【日本史】GHQに焚書された書籍 (519レス)
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20: 日本@名無史さん [sage] 2024/09/09(月) 07:37:54.14 p34 (三)幕府の組織整う 大徳院秀忠は家康第三の子、慶長十年七月二十八日将軍の宣旨を蒙る。以来十九年の在職中、はじめの十二年間は万事父家康意思によって幕制をとる。その後といっても同様で、亡き父の意に違うようなことをする人ではなかった。 秀忠は篤志、謙遜の徳が備わり、孝心に類いなく、万事において、みな大御所のお教えを受け、少しも自分の心にまかすことはなかったと徳川実紀はほめている。 また秀忠は恭倹慈和・天性示孝・寛厚謹厳であったと野史はいっている。これによって大方その人物は察せられるが、この人格をもって彼は遺憾なく守成の功を全うしたから、徳川幕府の基礎はいよいよ固まったと見ることができる。 家光は慶長九年七月十七日、西の丸において、秀忠に子の長子として生まれ、女丈夫の名のある乳母春日局の心をこめた育成によった上で、天性英明の人であった。 かつて天海が「神祖(家康)は万事に通達おありになってよく人情世態におわたりになられたので、何事を申し上げるにも安らかで滞るところがなかった。台徳院(秀忠)殿にも御資質温柔でありましたので、同じようにあったが、当代は極めて聡明英武でおありになったからであろうか、何となく申し上げにくい」と言い、人見友玄宜卿は「いかにもおそろく見上げ奉った」と言っているのを見ても、聡明英武にうたれるような人であったらしい。 彼は元和九年七月二十七日将軍となったが、これを補佐するのに名臣をうち揃え、中でも土井利勝・阿部忠秋・松平信綱の三人が最も名高いものである。 利勝はその政事を議するや、今までは必ず狭い部屋において密議を凝らすのを例としていたが、利勝は大広間の中央に席を設け、四方の襖を明け広げて議したという思慮深い人、忠秋は性鶉を愛していた。 麹町に鶉を飼う者があり、その声は甚だよい。忠秋は欲しいけれども、値が高くて買うことができなかった。ある人は、忠秋の意を推察して、この鶉を買って忠秋に贈った。他日忠秋は「我仮にも重任を帯びる身が、このような玩具をなすべきではない」と言って、家来を使ってことごとく鶉を放たせ、よって賄賂の道を絶ったという廉直の人、信綱は機智に富み、知恵伊豆と言われたひとである。 しかも家光はもっぱら心を政治にとどめたので、家康の事業はここに完成され、幕府の組織も大いに整った。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/20
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