【日本史】GHQに焚書された書籍 (542レス)
上
下
前
次
1-
新
337
: 2024/10/15(火)20:16
AA×
[240|
320
|
480
|
600
|
100%
|
JPG
|
べ
|
レス栞
|
レス消
]
337: [sage] 2024/10/15(火) 20:16:52.23 p223 第五十 条約改正と法典の編纂 学習目的 明治三十二年改正条約が実施されるに至った次第と、その頃の法典編纂の進捗についてわからせ、内地外交上の顕著な発展を認知感得させるのである。 学習事項 (一)条約改正に努む 安政五年(二五一八)に条約の草案を議した際には、法権・税権など、不面目・不利な点が少なくなかった。すなわち法権においては治外法権を、税権においては不対等関税を認めたのであった。この不平等な条約が、安政五年六月井伊直弼によって調印され、万延元年(二五二〇)新見正興を米国に遣わせて批准交換を行った。この条約は特許を受けていなかったから、世に仮条約といい、それが勅許されたのは、慶応元年であった。 この条約によって我が国に在住する外人の横暴跋扈は制するのに手段がなく、常に国民非憤の種となっていたが、明治政府はこの負債をそのままに継承したのみか、さらに負債を借り増した事実もある。すなわち明治二年にオーストリア=ハンガリー帝国と新たに通商条約を結んだ時には、外国公使団を牛耳っていた英国公使パークスが、自分の公使館に宿泊させていたオーストリア=ハンガリー帝国公使の代理となって、我が国の外務卿沢宣嘉と折衡して、うまく日本の権利を縮小し、そうしてから諸外国はオーストリア=ハンガリー帝国の最恵国権利利益を平等に受けさせることとしたのである。後日大隈重信の懺悔するところによれば、「この当時は治外法権とか最恵国条項とかいうものも実は明らかではなく、オーストリア=ハンガリー帝国との条約でも、さほど不利ではないと思っていたが、おいおい経験してみると、はじめて不当な条約であることがわかった」と言う。果たしてそうであるなら、安政においては国力の不足から、明治のはじめは知識の不足から、不利・不面目な条約を結んだことになる。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/337
第五十 条約改正と法典の編纂 学習目的 明治三十二年改正条約が実施されるに至った次第とその頃の法典編纂の進捗についてわからせ内地外交上の顕著な発展を認知感得させるのである 学習事項 一条約改正に努む 安政五年二五一八に条約の草案を議した際には法権税権など不面目不利な点が少なくなかったすなわち法権においては治外法権を税権においては不対等関税を認めたのであったこの不平等な条約が安政五年六月井伊直弼によって調印され万延元年二五二新見正興を米国に遣わせて批准交換を行ったこの条約は特許を受けていなかったから世に仮条約といいそれが勅許されたのは慶応元年であった この条約によって我が国に在住する外人の横暴は制するのに手段がなく常に国民非憤の種となっていたが明治政府はこの負債をそのままに継承したのみかさらに負債を借り増した事実もあるすなわち明治二年にオーストリアハンガリー帝国と新たに通商条約を結んだ時には外国公使団を牛耳っていた英国公使パークスが自分の公使館に宿泊させていたオーストリアハンガリー帝国公使の代理となって我が国の外務卿沢宣嘉と折衡してうまく日本の権利を縮小しそうしてから諸外国はオーストリアハンガリー帝国の最恵国権利利益を平等に受けさせることとしたのである後日大隈重信の悔するところによればこの当時は治外法権とか最恵国条項とかいうものも実は明らかではなくオーストリアハンガリー帝国との条約でもさほど不利ではないと思っていたがおいおい経験してみるとはじめて不当な条約であることがわかったと言う果たしてそうであるなら安政においては国力の不足から明治のはじめは知識の不足から不利不面目な条約を結んだことになる
上
下
前
次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
あと 205 レスあります
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
ぬこの手
ぬこTOP
0.089s