【日本史】GHQに焚書された書籍 (542レス)
上下前次1-新
223(2): 2024/10/03(木)11:50 AAS
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秀吉は事業において信長の志をつぐと共に、この勤王精神をも継承した。勤王精神を中心として天下を統一したのであり、天下を統一して勤王精神を本物にしたのである。
秀吉は天正十三年七月朝廷から関白を授かり、十四年十二月太政大臣となり、豊臣の姓を賜り、天正十九年関白を秀次に譲って太閤となった。かの聚楽第は天正十五年九月頃に落成したもの。京都内野の地、方千間に出来た大邸宅である。秀吉は前田玄以に命じて御陽成天皇の行幸を願い申し上げ、天正十六年四月十四日いよいよ行幸となった。行幸の鹵簿は十五丁も続き、秀吉自ら文武文官を率いて、風輦に御供お仕え申し上げて、遠近から集まった拝観者は「予想もしなかった今日また太平を見るだろうとは」と言って涙を流して喜んだ。風輦が着すると着座式があり、直ちに饗宴や歌の会が開かれた。
とりわけ今日は待つ甲斐があるなあ 松の枝が
待望の(皇室と臣下の)代々の契りを枝に掛けてしきりに見せていることよ ー御製ー
(松を聚楽第に例えて臣下の秀吉が天皇の御代を復活させた功績を見ている。今まで天皇はないがしろの戦国時代だったので。)
万代(よろずよ)の帝が行幸においでになりなさるはずだ
みどりの木が高く軒のような高松に ー秀吉ー
(天皇の歌の御製への返答)
翌日は舞楽の展覧であった。
省7
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