【日本史】GHQに焚書された書籍 (536レス)
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91: 09/18(水)01:34 AAS
p76 (六)元禄風
江戸時代には直垂など武士の正装と定められ、肩衣・半袴・羽織・袴などが広く士民の間で行われた。元禄頃は服装一般に華やかになって、女子の方は振袖・幅広の帯などで、はでをつくして衣装の美を競ったから、今でも元禄模様・元禄帯・元禄笠など伝わっている。男子も紅の肌衣を着る者さえあった。
貞享頃の草紙に「今世の女は、昔なかった事などをし出し、なんとまあ、身だしなみ道具は様々である。これに気をつけて見たところ、首筋から上だけにあるものは十六品ある」とあることから見ても、いかに派手を極めたかがわかる。
男でも頬・頤・鼻の下まで残りなく剃って女子のようにし、甚だしいのは眉を細く剃りつくる者がいて、また白粉をつける者もいた。
これでもこの後に来る文化文政の時代に比べると、まだ生き生きしたところがあったようである。

学習参考

(1)挿絵解説

「東海道の旅行」は安藤広重筆東海道五十三次の内によったもの、時は夏、伊勢鈴鹿郡庄野駅、路傍の小山は一里塚で榎が植えてある。
右の方へ走るのは早飛脚で公用の者らしく、先には御用と書いた提灯を持ち、次に状箱を担いで走っている。左の方へ走るのは早駕籠で、先引と本役2人と後押で、籠かきを代えて昼夜兼行で走る。乗り手は天井から綱を下ろしてそれをつかんでいるが、それでも非常に疲れるものだという。辺りは一面水田で田植えが始まっている。
「船運の便開かれる」の絵は、秋里裡島の「拾遺都名所新図会」所載のものによる。京都高瀬川曳舟の様子、舟は高瀬舟である。この舟は薪炭を積んでいる。ホーイホーイの掛け声で舟を曳(ひ)き、船の中では棹を使って岸にぶつからないようにしている。高瀬川のことは本文中に書いておいた。
「尾形光琳の画」は津軽伯爵家蔵の屏風絵からとったもので、一方は白梅、一方は紅梅であるがのれは白梅の方である。
「元禄時代の風俗」は東京帝室博物館蔵菱川師宣筆「年中行事」の中の正月の部によったもの。門松や注連飾がある。中央では萬歳を舞っている。周囲には色々な人がいる。当世風を知ることができる。
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