【日本史】GHQに焚書された書籍 (542レス)
1-

304: 2024/10/13(日)06:34 AAS
私ども大和民族は、それまで千年以上の永きに亘って「神仏習合」というかたちで穏やかな宗教秩序を維持してきた。
平たくいえば、神社には仏様も祀(まつ)って別(わ)け隔てなく敬ってきたのである。
これは、極めて濃厚にアジア的多元主義を具現する習俗であったといえる。
それをいきなり廃止せよと命じ、神社から仏教的要素を徹底的に排斥することを推進し、ご神体に仏像を使用することも禁止したのである。
これが、全国的に大々的な廃仏運動を燃え盛らせたのだ(平成日本人は、「神仏習合」が大和的な、おおらかで自然な姿であったことも分からなくなっている)。
今、近代と呼ばれている私たちの世界は、一元主義によって行き詰まりを迎えているといえるだろう。
かつての東西冷戦も現代の西欧社会とイスラム社会の衝突も、一元主義と一元主義の対立である。
一元主義同士の戦いを一元主義によって収束させることは、残念ながら無理なのだ。
薩長権力が一転して狂ったようにかぶれた西欧文明はまもなく確実に終焉を迎えるであろうが、それは言葉を換えれば一元主義の破綻といっていい。
もともと大和民族は、多元主義的な生態を維持してきた故に、多少の混乱期を経験しながらも長期的には平穏な生存空間を、政治的な版図(はんと)を超越して維持してきたのである。
単に島国であったから、という地勢的な理由だけに頼るのは余りにも稚拙というものであろう。
ところが、薩摩長州の下層階級が最初にかぶれた思想とは実に浅薄なもので、単純な平田派国学を旗印に掲げ、神道国教、祭政一致を唱えたのである。
これは、大和民族にとっては明白に反自然的な一元主義である。
ここへ国学の亜流のような「水戸学」が重なり、もともと潜在的に倒幕の意思をもち続けてきた薩長勢力がこれにかぶれ、事の成就する段階に差しかかって高揚する気分のままに気狂い状態に陥ってしまったのだ。
1-
あと 238 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.004s