【日本史】GHQに焚書された書籍 (533レス)
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246: 10/05(土)16:23 AAS
p174 第四十六 辺境の開発 隣国との修好

学習目的

明治維新が成功し内地がだんだん整頓するにつれ、北海道拓殖の業は進み、千島樺太交換のことは決し、台湾事件を経て支那と修好し、琉球問題も解決し、江華島事件を経て朝鮮と修好し、こうして我が南北の辺境は整理開発され、隣邦とは次第に親密の度合いを加えるに至った次第をわからせ、国家的発展を中心として認知感得をさせる。

学習事項

(1)北海道の開拓

江戸時代には、蝦夷の地は松前氏の領するとことであったが、文化四年に北辺警備の上から、一旦幕府の直轄地としたが、同年さらに松前氏に還付し、安政二年再び函館付近を公領とし、函館奉行に命じて管轄させていたうちに大政奉還となり、明治二年函館の乱平定の後は、政府は蝦夷地を開拓しようとし、二年六月鍋島直正を蝦夷開拓総督とし、二年七月直正を開拓使長官に任じ、移住者には分に応じて土地を貸与することとし、八月北海道と改称して十一国八十六郡とした。
この月東久世通禧を長官として、土民愛撫、住民を撫育した。三年五月に黒田清隆が開拓次官となったが、十月に至って西洋開拓事業を視察のため出発し、四年六月に帰朝した。この時から十年計画を立てて年々巨費を投じることとし、七年には黒田が長官となり、土人をいたわり教化に努めると共に、林野を開き産業を興して内地の移住民を招き、開拓の事業は大いに進み、八年には屯田兵の制を布(し)き、国防と開拓を兼ねさせた。十五年になると開拓使を廃止して、札幌・函館・根室の三県としたが、十九年改めて北海道県を置き、屯田兵を廃止して師団をおき今日に及んでいる。
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