【日本史】GHQに焚書された書籍 (542レス)
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12: 2024/09/07(土)20:57 AAS
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(五)桃山時代の芸術
秀吉の大業は不幸にも中途で終わったが、その豪壮な気象は一世を動かし、その風はおのずから当時の芸術の上にあらわれている。あるいはこの逆に、ルネッサンス的時代の趨勢が、秀吉を動かしたものかもしれない。
ともかくもこうした時代の事であるから、芸術の方面では粉飾燦爛(さんらん)・趣致壮麗・規模広大、いわば豪放華麗なものとなって、意匠斬新という事はできるが、少々通俗的傾向を持っていたとも言える。
絵画ー秀吉が大阪・伏見の二城、聚楽第など雄大な構えをつくり、諸将はまた暇を得て安慰を要求し、天下の書家が畢生の技量を発揮するようになり、書家としては狩野派に元信の孫永徳が出ている。
永徳は当代の代表的書家で、その筆は雄健をもって聞こえ、安土城にその霊筆をふるい、秀吉の聚楽・大阪城においては金壁に書いている。
従って求める者は多く、盛んに大書を作成したから、大書の妙に至っては古今独歩と言われる門下に妙手は少なくないが、山楽最もあらわれ、狩野の正伝を継承した。
山楽は近江蒲生郡の人、幼児秀吉の近待となり、ある普請場の巡視に随行した時、たずさえていた杖で、巧みに砂上に馬を書いたので、秀吉はこれを見て大いに感じ、命じて永徳に学ばせた。
のち彩色、書に長じ、聚楽第や伏見城の金殿を飾った。今日京都の寺院にはその遺作が多く残っている。長谷川等伯もこの時代の大家であり、狩野派から出て雪舟派つまり宗元書派に変じ、狩野派に対抗した。
彫刻ーこの時代には仏像彫刻に見るべきものはない。ただ方広寺の五丈八尺五寸の大仏をあげねばならぬが、これは寛文六年の震災で、今は見ることができない。
特色ある彫刻は、建築装飾としての彫刻で、西本願寺鴻の間(伏見城遺構)の牡丹に唐獅子、雲に麒麟、豊国神社唐門(伏見城遺構)の丸彫の鶴、皆当代独自の妙技をあらわす名作である。
彫刻家として有名な左甚五郎は、当代の末から江戸の初期にかけていた人、京都伏見に住んだ木工頭であったという。
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