【日本史】GHQに焚書された書籍 (542レス)
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2024/11/10(日)21:47
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440: ブログ転載 [sage] 2024/11/10(日) 21:47:30.48 p274 一、韓国政府の内政は、日本はこれを指導すること 一、その他六条 明治四十年七月二十四日 光武十一年七月二十四日 ここに至ってますます保護の成果を挙げ、韓国の多年の幣政は刷新されるという機運に達した。次いで四十年十月我が国の皇太子嘉人親王は、親しく韓国皇室を訪問なさり、また韓国皇帝は、その皇太子英親王を我が国の皇室に託して、東京に留学させなさり、両国の関係はますます親密となった。 越えて四十二年六月、伊藤博文は職をやめて枢密院議長に転じるや、副統監曽根荒助が代わって統監となり、さらに韓国と約束して日韓覚書を交換した。 一、韓国の司法権は日本に委託すること 二、その他三条 明治四十二年七月十二日 隆熙三年七月十二日 (二)韓国を併合する こうして韓国を我が国の保護の下に置くことはここに四年ばかり、韓国の古くから続く悪習は次第に改善されたといっても、国内の民情は常に平静を欠き、ややもすれば暴動を企てる者がいて、民はそこで安楽に暮らせず、韓国は自らその国事を処理して、あえて東洋の平和を乱す事がない時期は、いつに来るはずかがわからない。 ここにおいて韓国をすっかり我が国に併合するのではないなら、相互の国利民福をすすめ、かつ東洋の平和を永遠に保つことは不可能であるのは一般識者の認めるところとなっていたが、四十二年十月公爵伊藤博文が満洲で遊ぶや、二十六日ハルピン停車場において、韓人安重根が狙撃するところとなって薨去した。ここにおいて十二月四日に至り、一進会会長李容九は、会員一万名以上の連署をもって、日韓併合を希望する旨を、韓国皇帝に奏上することがあり、我が国の在野の士はまた、根本的な解決を絶叫するに至った。 この間にあって帝国政府は、既定の方針に基づいて着々その歩をすすめ、四十三年五月統監曽根荒助は病をもって辞職するや、陸軍大将寺内正毅は現職のまま統監を兼ね、七月堂々かつ厳粛に京城に入り、この時から韓国総理大臣李完用と数回の会見を重ね、ついに韓国併合の条約を帰結するに至った。併合条約の全文は次のようである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/440
一韓国政府の内政は日本はこれを指導すること 一その他六条 明治四十年七月二十四日 光武十一年七月二十四日 ここに至ってますます保護の成果を挙げ韓国の多年の幣政は刷新されるという機運に達した次いで四十年十月我が国の皇太子嘉人親王は親しく韓国皇室を訪問なさりまた韓国皇帝はその皇太子英親王を我が国の皇室に託して東京に留学させなさり両国の関係はますます親密となった 越えて四十二年六月伊藤博文は職をやめて枢密院議長に転じるや副統監曽根荒助が代わって統監となりさらに韓国と約束して日韓覚書を交換した 一韓国の司法権は日本に委託すること 二その他三条 明治四十二年七月十二日 隆三年七月十二日 二韓国を併合する こうして韓国を我が国の保護の下に置くことはここに四年ばかり韓国の古くから続く悪習は次第に改善されたといっても国内の民情は常に平静を欠きややもすれば暴動を企てる者がいて民はそこで安楽に暮らせず韓国は自らその国事を処理してあえて東洋の平和を乱す事がない時期はいつに来るはずかがわからない ここにおいて韓国をすっかり我が国に併合するのではないなら相互の国利民福をすすめかつ東洋の平和を永遠に保つことは不可能であるのは一般識者の認めるところとなっていたが四十二年十月公爵伊藤博文が満洲で遊ぶや二十六日ハルピン停車場において韓人安重根が狙撃するところとなって去したここにおいて十二月四日に至り一進会会長李容九は会員一万名以上の連署をもって日韓併合を希望する旨を韓国皇帝に奏上することがあり我が国の在野の士はまた根本的な解決を絶叫するに至った この間にあって帝国政府は既定の方針に基づいて着その歩をすすめ四十三年五月統監曽根荒助は病をもって辞職するや陸軍大将寺内正毅は現職のまま統監を兼ね七月堂かつ厳粛に京城に入りこの時から韓国総理大臣李完用と数回の会見を重ねついに韓国併合の条約を帰結するに至った併合条約の全文は次のようである
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