【日本史】GHQに焚書された書籍 (517レス)
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510: ブログ転載 [sage] 2024/11/21(木) 22:14:38.39 p339 ちなみに即位の大礼前後の日程は次の通りであった。 十一月 六日 午前七時御発車 同 八時東京駅御発車 午後三時三十分名古屋駅御着車(行在所は名古屋離宮) 同 七日 午後九時名古屋離宮御発車 午後二時京都駅御着車京都皇宮着御 同 十日 即位の大礼 同 十四日 大嘗祭 同 十六・七日 大饗 同 十九日 山田駅着御(行在所神宮司応) 同 二十日 豊受大神宮御親 同 二十二日 京都皇宮還御 同 二十三日 神武天皇山陵御親?? 同 二十四日 仁孝天皇山陵、孝明天皇山陵御親?? 同 二十五日 明治天皇山陵御親?? 同 二十六日 名古屋着御(行在所名古屋離宮) 同 二十七日 東京還幸 同 二十九日 大正天皇山陵御親?? 学習参考 (1)挿絵解説 「多摩の御陵」は写真によったものである。本文にも書いたように、昭和二年二月八日午前一時三十五分東浅川仮駅に大正天皇の御霊柩が御着きになった。これより御陵参道十三町をお進みになり、霊柩は軽運台のままに四十尺の高さがある玄宮に向けインクラインを伝わせてしずかにお昇りなさる。玄宮はこの時から横穴とし申し上げる。玄宮は五十尺ばかり、鉄筋コンクリートの基礎工事を行った上に、高さ二間で八間四方の鏡のように磨いた岡山産花崗岩の石室を設けたもので、玄宮の門を閉じた後、閑院宮殿下の御親筆になる多摩陵その他を記した御陵誌を石室に向かって右側に奉安し、後に御盛土を行い申し上げた。御石室は山陵上おごそかに庶民の遥拝に任せてそびえさせ、山陵百日祭の四月三日が過ぎて、はじめて宮内省内匠寮の手で山陵工事が開始され、上円下方の御陵形に出来上がったのである。この御造営工事は御一年祭に先だって十二月二十三日完成報告の儀が行われた。この完成の御陵を二十一日に宮内省写真班が謹写したので、挿絵もこれによっているようである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/510
ちなみに即位の大礼前後の日程は次の通りであった 十一月 六日 午前七時御発車 同 八時東京駅御発車 午後三時三十分名古屋駅御着車行在所は名古屋離宮 同 七日 午後九時名古屋離宮御発車 午後二時京都駅御着車京都皇宮着御 同 十日 即位の大礼 同 十四日 大嘗祭 同 十六七日 大饗 同 十九日 山田駅着御行在所神宮司応 同 二十日 豊受大神宮御親 同 二十二日 京都皇宮還御 同 二十三日 神武天皇山陵御親 同 二十四日 仁孝天皇山陵孝明天皇山陵御親 同 二十五日 明治天皇山陵御親 同 二十六日 名古屋着御行在所名古屋離宮 同 二十七日 東京還幸 同 二十九日 大正天皇山陵御親 学習参考 挿絵解説 多摩の御陵は写真によったものである本文にも書いたように昭和二年二月八日午前一時三十五分東浅川仮駅に大正天皇の御霊が御着きになったこれより御陵参道十三町をお進みになり霊は軽運台のままに四十尺の高さがある玄宮に向けインクラインを伝わせてしずかにお昇りなさる玄宮はこの時から横穴とし申し上げる玄宮は五十尺ばかり鉄筋コンクリートの基礎工事を行った上に高さ二間で八間四方の鏡のように磨いた岡山産花岩の石室を設けたもので玄宮の門を閉じた後閑院宮殿下の御親筆になる多摩陵その他を記した御陵誌を石室に向かって右側に奉安し後に御盛土を行い申し上げた御石室は山陵上おごそかに庶民の遥拝に任せてそびえさせ山陵百日祭の四月三日が過ぎてはじめて宮内省内匠寮の手で山陵工事が開始され上円下方の御陵形に出来上がったのであるこの御造営工事は御一年祭に先だって十二月二十三日完成報告の儀が行われたこの完成の御陵を二十一日に宮内省写真班が謹写したので挿絵もこれによっているようである
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