北海道と北方領土ってアイヌ人の領土だろ (478レス)
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311: 10/16(水)12:56 AAS
日本文化の場合は最古層の縄文文化の上に弥生期、古墳期、中世近世、近代現代の要素が付着しているから、自然科学の様にそこだけ分離抽出出来んのだわ。
特に仏教伝来以来は神仏習合の型が一番歴史の中で長いわけだし。だから新しい要素だけを見て、全てが新しいと決めつけるのは間違っているし、割合云々じゃなくルーツとして南方系縄文文化が日本文化の最古層にガッチリと組み込まれているのが重要。そこがアイヌには無いところである。アイヌ文化のルーツは北方起源だから。
312: 10/16(水)13:01 AAS
大和民族は弥生人、渡来人の血を8割以上引いてる移民者がメイン
313: 10/16(水)13:06 AAS
社会が複雑になって来ると、文化、言語、遺伝子は必ずしも一致しなくなるよ。そこが全然分かっていない。
314: 10/16(水)14:37 AAS
>>309
イナウなんかは神道の御幣そのものじゃないの?
315: 10/16(水)14:52 AAS
和歌の歌枕になっている錦木塚。今は錦木という岩手出身の力士ががんばっている。

この北の地のアイヌ語地名濃厚地帯の南部藩鹿角にあった伝説の地、錦木塚だけどそこに飾りつけていたのが仲人木。
江戸時代に仲人木のスケッチを菅江真澄という人が記録している。これがイナウに似ている。
金田一京助は錦木=イナウ説を唱えている。(ちなみに金田一もモロにアイヌ語地名が武士の名字に使われている例)

>イナウは神を招き降ろす時にたてる木幣(削り花)のこと、この招くこと呼びかけることをアイヌ語でニシュクといい、
>相手の気持ちをこっちへ向けさせるニシュク木がニシキ木となったのでは。

と書いている。
316
(2): 10/16(水)15:18 AAS
縄文系遺伝子の割合やアイヌ語が話せるかどうかをアイヌ民族の判定材料にすると、現在のアイヌの多くが規定に外れるので、却って先住民族としてのアイヌの立場は苦しくなるよ。だから文化的なアイデンティティがどこなのかで民族を規定するしかないが、アイヌ文化は元々北方起源がルーツなので、北海道周辺の先住民族とは言えても、日本列島全体の先住民族とは言えない。だからこの手の問題は大和民族もアイヌもお互いにほどほどにしていた方がいいんだよ。
317
(1): 10/16(水)15:23 AAS
>>316
なんだそりゃw
アイヌは縄文遺伝子が一番あるし、現在の民族の定義に言語は関係ねーべw
北方文化といっても、せいぜいがオホーツク文化に影響されたイヨマンテぐらいで、マキリとか日本文化の影響だろ。
入れ墨も縄文文化の続きみたいなもん。
318: 10/16(水)15:46 AAS
>>273
アイヌ民族と縄文人の関係については、遺伝的なつながりがあるという研究結果も出ていますが、まだ解明されていない部分も多く、単純に「直系子孫」と断定するのは難しいです。また、大和民族の形成過程も非常に複雑で、「主が大陸からの移民、従が縄文人」というような単純な二分法で説明することはできません。
319
(1): 10/16(水)15:47 AAS
>>316
アイヌ民族のアイデンティティは、遺伝子や言語だけでなく、歴史、文化、そして自己認識など、多様な要素が複雑に絡み合って形成されるものです。アイヌ文化の起源については、様々な説があり、単純に北方起源とすることはできません。また、「大和民族」という概念は、歴史的・学術的に明確な定義がされていない曖昧な概念です。アイヌ民族と日本人の関係は、歴史的に複雑なものであり、単純な対立構造で捉えることはできません。両者の共存と相互理解のためには、それぞれの歴史や文化に対する深い理解と尊重が不可欠です。
320
(1): 10/16(水)15:49 AAS
日本の文化は、縄文文化を基底とし、弥生、古墳、中世、近世、近代、現代と、多様な文化要素が積み重なって形成されました。特に仏教伝来以降は、神道と仏教が融合した神仏習合が長い歴史の中で深く根付いています。そのため、新しい要素に目が行きがちですが、日本の文化のルーツは縄文文化にあり、特に南方系の影響を強く受けていることが重要です。この点は、北方起源のアイヌ文化との大きな違いと言えるでしょう。
321: 10/16(水)15:51 AAS
北海道の地名の『別』と『内』って、アイヌ語が由来なんだよね。だいたいは、『別』が大きな川、『内』が小さな川を表してるんだけど、地域によってちょっと違う場合もあるんだ。漢字の当て字も、完全に一致してるわけじゃないし、地名には川以外にもいろんな意味が込められてることもあるよ。
322: 10/16(水)15:53 AAS
北海道には、縄文時代を中心に、ものすごい数の遺跡が見つかってるんだ。なんと、8割近くが縄文時代のものなんだって!特に、道央と道南には遺跡がたくさんあって、北東北の文化ともつながりが深いみたい。

これらの遺跡は、暮らしやすい場所を選んで作られていて、狩りや漁、貝を採ったりするのに便利な場所が多いんだ。集落跡や貝塚、石器を作る場所、お墓など、いろんな種類の遺跡があるよ。

東北地方には、大きな石を円形に並べたストーンサークルっていうのが有名だけど、北海道にも少しはあるんだ。これらの遺跡を見学すると、縄文人の生活や文化の奥深さがよくわかるよ。
323
(1): 10/16(水)16:32 AAS
>>320
そればっか書いているけど、流石に少しは根拠かけよw
イヨマンテだけかw?
324: 10/16(水)16:33 AAS
>>319
大和王権成立した頃の人口構成で解るじゃん
既に8割り以上が渡来人、弥生人だよ
325: 10/16(水)16:35 AAS
>>323
縄文人との共通点はアイヌが9、大和民族が1くらいだよ

さっむい北海道で縄文人もアイヌも狩猟採集で生きてきて
一方大和民族は農耕社会として2000年以上経過してたからね
326
(1): 10/16(水)16:47 AAS
アイヌ文化の中で最重要儀式が熊のイヨマンテなんだから、それに言及するのは当たり前だよ。
327: 10/16(水)16:51 AAS
>>317
アイヌの神話も北方起源
328
(1): 10/16(水)17:38 AAS
「神道」の根本。 自然にも道具にも「神」が宿る。

大自然と共に生きるアイヌは、動植物、生活の道具や家、山や湖などの自然と自然現象の
それぞれに「神(カムイ)」が宿るとして敬い、人間も自然の一部であると考えています。

アイヌに語り継がれる物語には、
「森羅万象に命があって、人間が大事だと思うものはすべて神様。
そのすべての神様が自分の行動を見ているから、誰から見られても恥ずかしくない行動を
しなさい」という、神と自然と人間の関係についての教えがあります。

また、アイヌは自然を暦代わりにもしました。
「ウドの実が黒くなったらマスが遡上する」「アカツツジの咲くころは、ウバユリの根が
取れる」など、自然から生活の糧を得るタイミングを見計らっていたのです。
329
(1): 10/16(水)17:40 AAS
大和民族にとって重要度でアイヌの熊送りに当たるのが朝廷の儀式だろう。
だからイヨマンテがバイカル湖からオホーツク海沿岸部由来というのは決定的なことかと。
330
(1): 10/16(水)18:06 AAS
大和民族には仏教が入っていたが、北海道縄文人やアイヌには入ってないね
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