【日本史】GHQに焚書された書籍 (542レス)
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141: [sage] 2024/09/24(火) 16:15:26.22 p116 第四十二 外来船の来航と海防 学習目的 国内においては尊皇論が起こり、 だんだん国民思想が転回しようとするという時、外国船がしきりに我が国へ来航することとなり、国内の事情は一変して、これに対処するための途(みち)を講ずるに至ったことを学習させ、国家と国際国防と平和などについて認知感得するところがあるようにさせる。 学習事項 (1)国内の形勢は一変しようとする 内では尊皇の論がだんだん盛んになるのに対し、外では外国の刺激が次第に加わって、国内の形勢はまさに一変しようとしてきた。 先に天文十二年ポルトガルの商船が種子島に漂着してから、ポルトガル・スペイン両国の船が我が国へ来て、次いでオランダが後陽成天皇の時代(二二六二年)通商を許され、イギリスが後水尾天皇の慶長十八年(二二七三)通商を許されて、これら四国の往来繁く、日本人の足跡もまたいたるところに印せられたのであったが、寛永十六年鎖国の後は彼ら我らの交通は全く遮断され、西洋ではオランダ、東洋では支那だけが僅かに西隅長崎に来るだけで、黒船の影が日本人の目に触れないこと百数十年、明和・安永の外交に至って欧州との接触が再び起こった。 イギリスは南から、ロシアが北から、アメリカが東から我が国に迫って来た。イギリスの建国は淳和天皇の天長四年(一四八七)であるが、以来王家は度々代わり、時には共和政治となった事もある。慶長五年(二二六〇)我が国においては関ケ原で戦っているのに、彼の国においてはエリザベス女皇の時代で、その十二月東インド会社を設立していた。この会社を根拠として、だんだん商業主義から侵略主義に転換し、フランスと衝突しながらこれに勝ち、インドにおいては絶対の勢力を持っていた。 のち明治十年ビクトリア女皇がインド女帝の称号を兼ねるに及び、純然たるイギリスの属領となった。このインド経路に成功しつつあった勢いで、オランダを圧して東洋貿易の利を独占するという志があり、南方から我が国に迫ろうとしたのである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/141
第四十二 外来船の来航と海防 学習目的 国内においては尊皇論が起こり だんだん国民思想が転回しようとするという時外国船がしきりに我が国へ来航することとなり国内の事情は一変してこれに対処するための途みちを講ずるに至ったことを学習させ国家と国際国防と平和などについて認知感得するところがあるようにさせる 学習事項 国内の形勢は一変しようとする 内では尊皇の論がだんだん盛んになるのに対し外では外国の刺激が次第に加わって国内の形勢はまさに一変しようとしてきた 先に天文十二年ポルトガルの商船が種子島に漂着してからポルトガルスペイン両国の船が我が国へ来て次いでオランダが後陽成天皇の時代二二六二年通商を許されイギリスが後水尾天皇の慶長十八年二二七三通商を許されてこれら四国の往来繁く日本人の足跡もまたいたるところに印せられたのであったが寛永十六年鎖国の後は彼ら我らの交通は全く遮断され西洋ではオランダ東洋では支那だけが僅かに西隅長崎に来るだけで黒船の影が日本人の目に触れないこと百数十年明和安永の外交に至って欧州との接触が再び起こった イギリスは南からロシアが北からアメリカが東から我が国に迫って来たイギリスの建国は淳和天皇の天長四年一四八七であるが以来王家は度代わり時には共和政治となった事もある慶長五年二二六我が国においては関ケ原で戦っているのに彼の国においてはエリザベス女皇の時代でその十二月東インド会社を設立していたこの会社を根拠としてだんだん商業主義から侵略主義に転換しフランスと衝突しながらこれに勝ちインドにおいては絶対の勢力を持っていた のち明治十年ビクトリア女皇がインド女帝の称号を兼ねるに及び純然たるイギリスの属領となったこのインド経路に成功しつつあった勢いでオランダを圧して東洋貿易の利を独占するという志があり南方から我が国に迫ろうとしたのである
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