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【幕末の】水戸藩・天狗党の乱【悲劇】3 (756レス)
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711
: 2022/09/03(土)07:07
ID:HwBvERXo0(15/21)
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711: [sage] 2022/09/03(土) 07:07:54.39 ID:HwBvERXo0 ついでに。現在は有名庭園にアジサイが植えられていることがあるが、江戸時代には あまり用いられなかったようだ。 アジサイは死者にたむける花で墓場に植えられるものであった。 だから今日でもアジサイの名所は寺が多い。 アジサイは奈良時代から歌に詠まれ、江戸時代にはよく画題にもされている。 だから人々はアジサイを美しいと感じ、嫌ったりはしていなかったのだろう。 しかし、庭に植えようとまでは思わなかったようである。 アジサイが園芸種として人気を博するようになったのは戦後もだいぶ経ってからである。 ヨーロッパから色彩豊かなアジサイがもたらされ、陰気な印象がなくなったせいだろう。 (しかし、そのアジサイはもともとシーボルトが日本から持ち出したものだという。 そのアジサイが欧州で人気を博し、品種改良が盛んに行われ、日本に逆輸入されるように なったのだという)。 園芸種を大量に植えることにより、日本庭園は派手な色彩で目を楽しませる空間になった。 目を楽しませるというより、目を驚かせる空間というべきか。 このサイトは、岡山後楽園の写真を配布するフォトギャラリーである。 https://okayama-korakuen.jp/midokoro/496.html 是非JPEGファイルを開いて写真を鑑賞していただきたい。 岡山後楽園は城をバックにしているので日本庭園らしくも見えるが、西洋公園のような 印象も受ける。広大な芝生や広くて歩きやすい苑路など、誰でも日頃自分たちが親しんで いる普通の公園との共通点を見いだすだろう。 一番大きいのが護岸である。一部コンクリートで固めた部分が見られる。 表面は石を並べて装飾してあるが、コンクリートの壁であることは明瞭である。 水戸の偕楽園や高松の栗林公園でもそうだが、明治以降県立の公園となって、西洋庭園の 技法を学んだ県の土木技師たちの手が入っている。これはやむを得ないことだ。 大事なのは、元々の庭園は、別荘の建物や茶亭や東屋からの眺望を楽しむ観遊式庭園で あって、庭に苑路を張り巡らせ、隅々まで歩いて見て回るような形式の庭ではなかった ことを知ることだ。 今日の公園は、基本的に歩き回るためのものである。実際にランニングをしている人も いるし、運動のコーナーが設けられていたりする。 しかし、日本庭園は眺望を楽しむためのものである。一定の場所・角度からの眺望を 楽しむのである。動き回らないから見えない部分もある。しかし、見えない部分は見え ないままに楽しむのである。ある景観を後ろや横から眺めさせたりはしない。 竜安寺石庭を想起して頂きたい。あの庭は一面からしか見ることはできない。方丈の 廊下からである。しかも、立って見るのではなく座って見る。 視線の高さも決まっているのである。 さらに、廊下ならどこでもよいというわけではなく、古くからここから見るのがよいと いうポイントがあるようだ。 (もちろん何カ所からも見てみるのがよい。最良のポイントは自分が決めることだ)。 本来、日本庭園の景色というのは決まった位置から静止して眺めるものである。 このことを知っていれば、現代の西洋公園風になった庭でもある程度は観賞が可能である。 例えば天龍寺の曹源池庭園である。もともとは方丈の座敷から眺める庭であった。 今は龍門瀑の背後の築山に登れるようになっている。築山に苑路が作られているのだ。 だから拝観者はみな築山に上り、高いところからの景観を楽しんでいる。 しかし、作庭者はそんなことは予定していないのである。 天竜寺庭園は回遊式の庭園ではない。歩き回るための庭ではないのだ。 苑路があるのは、明治以降観光のためにそうしただけなのである。 曹源池を見るポイントは大方丈の中や大書院からであるが、実は今の建物は大き過ぎる。 あまりにも大きくて、工事のときに池の手前の石をいくつかどかして、池を縮小した ほどなのである。 だから大方丈の室内や大書院、廊下から見るのは近すぎるのであるが、仕方がない。 もともとは今よりずっと奥まったところに小さな方丈があり、その西側にまばらな林が あった。その樹間から曹源池が見えたのである。 秋には赤く色づいた林の向こうに、錦繍の嵐山を借景として龍門瀑や紅葉した築山を 見ることができた。そういうことを想像しながら眺めるほかはない。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1301900845/711
ついでに現在は有名庭園にアジサイが植えられていることがあるが江戸時代には あまり用いられなかったようだ アジサイは死者にたむける花で墓場に植えられるものであった だから今日でもアジサイの名所は寺が多い アジサイは奈良時代から歌に詠まれ江戸時代にはよく画題にもされている だから人はアジサイを美しいと感じ嫌ったりはしていなかったのだろう しかし庭に植えようとまでは思わなかったようである アジサイが園芸種として人気を博するようになったのは戦後もだいぶ経ってからである ヨーロッパから色彩豊かなアジサイがもたらされ陰気な印象がなくなったせいだろう しかしそのアジサイはもともとシーボルトが日本から持ち出したものだという そのアジサイが欧州で人気を博し品種改良が盛んに行われ日本に逆輸入されるように なったのだという 園芸種を大量に植えることにより日本庭園は派手な色彩で目を楽しませる空間になった 目を楽しませるというより目を驚かせる空間というべきか このサイトは岡山後楽園の写真を配布するフォトギャラリーである 是非ファイルを開いて写真を鑑賞していただきたい 岡山後楽園は城をバックにしているので日本庭園らしくも見えるが西洋公園のような 印象も受ける広大な芝生や広くて歩きやすい苑路など誰でも日頃自分たちが親しんで いる普通の公園との共通点を見いだすだろう 一番大きいのが護岸である一部コンクリートで固めた部分が見られる 表面は石を並べて装飾してあるがコンクリートの壁であることは明瞭である 水戸の楽園や高松の栗林公園でもそうだが明治以降県立の公園となって西洋庭園の 技法を学んだ県の土木技師たちの手が入っているこれはやむを得ないことだ 大事なのは元の庭園は別荘の建物や茶亭や東屋からの眺望を楽しむ観遊式庭園で あって庭に苑路を張り巡らせ隅まで歩いて見て回るような形式の庭ではなかった ことを知ることだ 今日の公園は基本的に歩き回るためのものである実際にランニングをしている人も いるし運動のコーナーが設けられていたりする しかし日本庭園は眺望を楽しむためのものである一定の場所角度からの眺望を 楽しむのである動き回らないから見えない部分もあるしかし見えない部分は見え ないままに楽しむのであるある景観を後ろや横から眺めさせたりはしない 竜安寺石庭を想起して頂きたいあの庭は一面からしか見ることはできない方丈の 廊下からであるしかも立って見るのではなく座って見る 視線の高さも決まっているのである さらに廊下ならどこでもよいというわけではなく古くからここから見るのがよいと いうポイントがあるようだ もちろん何カ所からも見てみるのがよい最良のポイントは自分が決めることだ 本来日本庭園の景色というのは決まった位置から静止して眺めるものである このことを知っていれば現代の西洋公園風になった庭でもある程度は観賞が可能である 例えば天龍寺の曹源池庭園であるもともとは方丈の座敷から眺める庭であった 今は龍門の背後の築山に登れるようになっている築山に苑路が作られているのだ だから拝観者はみな築山に上り高いところからの景観を楽しんでいる しかし作庭者はそんなことは予定していないのである 天竜寺庭園は回遊式の庭園ではない歩き回るための庭ではないのだ 苑路があるのは明治以降観光のためにそうしただけなのである 曹源池を見るポイントは大方丈の中や大書院からであるが実は今の建物は大き過ぎる あまりにも大きくて工事のときに池の手前の石をいくつかどかして池を縮小した ほどなのである だから大方丈の室内や大書院廊下から見るのは近すぎるのであるが仕方がない もともとは今よりずっと奥まったところに小さな方丈がありその西側にまばらな林が あったその樹間から曹源池が見えたのである 秋には赤く色づいた林の向こうに錦繍の嵐山を借景として龍門や紅葉した築山を 見ることができたそういうことを想像しながら眺めるほかはない
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