない各国の集議にも行きます道理でございます。 もちろん薩長へ参ります事柄も差し止めます。このまま直ちに江戸海へ帰るつもりです。 二度の集会は大君〔※将軍〕の威権を削りますなどの論は、勅書の真贋の論から事が起きました。一時の論でありますので、決して大君〔※将軍〕のためにならないことを相談をする、などの暴策を企むようですけれども、これではなく、この件はそのように心にとどめておいてくれますようにとの事。 フルベッキは英国女王から英人居留の者、普段から法を作るときの正不正の監察を頼むことがありますとの事。 フルベッキは言う。もし、ここでは双方完全に権を取り合いますといっても、初めの一念は止め難いものです。この期をぬかしこっそり出帆致し、薩長には必ず参るつもりと考えます。 摂海の遅速はあらかじめ推測し難くございますけれども、必ず明くる年の期限には、メリケンを始め各国参るはずでございます。この期限は決して一通りではない。 皇国の御大難事でございますので、ここに完全にフルベッキと領事館マンゴンの二人の論争にくじけ、引き続きメリケン水師提督に参って出会い、薩人の権謀は十分に運びませんのでと聞きます。 長崎にお出での最中の形勢とは大きく事情は変動致しますので、ガラナーダ出帆の時期になり書き記し、直ちにこのまま中松助作に託します。多忙に書き記し御推覧に入れます。ざっと目を通してください。以上。 六月十一日 荘村助右衛門 道家角左衛門様 ※同人=志を同じくする人。ここではフルベッキのこと。 ※時務=その時その時に応じた重要な仕事。その時の急務。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/378
379: ブログ転載 [] 2024/10/28(月) 13:42:20.86 肥後藩国事資料巻六 p855 八月三日、在長崎の荘村助右衛門は閣老小笠原長行の動静、諸藩兵の小倉撤退及び本藩の銃器弾薬購入などに関する報告を行う 〔慶応二年寅年 尊攘録探索書〕 慶応二年八月長崎から荘村の手紙が届く 昨日までに町方の炊き出しが一千人を超えますようなりました件をうかがい及び申します。 謹んで記し上げ差し上げます。去る二日午後四時頃、富士山(船名)が港内へ入津いたし、小笠原の仲間二百五十人ばかりで乗って参られ、直ちに西御役所へ上陸。 この夜、領主直轄保護林に壱岐国が参られ、幕吏の集議があり、塚原但馬守も二、三日前に参られましたとの内容は、先便で記し呈し差し上げました通りでございます。 この一、二日の流聞は、書生の予想雑話は枚挙にいとまがありません。なお、おいおい千人隊ならびに大監察使なども参りますはずとの事で、所々寺院五ヶ寺ほど借用になっており、町方に炊き出し方を仰せ付けられますとの風聞でございます。 昨三日四時過ぎ頃から、壱岐国は小舟で英領事官に参られ面会がありましたのを一見いたしました事。 佐賀探索の添島次郎・大隈八太郎は言う。小屋瀬本陣から足軽の者が早打ちで佐賀へ参り、この者が申し述べます内容では、熊本御人数は御退陣、柳川〔※筑後〕久留米も同様、佐賀も即刻引き揚げますとの内容を話し聞きます件を演説。 長崎丸艦将の芝精一から話し聞きました内容を、内藤泰吉から聞き取り書き、一通は小川方へ差し出します。ひらいてご覧くださいますようお願い申し上げます。 ただ今五代才助へ参りますところ、才助から書状一通を出して見せます。大意はこの辺りの流聞と大同小異でございます。 長州奇兵隊の論は芸州口の形勢はこのように。それなのに小倉口は因循を極め、一刻も早々と押し越え、小倉城だけは屠らないというのは叶い難いとの論はかねてから紛紜と論じます事情。五代は見させますと書状中で言う。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/379
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