【日本史】GHQに焚書された書籍 (517レス)
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486: ブログ転載 11/18(月)12:57 AAS
p318
(5)戦時の外交

戦争中大正六年九月四日、英・仏・露三国は、ロンドン宣言の名によって同盟条約を帰結した。

第一項 フランス国・ロシア国及びイギリス国政府は、現戦争中は単独で講和してはならないことを相互に約束する。
第二項 右三国政府は講和条件を議する場合において、いずれの同盟国もあらかじめ他の同盟国の同意を経ないで講和条件を要求してはならないことを約束する。

こういう意味の条約であった。当時駐仏大使石井菊次郎は是非この条約宣言に加わっておかなければならないと、我が国の政府に申し越した。時の外相加藤高明は、日英同盟があるから、それは二重の手間ではないかと同意しなかったが、そのうちに石井子爵が外務大臣となってかえるようになった。石井子爵は時の総理大隈重信の了解を得て、フランス国を立つときに英仏当局と面議して、ロンドン宣言に加入の内意を伝えてかえり、後についにこれに加入したので四国同盟が成立し、これにイタリアが加入して五国同盟となった。やがてロシア国が革命のために、これを抜けて、米国が加入し、「主要連合国」の名で平和会議に華々しい活動をするに至った。

(三)平和条約を結ぶ

戦時中ロシアが単独講和をしたので連合側もやや不利であったが、大正七年にはブルガリアが倒れ、十月トルコ・オーストリア=ハンガリーが相次いで屈服し、そのうち十一月に至ってドイツに革命が起こり、十一月十一日ついにドイツは無条件をもって休戦条約に調印した。
ここにおいて連合国の講和委員は、フランス国パリの西方のベルサイユに集った。この会議に集った連合国は二十七ヶ国、代表六十七名に及んだ。大正八年二月以来、米国大統領ウィルソンが提唱した十四ヶ条を基準として会議を進め、国際連盟規約をも立案し、案が成立するに及び、五月七日から正式に会議を開き同月二十八日講和条約に調印された。
この会議の中心をなすものは、前述の五大国であった。我が国は西園寺公望・牧野伸顕・珍田捨大己・松井慶四郎・伊集院彦吉、英国は首相ロイドジョージ・バルフォーア・ミナルナー、米国は大統領ウィルソン・国務卿ランシング、フランス国は首相クレマンソー・ビション、イタリア国は首相オルランド・ソンニノなどを遣わせて委員とした。
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