【日本史】GHQに焚書された書籍 (533レス)
上下前次1-新
175(1): 09/29(日)01:17 AAS
オランダ商館長クルティウスからの別段風説書でペリー来航を予告しオランダとの条約交渉を拒否ったのは海岸防禦御用掛のWikipediaに書いてあったの消されてなかった見つけた。>>74
「嘉永5年(1852年)、長崎に着任したオランダ商館長ドンケル・クルチウスは、別段風説書によりマシュー・ペリー率いるアメリカ東インド艦隊の来航を予告し、かつ砲艦外交に屈して開国するよりはオランダと平和的に通商条約を結ぶことを提案した。阿部は当時海防掛であった、松平近直、石河政平、川路聖謨、竹内保徳等に諮問したが、条約交渉には応じるべきではないとの回答を得ている。
嘉永6年(1853年)6月、オランダから予告されていた通り、フィルモア大統領の親書を携えたペリー艦隊が浦賀沖に来航(黒船来航)して浦賀奉行戸田氏栄らを通じて日本の開国と条約の締結を求めてきた。ペリー来航当時、時の将軍徳川家慶は死の床にあり、国家の一大事に際して執政をとるなど適わない状態であった。幕府は一旦は親書を受け取り、実際の交渉は翌年に行うという条件でペリーを退去させた。
阿部は川路聖謨と松平近直以外の海防掛を順次外し、幕臣から堀利煕、岩瀬忠震、永井尚志、大久保忠寛を抜擢した。この人事により、海防掛は諮問機関から行政機関へと変貌し、また開国の準備が整った。幕臣からは水野忠徳、土岐頼旨(再任)、筒井政憲、井上清直等も海防掛に任官している。韮山代官であった江川英龍も加わった。」
海岸防禦御用掛
外部リンク:ja.m.wikipedia.org
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 358 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.006s