[過去ログ] 【幕末の】水戸藩・天狗党の乱【悲劇】3 (756レス)
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721: 2022/09/23(金)22:43 ID:iiAqLOC20(4/14) AAS
ある日の安倍正武邸への御成りの様子を見てみよう。
(文中の安倍正武は綱吉の武家諸法度の改訂に加わった気に入りの大名。後に老中)。
御成りにあたっては、まず奉行を任命する。この奉行が全てを采配するのである。
安倍の屋敷では御成りのために屋敷を新築した。これを御成屋敷という。
屋敷新築にあたっての普請奉行を別に任命した。
御成りの前に、老中が護持院の隆光僧正を江戸城に呼び、他の老中四人とともに祈祷を
依頼した。天気も良好で万事うまく行くようにとの祈祷である。
この以来に基づき、御成りの前に、護持院の隆光僧正が御成屋敷に上がって祈祷した。
御成りの前に屋敷を浄めるといった意味合いがあったのかも知れない。
御成りには多数の家臣の他、隆光をはじめ、金地院(臨済宗)、護国寺、大護院、
根生院の僧たちも随行した。
九つ頃(昼12時)に来訪して、最初に贈答が行われる。
屋敷の主人に御腰物代金・馬代金・時服・酒肴・鞍置代金・茶碗・茶入・鐙が贈られた。
その後主人の家臣たちがお目見えをし、将軍から各人に時服が送られた。
その他、将軍の大文字「仁徳」200枚が贈られる。現代の色紙のようなものだろう。
九つ半(1時頃)から学問の講釈が始まる。
将軍自身による「大学八条目」の後に、儒者二人が講釈をし、最後に小姓一人が講釈を
した。子供にやらせたのである。八つ過(午後二時半頃)に終わって昼の御膳。
七つ時(午後4時頃)から能が始まった。
屋敷の主人が「上老松」・「八嶋」を舞い、息子が「上羽衣」・「西王母」を舞う。
次に能楽師による仕舞に移り、「舟弁慶切」「養老切」が舞われる。
能が終演となると家臣たちに将軍から再びものが贈られた。
その後饗宴(食事と酒)、暮六つ半過ぎ(午後5時過ぎ)に屋敷を立って江戸城に還御。
翌日、安倍正武は江戸城に登城し、御成りのお礼を申し上げる。
そのときに御台所様(正室)や奥の方々から正武にお礼の品が贈られた。
余談になるが、桂昌院は寺社に参るだけでなく、寺社への布施も盛んに行った。
有名なのは奈良や京都の古刹への寄進である。
桂昌院のもとへ寄進を依頼する僧たちが引きも切らなかったという。
桂昌院が寄進に費やした金額は、幕府財産の三分の一に達した。
幕府は生類憐れみの令でも大出費をしたから、この親子は頭痛の種であっただろう。
しかし、この女性が寄進という形で建物の修築費用などを出さなければ、奈良京都の
文化財は大いにその数を減じていただろうと言われる。
朽廃激しい堂宇を持て余していた古寺にとっては、まさに救世主であった。
たとえば法隆寺の元禄の大修復は桂昌院がいなければなされなかった。
あの時点で修復されなければ、金堂や五重塔は朽廃し崩壊していたかも知れない。
奈良の大仏殿再建にも尽力した。彼女からの寄進がなければ、大仏は明治になるまで
頭部が焼け落ちた状態で露座のまま置かれていた可能性がある。
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