[過去ログ]
【幕末の】水戸藩・天狗党の乱【悲劇】3 (756レス)
上
下
前
次
1-
新
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索
歴削→次スレ
栞削→次スレ
過去ログメニュー
713
: 2022/09/03(土)07:09
ID:HwBvERXo0(17/21)
AA×
[240|
320
|
480
|
600
|
100%
|
JPG
|
べ
|
レス栞
|
レス消
]
713: [sage] 2022/09/03(土) 07:09:02.29 ID:HwBvERXo0 綱政の子継政(つぐまさ)は12年の歳月をかけて園内中央に唯心山を築いた。 唯心山は園内のどこからも見え、また唯心山から園内の全てを眺めることが出来る。 唯心山には四方からの登山道が作られ、各登山道に沿って建物がある。 北側の慈眼堂、南側の御茶屋簾池軒、西側の御茶屋延養亭、東側の流店である。 それぞれ眺望が良い場所にあり、そこで休憩しながら風景を観賞するのである。 継政は、唯心山のふもとに水路を巡らせ、廉池軒の池と沢の池の間にひょうたん池を 掘り、ひょうたん池から沢の池まで水を流すようにした。 これによって一つ繋がりの大きな池が出来、その周囲を巡る苑路が作られ、池泉回遊式 の庭園となったのである。築山(つきやま)である唯心山もきずいたので、分類上は 築山池泉回遊式庭園ということになる。 唯心山から園内のどこでも眺められ、あそこに行ってみたいと思えばどこへでも苑路が つながっている。そうした歩き回る要素が取り込まれた。 こうなると時代を経るにつれ、苑路は広く平らかになるばかりである。 苑路の脇に大きな岩などがあると通行の邪魔になり、風景も見辛くなるということで どんどん撤去されていった。苑路はできるだけ平坦な方がいいので、築山が削られたり もした。見晴らしを悪くする大木も切り倒された。 浅い池の中に御船石(おふないし)が置かれ、海の景色を表していたのが取り払われる。 後は菖蒲田とされ、初夏には一面紫の花に覆われる。 苑路に沿って園芸種の花樹が植えられ、鮮やかな色彩(いろどり)を添える。 こうして現代の公園につながるような、回遊性に富んだ、平明な庭園が形作られて いったのである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1301900845/713
綱政の子継政つぐまさは年の歳月をかけて園内中央に唯心山を築いた 唯心山は園内のどこからも見えまた唯心山から園内の全てを眺めることが出来る 唯心山には四方からの登山道が作られ各登山道に沿って建物がある 北側の慈眼堂南側の御茶屋簾池軒西側の御茶屋延養亭東側の流店である それぞれ眺望が良い場所にありそこで休憩しながら風景を観賞するのである 継政は唯心山のふもとに水路を巡らせ廉池軒の池と沢の池の間にひょうたん池を 掘りひょうたん池から沢の池まで水を流すようにした これによって一つ繋がりの大きな池が出来その周囲を巡る苑路が作られ池泉回遊式 の庭園となったのである築山つきやまである唯心山もきずいたので分類上は 築山池泉回遊式庭園ということになる 唯心山から園内のどこでも眺められあそこに行ってみたいと思えばどこへでも苑路が つながっているそうした歩き回る要素が取り込まれた こうなると時代を経るにつれ苑路は広く平らかになるばかりである 苑路の脇に大きな岩などがあると通行の邪魔になり風景も見辛くなるということで どんどん撤去されていった苑路はできるだけ平坦な方がいいので築山が削られたり もした見晴らしを悪くする大木も切り倒された 浅い池の中に御船石おふないしが置かれ海の景色を表していたのが取り払われる 後は菖蒲田とされ初夏には一面紫の花に覆われる 苑路に沿って園芸種の花樹が植えられ鮮やかな色彩いろどりを添える こうして現代の公園につながるような回遊性に富んだ平明な庭園が形作られて いったのである
上
下
前
次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
あと 43 レスあります
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
ぬこの手
ぬこTOP
0.050s