【日本史】GHQに焚書された書籍 (533レス)
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504: ブログ転載 11/20(水)12:57 AAS
p335
大正天皇は元来蒲柳〔※虚弱〕の御質をもって、松柏〔※節を守り変えない〕の御心をお抱きなさったもので、御降誕後、三週目を出ないうちに脳膜炎様の御疾患におかかりなさり、御幼年時代には重症の百日咳、腸チブス、胸膜炎を経過され、御践祚以来、格別に内外の政務は御多端、世界大戦など過重の御心を労しなさり、糖尿病の御傾向が出て、時々坐骨神経痛を発症なさり、摂政御任命の前後には御脳力減退して、御発語に御障害が出て、その後病勢は一進一退、そのうちに脳貧血様の御発作があり、大正十五年八月十日葉山に御転地遊ばされ、やがてまた気管支カタル御併発、十月二日内科の泰斗、稲田龍吉博士を宮内省御用掛に任じ、入澤侍医頭以下は詰め続け御診察申し上げ、全国民は赤誠を打ち明けて神仏に祈願し、御容体が発表される毎に一喜一憂、ひたすら御回復の日を待ったのであるが、大正九年三月三十日宮内省から御発病の発表があってから、ここに七年、十二月二十五日午前一時二十五分葉山の御用邸でついに神去りなさる。時にかしこくも四十八歳の御壮齢でいらっしゃった。国民の悲嘆は言わん方もなかった。

(二)今上天皇践祚しなさる

天皇が御崩御なさるや、皇太子裕仁親王はただちに践祚し、大正十五年を改めて昭和元年としなさる。
昭和というのは「百姓昭明、万邦協和」ということからとったもので、ここにも新時代の理想がかがやかしくあらわれている。
天皇は昭和元年十二月二十七日東京に環幸おありになり、翌二十八日、宮中正殿に文武百官を召して朝見の儀を行いなさり勅語を下しなさる。勅語の中には

今や世局は正に会通の運に際し、人文はあたかも更張の時期にあたる。すなわち我が国の国是は、日に進むにあり、日に新たにするにあり、そうしてひろく内外の史に照らし合わせ、つまびらかに得失の跡にかんがみ、ひたすら進むやその序にしたがい、新たにするやその内を執る。これは深く心を用いなければならない所である。それは浮華をしりぞけ、質素をたっとび、模擬をいさめ、創造をはげみ、日進をもって会通の運に乗じ、日新をもって更張の時期を拓き、人心はこれに同じく、民風はこれにひろく、一視同仁の変化をのべ、永く四海同胞のよしみをあつくするつもりのこと。
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