【日本史】GHQに焚書された書籍 (542レス)
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382: ブログ転載 [sage] 2024/10/28(月) 15:16:36.59 >>379 >>380 壱岐国は誤訳で、小笠原壱岐守に変更。 p826に、この手紙がある。 七月二十八日、閣老小笠原長行は小倉の戦況を大阪の閣僚に報告す 〔尊攘録諸家建白ならびに届書等〕 小笠原壱岐守、小倉から大阪詰閣老へ http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/382
383: ブログ転載 [sage] 2024/10/28(月) 16:43:47.45 長崎の船の乗組員が大砲が発射されるとみんなデッキの下に隠れた手紙がここに書き込めない http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/383
384: ブログ転載 [sage] 2024/10/28(月) 16:45:16.03 なんで http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/384
385: ブログ転載 [sage] 2024/10/28(月) 16:46:32.43 それとも長州が壱岐守を襲う噂が流れてる手紙の内容がヤバイのか? http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/385
386: ブログ転載 [sage] 2024/10/28(月) 16:47:05.71 肥後藩国事資料六巻p879〜 八月六日、在長崎の荘村助右衛門は、幕府軍艦の集合、閣老小笠原長行の長崎退去、小倉戦争当時の幕府軍艦逡巡の状況などを、奉行田中八郎兵衛などに報告す http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/386
387: ブログ転載 [sage] 2024/10/28(月) 16:47:43.18 〔慶応二年丙寅年 尊攘録探求書〕 慶応二年八月六日、荘村長崎の報告 (前文は七月二十八日の条にあり) ただ今港内に滞舶の幕船富士山・翔鶴丸・長崎丸・回天丸、二十間〔※23.6m〕ばかり小形の蒸気船順道丸など、皆々港内へ滞舶いたしております。 小笠原公は、五ケ所の寺院を借り受け宿衛になり、昨日まで兵士の炊き出し方は千人を超え、今日明日とも、なおまた多人数が参りました。手当ての事情は、炊き出し方御代官の高木作右衛門手で受け持ちますとうかがいます事。 領主直轄保護林はもっぱら警衛組などを召集し、大小炮器を備え、もっぱら激徒防御の覚悟でございますとの事を、笹山東吾大炮組教示方にて極密にと言い、話し聞きます事。(八月三日) 英人ガラバーは言う。小笠原壱岐守は、昨日ポルトガル国商船に乗り組み、御目付が同行、大阪へ発帆になりますと言う。ドイツ人キニフル(人名)が話し聞きます内容も同様でございます。(八月五日) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/387
388: ブログ転載 [sage] 2024/10/28(月) 16:48:12.53 下付札 オランダ商館長ホートウィンも同様に話し聞きます。岡田摂蔵は言う。病院医生の話しで、ポルトガル商船へ乗り組みました事柄は、商館長が周旋致しましたとうかがいますと言う。(八月六日) 今日か明日中、歩兵隊五百人ばかりから、小倉佐賀を通行し長崎に着きますとの風聞でございます。(五日) 僕は言う。長州は道を大村に借り、港内に参り、壱岐守を襲いますとの風聞をもっぱら唱え、このために領主直轄保護林の動揺は甚だしい様子にうかがいますと言う。 五代は言う。この事は決してありません。唐津を襲いますような事は推測し難く、それもすぐに今の勢いでは力は及び難くあるに違いありませんと言う。 併せて壱岐守は帰路の蒸気船にもございますならば、海路を遮ります体の事は推測し難いですと言う(八月四日) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/388
389: ブログ転載 [sage] 2024/10/28(月) 16:48:44.41 御国の医生、愛甲謙益の弟子某は、今回回天丸に乗り組み、船中の働きは始終の様子。小川方へ呼び寄せたとうかがいます。 敵の軍艦ならびに陸台場より、しきりに放発致します時は、長崎乗り組みの者どもは残らずデッキの下に逃げ隠れ、壱岐人も甲板上に出て働きます者は無く、船の総督山中又左衛門(調役上役ないし武館英学館係)は、放発を始めますと直ちに船底に逃げ込み、動くことができませんとのことです。 芝精一はよく船を運用致し、ロシア人も称誉致したとのことです。回天丸は大船である。 この時入り込み、放発致しますならば、必条敵船を沈めるに違いない所、残念に思いますと言う。 同人はあまりに見かねて一、二発は手伝い打ち出しましたとの事。 皆々水底に逃げ入りますので、この医生は水底に入り罵り励ましましたから、剣客の先生は憤激いたし甲板の上に出ましたのを、直ちに敵の放弾で觸腰を打ち貫き、同人は生きることができないことを悟りましたのか指添〔※短刀〕を抜き自殺致しましたとのことです。このために一端甲板に出ました面々は再度船底に逃げ入りましたとの事。(八月四日) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/389
390: ブログ転載 [sage] 2024/10/28(月) 16:51:09.36 英水師提督キングは昨五日、港内を出帆いたします。この時は、越前窪村某は横浜からこっそり水師提督に願い同船致し当港へ参り、僅かに一日の滞留で直ちに北京へ参り、二十日ばかりで横浜へ帰りますはずの所、当港に参ります上、一七日ばかり滞り、その上唐国へ参りますとの事情と打って変わりました件、同人が直接聞いた話をうかがいました所、窪村はいまだ滞っておりますので、愚考では、水師提督は長州へ参りますのかと推察いたします。なお窪村へ尋ねますならば、わかるはずと思います。今日この書状を書き記しますので、なにぶん暇がなく、承諾します事柄及び、力がありません。 領主直轄保護林はもっぱら激徒襲来の防御と噂され、大小炮の用意、小散弾の製作に昼夜を分けず、ごたごた致します事情。 この時船底に逃げ入りました面々は警衛組につき、間違いなく右の御手当てを受けるつもりとの諸藩上下の物笑いでございますとうかがい(ママ)ます。 回天丸へ乗り組みます御国の医生は言う。この時高木作右衛門様三番目の弟は始終働き、水底に入り、剣を抜き、たびたび追い払い出します。羊の群の中で二人の虎を見ますようにありましたと言い、多くある後で送る手紙に書き記し差し上げるつもりです。以上。 八月八日 荘村助右衛門 田中八郎兵衛様 木村得太郎様 ※付札=指令・意見・返答などを記して本紙にはりつける紙札。貼り札。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/390
391: 日本@名無史さん [sage] 2024/10/28(月) 16:54:10.11 肥後藩国事資料巻六中の荘村の手紙部分終わり http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/391
392: ブログ転載 [sage] 2024/10/29(火) 16:10:07.60 >>382 p826 七月二十八日、閣老小笠原長行は小倉の戦況を大阪の閣僚に報告す 〔尊攘録諸家建白ならびに届書等〕 小笠原壱岐守小倉から大阪詰閣老へ 昨二十七日朝六時、長州の賊は蒸気船に乗り組み、門司〔※北九州市〕から上陸及び炮発、引き続き次々と多人数で上陸。長州領の炮台からも、しきりに発炮しますのに関連して、赤坂〔※北九州市小倉北区〕辺り一円を固めます。 細川越中守の先手の多くの人、ならびに小笠原左京大夫、同幸松丸近江守の多くの人も戦いのため出向き蔵敷(ママ)、炮撃は富士・回天・小笠原所持の蒸気船飛龍丸からも炮撃いたし、海陸を挟み蔵敷(ママ)炮撃いたしますけれども、賊兵は多人数で必死の決戦。あの軍艦・台場からも応撃いたし、賊徒の一手は新町の一ノ橋辺りまで侵入。一手は延命寺下本道まで、一手は大谷辺りまで迫り散兵になり、木陰谷間から小銃を発します。 味方の軍隊を配しますといっても、越中守の多くの人は格別に憤発になり、小倉一手の多くの人及び炮戦かつ千人隊をも引き分け、戦いのために出向かせ、共に越え、終いに賊徒は敗軍の色を顕しますので、御軍艦も破れ、軍の帰路を遮り、逆徒は皆殺しの手はずにて、富士艦は長州領の炮台を炮撃し、回天は賊船を打ち、龍丸は上陸の賊軍を炮撃し、陸地からは味方全軍が進み、賊軍に迫りますのにつけ、賊徒どもは大敗績。どこかにか散走いたし、門司浦辺から小舟で逃げ込みました者も少なからず、手負いなどで歩行ができない者は内裏浜に潜伏致しておりましょうかと見え、引き続き追討致すつもりでしたところ、日暮れになりましたので、要地へのみ多くの人を配置させ、総軍はひとまず引き上げ、このように申します。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/392
393: ブログ転載 [sage] 2024/10/29(火) 16:10:19.83 自分個人に関しても、昨朝から戦いのために出向き、海岸山間などを歩き回り、指揮を加え、戦争の様子を熟覧致しましたところ、海陸諸軍いずれも勇戦、特に回天御舟は抜群の気力で勇進致し、夕刻は下関まで迫り、攻撃の手はずにあります。 肥後にて討ち取って、多人数でいまだ判別できない首級は、三十八、九ほど打ち取ったので、右のうち、首級十六を今日実検致します。自分以外の小倉の多くの人に関しても、今日実検致しますはず。 討手〔※幕軍〕は余るほど(取カママ)いる様子であるといってもいまだ判別していない。同藩の貝津孫右衛門と申す者の討ち取りは、賊徒の首級の様子です。雑卒ではないように見受けますが判別していません。 肥後の多くの人のうち、手負い・討ち死もありますが、これまたまだ判別していませんので、おいおい判別を次第に進めるつもりです。以上。 七月二十八日 小笠原壱岐守 大阪同列二名宛 なおさらいっそう、昨日上陸の賊徒の多くは、長州府の家来ならびに奇兵隊などで、戦士およそ千人以上も上陸。是非とも小倉城辺りまで打ち入ります手はずで来れますでしょうか。この風評であります。 ※首級=敵の生首。 ※首実検=顔を見て氏名の確認をする。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/393
394: ブログ転載 [sage] 2024/10/30(水) 19:49:42.90 p280 〔慶応元丑年 開成所において横浜新聞紙を写し取り差し上げます控え〕 日本新聞第十七号 西暦一千八百六十五年十二月二十九日すなわち 慶応元年十一月十二日 横浜開版 英国勅使大臣ハルリー、パルケス〔※パークス?〕は日本と外国の交際中、最も緊要な時にあたって重大困難な事務を引き請け、付属の官吏と共に理非を説明し、正邪を糺して、ついに条約固保の約定を成就した。もちろんいまだ都合よく変革もないので、その功績は完全に成就するというのではない。条約固保が定まったのは、この上もなく喜ぶべき事であるけけれども、なおいまだ、即時にこれを施行する事ができないのは、実に惜しむべき事である。左にも論じるかのように、一日も早く新港をひらき、貿易を交えようとする事は、我らの切に希望するところである。 外国勅使らは、条約第十四条が行われるまでは、千辛万苦を甘にし、勉励して成功を願うのみ。 訳者が考えを巡らせるに、第十四条曰く、英人は各港に諸品物を輸入し、売り払い、または買い入れ輸入する事は自由であることがふさわしい。中略。双方の国人が品物を売買する事が差し障りないといっても、払い方などに関しては日本の役人であるから立ち合いはする云々。 今始めて一千八百五十八年(安政四年)の条約を固保する事が定まったので、だんだんその道が開けたと見えている。御老中はこれまで条約の施行を拒むのに用いた第一の防具は、すなわちいわゆる御門(みかど)の怒りという一物件を失っているので、あの第十四条のように、速やかに日本全国の人民と自由に和親貿易を通じさせない事ができないはずだ。 ※開成所=江戸幕府の洋学研究機関 ※固保=同じ状態をかたくたもつこと ※千辛万苦=さまざまな苦労や困難 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/394
395: ブログ転載 [sage] 2024/10/30(水) 21:30:18.54 ひどく否定すれば貿易を好んでいる諸大名にとっては、外国人と直ちに貿易することを許そうと言っている事が嘘であるから、江戸の民は独り占買を行うという理非を糺さないことは、決してあってはならない。 今ここに強弱が二党ある。弱党がもし約束に背く事があるならば、強党はよくこれを制し、相当の処置をもって罪を償わせるに違いない。それなのに強党は却ってほしいままに貪り我意に従って、約束を変えるとしても、敢えてこれを咎める者はいない。外国人がもし弱を助けるならば弱強は完全に上にただもう反するに違いない。 日本政府は今もなお、一千七百八十二年(天明二年)の法度を強いて行おうとするので、ただ今の要務はこの固陋の風習を除かせるより他はない。最終的に命令を国中に下して互市を許し、環海の諸港を開き、少し改革の端を発するならば、必ず愕然として悟るところあり。ついに時勢に従って諸事を行うに至るはずだ。 日本人が条約と違う事は必ずしも第十四条だけではない、しかしながら、吾が輩が大いに注目する所は、この条約に係わるまさしく現在の一大要務であろう。 その他第八条(日本の賤民を雇って英国の用に提供する事)第十条(貨幣の事)第十六第十七条(運上の事)などにおいても、また論じなければならない事があるけれども、その趣意を別々にするから一々ここに尽くし難い。 日本人は条約を固保しようとの約定が正実であるから、近日その証を見る事ができるに違いない。仮令は万事ことごとく整わないけれども、第十四条の要件は約定のように首尾よく行われるだろう。前文論じる所の件々は識者の定評を願う。(下略) 石川長次郎訳 ※固陋=古い習慣や考えに固執して、新しいものを好まないこと ※環海=国の四方をとり囲んでいる海。また、四方を海にとり囲まれている国。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/395
396: 日本@名無史さん [sage] 2024/10/30(水) 21:52:38.70 >>394 >>395 おもしろそうな記事があったから転載してみた 当時横浜などの外国人居留地で外国人が発行していた新聞を翻訳したものらしい。 1782年の法度ってなんだろう 天明二年は天明の大飢饉の年で、天明年間に田沼親子が死んだり、徳川家斉が将軍になったりした。 1792年だったら、ロシア最初の遣日使節アダム・ラクスマン一行が、帆船エカテリーナ号でオホーツク港を出港し、同年10月20日に根室に入港した。 クジラ漁の補給とかいろいろ理由つけて開国要求してたけど、ただただ、自由に貿易させろよという理由で、現代にも続くジャイアン気質がよく表れている新聞。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/396
397: 日本@名無史さん [sage] 2024/10/31(木) 18:44:21.91 おもろいから図書館返却まで日本新聞の転載することにした http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/397
398: 日本@名無史さん [sage] 2024/10/31(木) 23:33:59.61 現代語に直す作業もくずし字を読む作業もだんだんAIができるようになっているからチマチマ5chに書き込むのも無駄な作業かとも思うが今やることに意味があると思って続けよう http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/398
399: 日本@名無史さん [sage] 2024/11/01(金) 15:34:52.85 p287 〔慶応元丑年 開成所において横浜新聞紙を写し取り差し上げます控え〕 日本新聞第十三号 西暦一千八百六十五年十二月一日すなわち慶応元年乙丑十月十四日横浜刊行 去月二十七日すなわち我が国の十月十日英船プリンセス、ロヤール、ペロリニス仏船ドブレイ、キンサン、オランダ船ソウトマン以上五艘は、兵庫港から当港に帰帆したことにより各国在留人へ左の回覧文書を出した。 ○ 神奈川在留英国コンシュル館において 一千八百六十五年十一月二十七日我が国の十月十日 英国勅使全権大臣日本在留ミニストル〔※公使〕 ハルリース、パルケス君より左の内容を申し越されたのにおいて、当港在留英国人一同へ及び通達するものである。 コンシュル マルキュス、ソロウェルス 別紙 この度勅使パルリース、ハルケスは、フランス・メリケン・オランダ三ヶ国の使臣と共に大阪に赴き談判の上、左の三ヶ条を取り決めましたので、この件令を布告するものである。 第一 大君〔※将軍〕と洋外諸国との条約の事柄この度 日本皇帝から免許がありました事 第二 輸入貨品租税の事柄につき不適当なそれぞれ改正の事柄は、近日江戸において取り扱いになりました事 第三 兵庫ならびに大阪を開きます件は、去る一千八百六十二年ロンドン府において会議がありました時、取り決めました日限まで延引になりました事 原註(メリケン文同じ。フランス文には巴勒会議とあり、オランダ文には一千八百六十八年第一月一日(来卯年十二月某日)までとあり、考えるに、文は異なるといっても期限は同じであるに違いない) ただし時の模様により、右期限に先立ち開港になります事もあるだろう事 以上 英国勅使全権日本在留ミニストル ハルリー、ス、パルケス 大阪港において十一月二十五日(我が国の十月八日) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/399
400: ブログ転載 [sage] 2024/11/01(金) 16:04:22.90 ○他三ヶ国の回覧文書はいずれも大抵同文言であるのをもってこれを略す フランスはミニストル〔※公使〕 レオン、ロセスの名を記し、メリケンの回覧文書はチャルジダツヘイルス ポルトメンの名印があって、コンシュル ゼオルゼ、スビスセルがこれを布告し、オランダ文はコンシュル〔※領事〕 フワン、デル、タックから出る者で、ミニストル デ、ガラーフ、フワン、ポルスブルックの姓名を記し、各国の詞をもってこれを布逹した。 ○ 今あえて、四方の読者君子に報告しようと望むのは別事ではない。この度日本皇帝は去る一千八百五十八年の条約を許し、かつ去る一千八百六十四年英国ロンドンにおいて同盟諸国会議の時の、書載である諸ヶ条を許容した事である。 さて、アールコックの見込みに従えば、償金は払われるに違いないはずで、例えば兵庫は日本政府の好みではないので、来る一千八百六十八年までは開港し難いはずである。 今言うところの諸ヶ条について、 日本皇帝からの勅許は容易には得難い事どもで、実に前週日にはとても成功なき事と思い切ってしまった。 それなのに、にわかに 大君〔※将軍〕が出先から帰る沙汰に及び、すでに御出発になり、その上一橋公を筆頭とし、その他御老中数名が参内に及び、皇帝と御面会し、手詰まりの議論に及び、ついに勅許の手続きに至った。 風評では、高遠で雄大な議論の時に当たり一橋公におかれては、天子がもし条約を許すことなく、あまつさえ外国人を日本の地に入れる事を許さなかったならば必ず切腹するだろうと言葉を述べたと。もともとこの公におかれては賢明の性質であるから(私の)考えと同等である。 天子が勅許を下さないならば、自然と外国人と戦争に及び、万民は塗炭に苦しむだろう。そうならば生きてこれを見るだろうより、むしろ死ぬのがよいとの事であるに違いない。これは日本人の気性に従い吾が輩が評するところである。 禁裏で御老中一橋公大目付その他諸役人が列座で、 皇帝と面会におかれての議論は実に華々しい事どもであると言っている。 この度の西海道〔※九州地方〕行きで、諸国の全権は、 日本皇帝の自手で名を書し、かつ、印を押したと言う書き付けを手に入れた。しかしながらその全権などは、公家衆は一人も見ないから、また談判事は、あらゆる事柄は、 大君〔※将軍〕の臣下が取り扱う所で、公家衆は一人も談判について外国船に来る事がなかった。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/400
401: ブログ転載 [sage] 2024/11/01(金) 16:04:45.62 これによって吾が輩が疑うことには、その名前書きならびに印ともに、 皇帝の自手ではない。しかしながら、強いてこれを偽物とするのもまた証拠がない。かつまた外国人が西海道〔※九州地方〕にいる時、御老中と応接したのもただ三度であると言っている。 ○ 今まで外国人の仕方は大君〔※将軍〕に実に国君の名号を保たせ、かつ実権を握らせようとした。ではあるが、ついに成功の期はない。大君〔※将軍〕の威権は影で、その名号は虚である。 その一、二を挙げて言うならば、以前リチャルゾンが殺戮を被るという時、現に犯人がありながら、これを裁判所に呼び出すという権はなく、理非を問わず償金を取られた。 現在の事を言えば、五ヶ月以前から大師団を率いて進発しながら謀叛人の長州を征するという力なし。 日本の政事者は皆支那をもって手本とするゆえに、大事に臨み事を誤ることが多い。ではあるが、日本役人中には人品卑しからず、勇敢で少年の意気を保っている者が往々にいる。 今の時に当たり、もし太閤秀吉のような英雄があり、将軍の職にあり、その先祖のように智勇を兼備し、三港が開けた後、好機会を見失わないという見識があって、厚く外国と交際したならば、莫大な人命を損なわず、あるいは数多の金銀などを費やさず日ならずして、 皇帝の掣肘を免れ、自ら独立の国君となるだろう事は、手を返すかのようであろう。 大阪について通商が始まるならば、横浜の交易は衰えるだろうか。いや、これは後日詳説するつもりだ。 十一月二十一日訳成 鈴木唯一 訳 ※巴勒=バールレ=ナッサウ https://zh.m.wikipedia.org/zh-tw/%E5%B7%B4%E5%8B%92 ※掣肘=わきから干渉して人の自由な行動を妨げること http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/401
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