▼▼日本近代史フリーメーソン▼▼ (269レス)
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223: 09/03(火)15:12 ID:UBne5oS00(3/6) AAS
p27
(11)ユダヤ分子を絶対に排除する先駆者となれ
わたくしは諸君労働党員に次のことを述べておこうと欲するのである。
つまり労働党のいずれの派においてもその最初の規定として、ユダヤ分子を絶対に排除する者があれば白色イングランド及び白色ブリテンの全部がたちまちこれの後援を成すに至るに相違ないと思う。
英国は心の底はすでにユダヤ人から連立し、そのロスチャイルド家、カッセル家、スペーマス家、ルーフス家、ゴットフルース家に倦んでいるのであるが、しかしその表面においてはユダヤ化した労働階級という以外には何者でもないのである。
デーリ ヘラルド、ズミリー、ウィンストン、ウィリアムス等を前述の代わりにしようとするならば、このようにすることもあるいはできると思う。
ユダヤ人は英国人ではない、英国人には決してなり得ないのである。いや、英国人であろうと欲していない。その遺骸は英国墓地には安心して葬られていられないのである。
であるからしてユダヤ人は、我が国務に関係すべきはずの者ではないのである。
もし労働者で他の党派がその位置を汚しているかのようにその労力を空ふせず、その事業に失敗することなく、その位置を汚さないようにと欲するならば、まず第一にユダヤ人を排除しなくてはならないと思う。(以下略)
224: 09/03(火)16:05 ID:UBne5oS00(4/6) AAS
p27
(ハ)英国労働党は英皇室無要論を唱える
労働党が英国国民の政党ではなく、ユダヤ化して彼らの傀儡にすぎない証拠は、1923年同党の大会で、英国憲法上英国皇室は無用のものであるという動議を出したことがあるのでもわかる。しかもそれを糾弾する者もなければ罪にもならない。実際英国皇室は、慈善事業の一機関としての外皇室としての力はないといわれているくらいである。
225(1): 09/03(火)20:12 ID:UBne5oS00(5/6) AAS
p28
(二)英国を牛耳るユダヤ勢力浸潤の由来
(1)概説
(イ)欧米人の中に別にユダヤ人がいる事を区別して考える事は必要である。
日本人は欧米人がいてユダヤ人がいる事を知らない。それは彼らユダヤ人は仲間同士で仕事をする以外対非ユダヤ人関係にはユダヤ人である事を絶対秘密にしていて、あくまで英人米人で通している。名前も二通り持っているくらいである。欧米人ならユダヤ人をすぐ名前や習慣でかぎ分けてしまうが、邦人にはてんでそういう知識がないからわからない。
第一中学校の歴史にも、過去において欧州の頭痛の種になっている対ユダヤ問題には一行も触れていないのである。
これがユダヤ禍問題が痛切に感じられない原因で、それだけつけ込まれやすい危険が多いのである。
(ロ)英国は今日の大いなる植民政策の成功は英国ユダヤ人の努力に依るものが大である。
稲原勝治氏はその著「外交讀本」において、英国は今でこそ建国以来富裕であり、また紳士の国であるかの顔つきを装っているが、百年前までは見る影もない陰気な農業国で、海上における唯一の職業は海賊であるという奇怪な有り様で、実例はエリザベス女皇と『海を制する者は世界を制す』の言葉の元祖であった寵臣ウォーター・ラレーとが、女皇は船、ラレーは労力を出資して海賊船を艤装(機関部取り付け)し、新大陸から財貨を積んでくるスペイン船を略奪した事実を挙示しているが、この陰惨な農業兼海賊国が、一躍領土に太陽が没することなしと威張るようになったのは、スペインを略奪したオランダを、さらに百年間フランスと争って、略奪して植民政策に成功したからである。
これはユダヤ人は英国を大きくする事により自分を益し、さらに英国の勢力により1800年来片時も忘れない聖地パレスチナを奪回しようとくわだて努力したので、英国を選んだのは英国が当初最も彼らに対し寛大で、発展の望みが大であったからである。以下酒井勝軍氏の研究を紹介する。
226: 09/03(火)20:13 ID:UBne5oS00(6/6) AAS
>>225
名前も二通り持っているとはやはり在日と似てる
227(1): 09/04(水)00:04 ID:4RPSwRRj0(1/7) AAS
p29
清教徒団(ピューリタン)の正体と活躍(ユダヤ人の傀儡である証拠)
(イ)宗教団体は仮面、正体は反国王革命団体にしてユダヤ人の傀儡
元来清教徒というものは当初純宗教団を標榜しながら漸次政治団化し、英王ジェームス1世及びチャールス1世の頃から政治的反逆の態度を露骨させ、英国議会及び英国国家に対する最後通牒を試みるに至った程反国家的なもので、マタイ伝中『心の清き者は福である。その人は神を見る事ができたはずだからである。』を根拠とし、清浄主義を唱えたとはいえ、当時の英国における新進分子というものはことごとくユダヤ化したもので、例えば清教徒はその心霊的滋養分をユダヤ聖書(旧約聖書)から仰ぎ、彼らが叫んでいるのは宗教革命で改革ではない、キリスト教をユダヤ化させないならば止まらないという一団体であったのだ。
つまりキリスト教徒の純信主義を利用し、キリスト教を赤裸々に引きむき、しまいにはユダヤ教に還元させようと図ったユダヤ人のために、知らず知らず引き込まれたもので、これを事実と証明するものは、当時清教徒と称する者は、キリスト教会に敵対することを本分のように心得、一方にはユダヤ人と深厚な接触を保ち、あのセネバ訳の委員としての最も責任あるホイッテンガム・ギルビー及びシンプソンなど清教徒の名将連はまたいずれも親ユダヤ派の人々であるのをもって知るべし。
また、ユダヤ人歴史家ヒャムソンは、『清教徒はヘブライ主義から生まれ出たものである』と断言している。
(ロ)闘争激成漁夫の利を得る秘策二股主義
しかもユダヤ人の常套手段である二股主義及び闘争助長主義を用い、一方このような主義を固執する清教徒を後援指導しつつ、他方において英国教会の僧正などによって教権主義を頑守させ、いっそう闘争を激成させ、ユダヤ人としては数百年の追放に対する宿恨を晴らさんがため、同時にキリスト教を打破し、かつ英国に政変を起こし、勝負いずれに帰するもユダヤ人の英国における実勢力に数段の進取をなそうと企画した。
228: 09/04(水)10:11 ID:4RPSwRRj0(2/7) AAS
>>227
2019.06.29
アメリカという「狂信的な国」はどんなふうに生まれたか
外部リンク:gendai.media
「常軌を逸したカルト教団」?
「このあと1620年になってやってきたのがメイフラワー号に乗ったピルグリム・ファーザーズである。当書によると「常軌を逸したカルト教団」の人たち、ということになる。
そしてアメリカの歴史というと、この1620年のメイフラワー号から語られることが多い。1590年代から1600年代にかけての「架空のゴールドラッシュおよび架空のアジア航路の探索」にはあまり触れられないのだ。アメリカ人にとって、自分たちの先祖として認められるのは、メイフラワー号に乗ってきたピューリタンということである。」
アメリカ大陸に入植したのはピューリタン。初期のピューリタンの主要勢力は長老派。長老派といえば、幕末に来日したユダヤ系オランダ人宣教師グイド・フルベッキは、大隈重信などを指導し、維新後、お雇い外国人として明治政府顧問となる。フルベッキ群像写真では、明治天皇激似の男と一緒に写っている。
また、アメリカ合衆国ロードアイランド州の州都プロビデンス市(神の摂理)を「神の慈悲深き摂理により」発見したロジャー・ウィリアムズは、ロンドン生まれのピューリタン。
ウィリアムズの主張は、偶像崇拝、安息日を破ること、偽りの崇拝をすること、および神への冒涜のような「十戒に対する違背」のどれも判事は罰することができないこと、あらゆる人は宗教的な事項において自分の良心に従う自由があるというもので、神を冒涜するならもうキリスト教信者やめれば?という感じだが、人々が宗教的な事項に自分の意見を持つ自由があるということを「精神の自由」と呼び、それは今日憲法が保証する政教分離と個人の信教を選び実行する自由という基本の一つになった。
229(1): 09/04(水)10:45 ID:4RPSwRRj0(3/7) AAS
フルベッキ群像写真は1865年に撮られたのはデマで1968年に撮られたとしているが、初めはフルベッキと一緒に写っている子供は長男のウィリアム(1861年1月生まれ)と紹介してたが、それだと整合性が取れなくなるから最近は妹のエマ・フルベッキ(1863年2月生まれ)に改造したんだな。髪の毛短くて女の子っぽくないけど。
230: 09/04(水)10:46 ID:4RPSwRRj0(4/7) AAS
>>229
誤:1968年
正:1868年
231: 09/04(水)11:33 ID:4RPSwRRj0(5/7) AAS
ウィリアム・フルベッキとエマ・フルベッキは顔がかなり似てるのがわかる(上)。
グイド・フルベッキの特徴は、剃り上がって四角くなった額だが、息子のウィリアムも遺伝していて額が剃り上がっていて四角い。
エマの額は狭く丸みがある。
フルベッキ群像写真の子供を見ると額は四角い。
これは息子ウィリアムと思うが、あまり真贋を追求すると合成といわれたり、物理的にこの世から消されそうw
なのでここまでにしておく。
画像リンク[jpeg]:i.imgur.com
画像リンク[jpeg]:i.imgur.com
232: 09/04(水)11:54 ID:4RPSwRRj0(6/7) AAS
フルベッキ群像写真のWikipediaにあるフルベッキの子供の注釈は現在こうなっている。
「慶應義塾大学理工学部元准教授で古写真研究家の高橋信一は次女のエマ・ジャポニカ・フルベッキ(1863年2月4日生)としている。また、遡ること1957年(昭和32年)には、古写真収集家の石黒敬七の写真集「写された幕末」で「長崎海軍練習所の蘭人教師とその娘をかこむ44人の各藩生徒」と紹介されている[1]。」
この「写された幕末」は、画像が荒く男女の判断がつきづらいし、海軍練習所は1859年には廃校になり後に神戸で再開されたとあり、年代や場所の検証なく記載した感があるので、解説部分は全面的に信用できない?
233: 09/04(水)11:54 ID:4RPSwRRj0(7/7) AAS
海外知識の導入
開国の決意に幕府は海外知識の吸収を急いだ、特に鎖国の弊であった海への守りを整えようとした。?安政2年設立、長崎海軍練習所の蘭人教師とその娘を囲む44人の各藩生徒、台紙の裏に海軍学校とある。この学校は6年に廃校されたが、文久2年神戸に海軍操練所と名前を変えて復校した。その建言をしたのが時の開国論者佐久間象山?である。(以下略)
外部リンク:dl.ndl.go.jp
石黒敬七 編『写された幕末』第1,アソカ書房,1957. 国立国会図書館デジタルコレクション 外部リンク:dl.ndl.go.jp
234: 09/04(水)13:11 ID:ePM4KhT80(1/6) AAS
グイド・フルベッキの家族の写真はここのサイトから拝借したが、今見たら画像が荒くてよくわからない写真になっているのはスマホが悪いの?
外部リンク[html]:www.asahi-net.or.jp
画像リンク[jpeg]:i.imgur.com
画像リンク[jpeg]:i.imgur.com
235: 09/04(水)14:50 ID:ePM4KhT80(2/6) AAS
p29
(ハ)共和党はユダヤ主義を謳歌する
清教徒団がついに政治団と化したのは、これを裏書きするものであるが、当時英国議会の極左党つまり共和党のようなものは、極端にユダヤ化していたもので、安息日は第一日ではない第七日であると主張し、彼ら自ら水平社(日本の水平運動はこれに模したものである)だと称し、甚だしいのはユダヤ人であると称し得意気な者がいた。
また彼らはその敵を、アマレク(ユダヤ国民の敵)と呼び、またスチュワート王朝を呼ぶのに、「エジプトのきずな」を使った。
その翻す旗印に「ユダヤの獅子」と大書し、その合言葉は『万軍の主』で、さらに『我が軍をして欧州大陸にユダヤ教の伝導旅行をさせよ』と叫んだ。
(ニ)ユダヤ人は闘争使嗾の天才
清教徒の前身者が英国国教を樹立する時は、等しく自由平等及び純神道擁護を高唱しながら、いまだ何年も経たずに、同主義の後身者がその英国国教を外道視し、英国国教または清教徒を異端扱いするに至り、しかもその主張するところは、末節に拘泥しているもので、結局は感情の衝突であるのを大観すると、ユダヤ人がいかに闘争激発の天才であるのかを認めなければならない。
(ホ)清教徒の宗教改革は実質においてキリスト教の破産
省3
236: 09/04(水)16:48 ID:ePM4KhT80(3/6) AAS
※日本の水平社とは、「人間は生まれながらにして平等な存在である」という理念から名付けられた、戦前に存在した部落解放同盟の前身。
237: 09/04(水)17:26 ID:ePM4KhT80(4/6) AAS
(へ)クロムウェル活躍の準備が成り、ついにチャールス1世を梟首する
これを要すると、清教徒の素性はこのようになったので、革命の機運が白熱してきた、怪傑オリバー・クロムウェルによって彗星のように思うように活躍を許し、ついに議会軍にすっかり反旗を翻し、国王チャールス1世に対し宣戦し、かつ戦い、かつ敗り、ついにこれを捕らえてホワイトホール宮殿前庭で梟首する。
人はこれをもって清教徒の勝利というけれども、わたくしはこれをもってユダヤ人の勝利であると言おうと望む。
そうして電光石火のごとく彼クロムウェルはイギリス王国を覆し、共和政府を樹立し自ら統監となるや、『これはまさに聖書に約束された千年王国の前兆である第五帝国だ』と賛美した。
(ト)クロムウェルとユダヤ人の関係
彼は清教徒の首領でまたメイソンの泰斗(ある分野における権威者)である。旧約の予言を信じることは厚く、ユダヤ人を一日も速やかにパレスチナに帰し、いわゆる千年王国を英国に建立しなくてはならないとし、ユダヤ人に対する同情は極めて深く、また彼らの天才と金力を利用し、自己の野心の成就を欲した。
あたかもよろしくオランダユダヤ人文豪マナセ・ベン・イスラエルは、熱烈な卓論「イスラエルの希望」を著し、ユダヤ人の使命の公表、イスラエル民族と英国との関係に論及して、聖書の予言に対する英国の英断を促し、英国議会などに陳情するところがあり。
クロムウェルは直に彼に旅券を交付渡英させようとしたけれども、英蘭戦争突発のため志を得られなかった。
1654年4月、英蘭和議となり、英提督三名もまた勧誘したので、マナセは渡英し直にクロムウェルに説いて曰く、
我が同胞は今や全世界に散在し、しかも我が同胞の住む所は必ずその国の国威が盛んである。ただ恨むらくは貴国のみ一人我らの入国を許さない。メシヤの降臨はまさに遠からず、我らはまた近く祖国に帰還することがあるに違いない。
省4
238(1): 09/04(水)21:31 ID:ePM4KhT80(5/6) AAS
p31
それなのに1650年クロムウェルが死するや、勤王党の復位運動及び僧侶派の排ユダヤ運動が激発し、ユダヤ勢力は壊滅させられるかと思われたのにかえって彼らの発展を許すこととなった。
(3)皇室に巧妙に取り入り勤王党であるのを装い勢力増大に成功する
(イ)勤王党に豹変し巧みに勢力を維持する
当時1660年チャールス2世が復位したが、勤王党の運動は成功するはずと悟るや、急ち勤王党の先駆者と変じ、十一年前ユダヤ人の一人がチャールス1世を断頭台上で斬首したのを知らないように振る舞った。
(ロ)英王室と縁故の由来
王政復古に大功があったのは、ダコスタおよびチャソンの両家で王の覚えめでたく、後者はナイトに叙せられ、ユダヤ民団の幹部は正当な英国市民権を付与されただけではなく、この頃から英国で出生し、当然市民権を有する者は漸加し、ユダヤ勢力はますます確固となった。
この時に当たりチャールス2世は、ポルトガル・プラガンツァのキャサリンと婚約になったが、これを提唱し、かつ成立させたのは、英国ではチャソン、ポルトガル国ではユダヤ人アウグスデン・コロネルである。
また新后キャサリンに付き従い、礼物その他の宰領役を承ったのは、ポルトガル国ユダヤ人でアムステルダムの銀行家であるデツァルト及びフランシスコ・ダ・シルバの兄弟であったので、以来英皇室とユダヤ人との関係は甚だ濃厚となり、従ってロンドンに移住する者は急増した。これはスペイン・ポルトガル両国においては残留の改宗ユダヤ人に対する迫害は甚だしかった時であったからだ。(富豪メンデス及びダコスタ両家は、名医フェルデナンド・メンデスもその一人である。)
239: 09/04(水)21:33 ID:ePM4KhT80(6/6) AAS
>>238
正:(富豪メンデス及びダコスタ両家、名医フェルデナンド・メンデスもその一人である。)
240: 09/05(木)06:34 ID:a2gM3x8D0(1/4) AAS
p31
(ハ)英皇室の庇護厚し
以後ユダヤ人の横行を憎み、栄達を羨むため、排ユダヤ運動は度々起こったけれども、チャールス2世は詔書さえ出しこれを保護した。また清教徒は重圧を受けたけれどもユダヤ教徒は何らの制裁も受けなかった。
1685年ジェームス2世登位後もこれを庇護した。以来何らの迫害もなく1718年には土地所有権を得、ロンドン市内にユダヤ会堂が続々建立され、1732年ヘブライ法典学院が建立され、後にユダヤ自由学校となった。
(ニ)帰化権獲得と財界掌握
1773年ベルハムユダヤ人帰化法案議会の問題となるや、下院トーリー党は、『これはキリスト教の破産である』と絶叫したけれども、ついに大多数をもって上下両院を通過したほどユダヤ教勢力は拡大され、当時すでに英国国庫歳入の十二分の一はユダヤ人の負担であった程であるゆえ、これを排斥することができなかった事情にあったのだ。
同年ダコスタ英国総裁に任じられ、かつアルバロ・スアソ及びフランシス・サルヴァドルなどの大富豪があり、十八世紀の末葉はことさらにユダヤ人が英財界を支配していたもので、サルヴァドルは東インド会社の理事である。
(ホ)ロンドン市長を出すまで
省3
241: 09/05(木)07:10 ID:a2gM3x8D0(2/4) AAS
p32
(ト)大学教授となる権
未曾有の優等生を出したのに始まる
1869年ヌマ・ハルドクと称する一ユダヤ学生はケンブリッジ大学において未曾有の成績を示した結果、ユダヤ学生に対する態度は一変し、大学査問令の廃止となり、自由に教授であることができるに至った、以来世界的有名な教授を多数出した。
(4)殖民政策成功の大半はユダヤ人の努力である
英国を世界の重鎮とさせたのは主としてその殖民政策によるものであるが、実はユダヤ人の世界発展策に他ならなかったのだ。
ひょっとすると殖民生活は世界広く国多
しといってもユダヤ人ほど経験が多い者はいないだけではなく、亡国民の事だから生涯万里に雄飛することができるという自由を有し、また世界政策の関係から世界的殖民の必要を感じていたがゆえに殖民事業といえばユダヤ人の独占ともいうことができるまで彼らはこの方面に活躍を怠らなかったものである。
だから英国が太陽の没する事がないまでその領土を拡張したのは、その大半はユダヤ人の功に帰すはずのものである。
省6
242: 09/05(木)10:27 ID:a2gM3x8D0(3/4) AAS
p33
(二)チャールス2世の庇護は非ユダヤ人を圧迫する
そうしてバルバドース島におけるユダヤ人の勢力は異常に拡大されたので、非ユダヤ人らはこれを嫉視し、ユダヤ人排斥の請願を殖民会議に提出したが、島知事リッチはこれを本国政府に移牒し、かつユダヤ人排斥の非を付言したところ、国王チャールス2世はこの請願を却下しただけではなく、さらにユダヤ人を優遇すべきをもってした。
だからブラジル殖民地においてもスリナム殖民地においても、同様の発展をしたもので、1644年ウィローウビー卿がスリナムに英国殖民地設立の許可をチャールス2世から受領したが、これに先立つこと十八年前に、ユダヤ人はすでに同地に殖民していたのである。
※ウィローウビーはウィロビー?(Willoughby)
GHQにいたマッカーサーの側近の情報参謀でCIA設立に貢献したウィロビーも同じ名字だが…
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