[過去ログ] 南京大虐殺は史実 (1002レス)
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916: 08/21(水)20:51 ID:kcYiQeO50(3/4) AAS
ホント〜にKKのHPは出鱈目だらけだなw
第3中隊の中隊長も城内突入後は「城内の中隊本部にいた」という証言があるw
第4中隊長の平沢中隊長代理も同じ様に城内にいた可能性が高いw
事実小宅曹長が平沢中隊長代理と再会したのは城内の大隊本部w
KKは「第3中隊中隊長も平沢中隊長代理も中隊指揮の職務を放棄して中隊・大隊本部にいた」とでも主張するのだろうかw
省7
917: 08/21(水)20:58 ID:kcYiQeO50(4/4) AAS
どう見ても第3中隊がいたのは城内w
城外での捕虜殺害は不可能w
第三中隊
第1小隊長 渡辺紋蔵
「第三中隊は十三日、十四日と【城内にいた】ので捕虜を捕らえるということはありませんでした。」
第1小隊 藤沢藤一郎
―戦闘詳報によると、第三中隊も捕虜をやったとありますが。
「全然知りませんてした。第三中隊は十三日からずっと【城内に入っていました】から」
―捕虜をやったことを第三中隊の他の人から聞いたことはありませんか。
「ありません」
省10
918: 08/21(水)21:20 ID:/62cXWmS0(1/2) AAS
>>914
?
それのどこが反論なんだ?
お前の中ではこの二人は嘘つきということで良いんだな?
919(1): 08/21(水)21:21 ID:/62cXWmS0(2/2) AAS
>>915
はぁ…(呆れ
空砲で大人しくなったのに殺して良いわけないだろ…
920: 08/21(水)21:56 ID:snQTzagO0(1) AAS
>>892>>893
お前にかかるとこの人たちも全員嘘つきになっちゃうな(呆れ
步兵第六十六聯隊第一大隊関係者の手記と証言(南京戦史P215)
第三中隊長・西沢弁吉氏著『われらの大陸戦記』によると、「雨花台の敗残兵約三千が城内に遁走するのを阻止 する戦果をあげた」と記しているが、捕虜の処分には触れていない。
第四中隊長・手塚清氏著『聖戦の思い出』には、大要次のように記して、捕虜処分の事実を認めている。 「十五日午後、館野軍医中尉が、入院中の一刈第一大隊長を迎えに来た。その話によれば、第四中隊は南門城外で逃げ遅れた敵兵千二百四十名を武装解除して捕虜としたが、捕虜に給する食糧がないので、これらを第一、第三中隊その他に分配、各隊は適宜処置したとのことである。」
この捕虜の刺殺について直接西沢、手塚両氏に質問したものの手記の範囲を出なかったが、第四中隊第四分隊・高松半市氏は次のように述べた。
省1
921(1): 08/22(木)10:27 ID:5QvaC4/10(1/2) AAS
実名で証言しているこの人達も嘘つきなんですですかねえw
第三中隊
第1小隊長 渡辺紋蔵
「第三中隊は十三日、十四日と【城内にいた】」
第1小隊 藤沢藤一郎
「第三中隊は十三日からずっと【城内に入っていました】から」
―第三中隊は十三日全員城内に入ったのですか。
「全員かどうかわかりませんが、【ほとんど入った】と思います」
水沼兼吉(KKのHPでは戦死w)ー霊界通信かなwwwwwwー
「第三中隊が【城内に入った】のは朝か昼かはっきりしませんが、夜ではありませんでした。そのとき【第三中隊はまとまっていた】と思います。」
省1
922(1): 08/22(木)10:51 ID:5QvaC4/10(2/2) AAS
嘘つき?
第三中隊長・西沢弁吉氏著『われらの大陸戦記』
【捕虜の処分には触れていない】
第四中隊長・手塚清氏著『聖戦の思い出』
【その話によれば】
第四中隊第四分隊・高松半市氏
【私の中隊で処分したのは百名ぐらいと思う】
捕虜殺害を証言しているのは高松半市氏だけで数は【百名ぐらい】w
3中隊で実行したとしても300名程度w
お前らの様に数を5倍に水増しするのを【嘘つき】と言うのだよw
省8
923(1): 08/22(木)13:14 ID:8mZD6C1k0(1/2) AAS
>>919
イラクでは空砲で大人しくなるどころか、意識不明の負傷者を米軍が「正当な戦闘行為」で射殺してますけど。
「イラクの「意識不明の負傷者」は、「暴動を起こすほど自由に動き回れる中国兵」よりも危険だった」という主張ですか?
924(1): 08/22(木)13:30 ID:8mZD6C1k0(2/2) AAS
1500人の目の前で処刑すれば再度暴動が起きるので、暴動を起こした捕虜を翌日処刑しただけでしょう。
実名の証言の「殺害は自分の想像」「人数は100人前後」から、部隊全体に知られていない事、大々的に行われたのではない事、という点から捕虜の殺害は小規模であった事が裏付けされます。
925: 08/22(木)14:29 ID:NwrP1sl10(1/4) AAS
>>921
>>922
さて、誰が嘘を付いているんでしょうか??
第四中隊長・手塚清氏著『聖戦の思い出』には、大要次のように記して、捕虜処分の事実を認めている。 「十五日午後、館野軍医中尉が、入院中の一刈第一大隊長を迎えに来た。その話によれば、第四中隊は南門城外で逃げ遅れた敵兵千二百四十名を武装解除して捕虜としたが、捕虜に給する食糧がないので、これらを【第一、第三中隊その他に分配、各隊は適宜処置したとのことである。】」
第三中隊
第1小隊長 渡辺紋蔵
「第三中隊は十三日、十四日と【城内にいた】」
第1小隊 藤沢藤一郎
「第三中隊は十三日からずっと【城内に入っていました】から」
―第三中隊は十三日全員城内に入ったのですか。
省1
926: 08/22(木)14:31 ID:NwrP1sl10(2/4) AAS
>>923
?
空砲で大人しくなった【捕虜】を殺すこととなんの関係があるんだ?
927(1): 08/22(木)14:37 ID:NwrP1sl10(3/4) AAS
>>924
それが【虐殺】なんだよなぁ
大井満氏『仕組まれた"南京大虐殺"』
捕虜の不法処断
このように、ここまでにいわゆる不法殺害なるものは見られないが、しかし純然たる不法行為にあたるものが、まったくなかったかというと、残念ながらそうは言いえない。
それは雨花門外において、百十四師団所属の六十六聯隊第一大隊が、千二百四十の捕虜を、家屋に収容してから少しずつ連れだしては処断しているのだが、この場合は明らかに不法な行為と言わざるをえない。
食糧もなかったためと記録にはあるが、これは便衣兵ではない。いかに激戦の最中とはいえ、不法な捕虜殺害であることは明らかだ。
928(1): 08/22(木)17:53 ID:EVvT3Fo+0(1) AAS
>>927
> それは雨花門外において、百十四師団所属の六十六聯隊第一大隊が、千二百四十の捕虜を、家屋に収容してから《少しずつ連れだしては処断》しているのだが、この場合は明らかに不法な行為と言わざるをえない。
日没後2時間30分で千二百四十の捕虜を連行して殺害が可能だとでも?
時間的、中隊の人数的、高松半市氏の証言からも殺害された人数は遥かに少ないとしか判断できない。
《少しずつ連れだしては処断》されたのが《千二百四十の捕虜全て》ではなく暴動を起こした捕虜であれば時間的にも人数的にも条件を満たすし不法でも何でもない。
むしろ軍隊として当たり前の行為。
929(1): 08/22(木)20:11 ID:NwrP1sl10(4/4) AAS
>>928
お前は軍隊の露営地が真っ暗とでも思ってんのかよ(呆れ
戦国時代ですら灯りがあるのに
930: 08/22(木)20:22 ID:FUvwOpeb0(1) AAS
< .com/kozohys2002/status/1693111533805633919
|kozohys2002
国際法(陸戦条約)はそもそも侵略戦争には適応されないのだよ。しかも×本帝国は第一次世界大戦後に戦争放棄を宣言したパリ和平条約に加盟していた。
戦争そのものが違法であるとする条約だ(正当防衛戦争以外)。にもかかわらず×本帝国は満州を自作自演で侵略した。
中国の便衣兵はナチの侵略化で地下組織を作って戦っていたパルチザンと同じで、これは国を守る正当な防衛戦なので国際法は適応されない。
省2
931(1): 08/23(金)19:51 ID:sl1ZPvL90(1) AAS
>>929
殺害場所が軍の露営地だなんてどこに書いてあるんですか?
戦闘詳報には殺害場所は第一中隊は露営地南方谷地、第三中隊は露営地西南方凹地、第四中隊は露営地東南谷地附近とあなたの主張とは逆に露営地ではなく露営地から離れた場所になっていますよ。
少なくとも戦闘詳報には「1500人を50人毎に3中隊に分けて連行して午後5時から午後7時半の間に殺害した」と書かれています。
それを実行するには捕虜の収容場所から徒歩5分以上離れた場所でなければ戦闘詳報の内容と一致しません。
徒歩5分以内の場所では戦闘詳報の「但し監禁室の周囲は厳重に警戒兵を配置し連れ出す際絶対に感知させさる如く注意す」というのと矛盾しますし、徒歩5分以上の場所では時間内に殺害は不可能です。
それにそれぞれ50名の捕虜を殺害できる場所に照明設備もしくは松明が必要です。
各中隊長を集め殺害場所と殺害方法が決定されたのが3時30分なので午後5時の殺害開始までの1時間30分で各場所に照明設備の設置を完了させなければなりません。
「軍隊の露営地」には明かりはあるでしょう。
しかしそれと「露営地から離れた殺害場所に照明設備が設置されている事」は別の話です。
省1
932: 08/23(金)20:12 ID:p/oL/A+u0(1) AAS
ちょっと引っかかったんだけど月齢カレンダーによれば1937年12月13日は満月の74.7%
天気が悪くなければ夜でも見えるんじゃね?と思ったり
ほら、夜襲は皇軍の十八番だしね
当日の天候はどうだったんだろう?
外部リンク:www.arachne.jp
933: 08/23(金)21:11 ID:wIMSU9pV0(1) AAS
>>931
馬鹿「露営地には証明設備はあるが殺害場所に証明設備を設置するわけがない!」
うーん、馬鹿
934: 08/24(土)03:43 ID:pjr/Hsxc0(1) AAS
< //manapedia.jp/text/454
> 高校 > 日本史 > 両世界大戦期の日本と世界 > 国内情勢・第二次世界大戦・太平洋戦争 > 満州事変から国際連盟の脱退へ
▼満州事変
1931年、中華民国の柳条湖付近の鉄道で爆発騒ぎがおきました。
※本はこれを※※※国の仕業であるとして満州に侵略し、満州全土を占領します。そして清の最後の皇帝であった溥儀(ふぎ)を擁立して満州国を築きました。
省3
935(2): 08/24(土)13:11 ID:BUDeFKIs0(1/3) AAS
「日本軍は月明かりの中で50人ずつの殺害を10回2時間半も繰り返しました」
「連行は1回5分以内、1回の殺害は5分以内、収容所に戻るのに5分以内、これを毎回遅延なく実行しました」
どれだけあった派に都合の良い話なんだよw
結局あった派は「日本軍が露営地から離れた殺害場所に照明設備を設置していた根拠」を出せないわけだw
いつもの事だなw
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