[過去ログ] 【幕末の】水戸藩・天狗党の乱【悲劇】3 (756レス)
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756: 2023/12/07(木)12:52 ID:kohuMx2s0(1) AAS
朝廷は慶喜を征討軍の大将にはさせたくなかったが、重ねて乞うものだから仕方なく許可した。
その肩書きは禁裏御守衛総督である。それまでの肩書きと何も変わらない。
天狗党西上軍が京都に迫るようなことがあっては困るから、禁裏(朝廷)を守るために出陣する
という名目なのである。
これにより12月3日、慶喜は京都から大津に出陣することになる。
その行列はまことに勇壮華麗なものであった。
徒目付・小人目付を先駆として歩兵・大砲・別手組の諸隊、中軍には講武所の兵と床机隊・大砲隊。
これに続き赤字に葵の紋をつけた旗を立て、旗本勢が持小筒組を率いて進む。
次に馬印や陣鐘、太鼓、旗、さらに騎馬隊が往く。
その後にようやく慶喜が出てくる。左右を守る旗本たちに続いて書院番士たちが手槍を棒持ちに
して進む。さらに大砲・臼砲、鉄砲隊・・・・
わずか千人に満たない天狗党西上軍、それも侍は半分もいない軍勢だというのに、それを討つ
という慶喜の行列は大仰きわまりない。
京の人々は壮麗な軍勢を見て侮蔑の薄笑いを浮かべた。
「長州様は手強いが、ご家来すじで歩き疲れた天狗さんをお打ちになるにはえろう勇ましいこと」。
長州征伐はダラダラやる気があるのか分からないが、家来筋で慶喜に抵抗できないはずの天狗勢を
討つのには積極的だと笑ったのである。
行列は朝に京都を出て、陽の高いうちに大津に着いた。
(現在の京都市役所と大津市役所の間は直線距離で10キロしか離れていない。)。
翌日には徳川昭武(慶喜の弟)が水戸藩の本圀寺勢を率いて京を出立した。
昭武は禁裏御守衛総督軍の先鋒ということで、大津で兄の慶喜本隊を追い越し、草津に進軍した。
そこから関ヶ原・大垣と進んで岐阜あたりに出てくる西上軍を待ち構えるつもりであった。
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