【日本史】GHQに焚書された書籍 (542レス)
上下前次1-新
473: ブログ転載 2024/11/16(土)12:36 AAS
p301
学習参考
(1)挿絵解説
「黒田清輝の画」は前田侯爵家所蔵の「夜業」という油絵である。色彩がないのは実に遺憾である。清輝は明治十七年にフランス国に留学し、二十六年に帰朝した。久米桂一郎と共に美術界に新鮮味を見せたものである。明治二十九年東京美術学校に洋画科が新設されるや、二人は教授になった。
「高村光雲の作」は宮内省の蔵品で、御依頼によって献じたものである。光雲は明治の初年、世をあげて旧習打破にかかった時、仏師東雲の店でこつこつ仕事をしている一職人に過ぎなかった。当時は有名な本所さざえ堂の観音像が、その金箔の地金として売り払われるという時で、光雲がかけつけて、その中の逸品五体を一円八十銭で買い取ったことがある。このような不遇の間にも、彼は辛抱強く、好きな道に精進したのが後年世に現れるに至った基となったもので、彼は竹村久一と共に日本彫刻の代表的作家であった。彼は仏像彫刻にその技を発揮したが、それだけでは時代に合わないので、取材の範囲を極めて広くした。彼は写真を取り入れて、ついに一家をなしたのである。挿絵によって日本彫刻を知らせるばかりでなく、西洋の写実主義による彫刻との調和も味あわせる。年輪を利用して毛に見せ、その形といい気品といい、たしかに逸品である。
「皇后東京慈恵医院に行啓しなさる」絵は、聖徳記念絵画館画題考証図五姓田芳柳筆によったもの、この病院は明治十五年高木兼寛はこれを建て、皇室恩賜金及び有志の寄付金をもって維持し、貧困病者の施療を行ったが、その開業式に行啓された時の写真がもとになっている。今看護婦に抱き起こされた子供が、女官から皇后のお見舞い品玩具を受け取ろうとしているところ、皇后の側にいるのは院長高木兼寛である。皇后はこの時色々と見舞いの言葉を賜り、かつ見舞いの品まで賜った。皇后の御仁恵・御高徳を景仰し申し上げなければならない。
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