▼▼日本近代史フリーメーソン▼▼ (269レス)
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19: [sage] 2024/06/02(日) 15:44:00.98 ID:gnEOidQ/0 ティチングめっちゃスパイじゃん フリーメーソンってティチングからペリーまで日本開国計画してたでしょ? ティチングと文通していた島津重豪の娘は徳川家斉に嫁いだ。家斉は一橋家から将軍徳川家治の養子に入った。 家治の息子は若くして死んだ。毒殺ともいわれ、田沼意次や家斉の父の一橋が仕組んだともいわれる。 急死後、田沼意次と家斉の父は家斉を将軍にするように後継工作をしている。 そしてこういう時の将軍後継のはずだった松平定信は、両親の反対にも関わらず、田沼意次の工作によって、事前に松平家の養子になっている。 「一橋治済が尾張家、水戸家の当主に語ったところによると、松平定邦が溜詰への家格の上昇を目論み、田沼意次の助力により田安家(松平定信実家)の反対を押し切って定信を白河松平家の養子に迎えたという。」 //ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%AE%9A%E4%BF%A1 家斉の実父の徳川治済、義父の島津重豪、家斉の側近中の側近である中野清茂は、当時その豪奢な生活ぶりから、「天下の楽に先んじて楽しむ」三翁のことわざが作られたという。 (漢学者・五弓久文が著した徳川家斉の伝記『文恭公実録』) 一方、正反対に「天下の憂に先んじて憂う」人物として松平定信が挙げられている。 ことわざ「天下の憂いに先だちて憂え天下の楽しみに後れて楽しむ 」 范仲淹「岳陽楼記」から》すぐれた為政者は天下国家の憂いを世の人々がまだ憂えない前に憂え、天下国家の楽しみを世の人々が楽しんだ後に楽しむ。自己一身のことは問題にしないということ。先憂後楽。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/19
ティチングめっちゃスパイじゃん フリーメーソンってティチングからペリーまで日本開国計画してたでしょ? ティチングと文通していた島津重豪の娘は徳川家斉に嫁いだ家斉は一橋家から将軍徳川家治の養子に入った 家治の息子は若くして死んだ毒殺ともいわれ田沼意次や家斉の父の一橋が仕組んだともいわれる 急死後田沼意次と家斉の父は家斉を将軍にするように後継工作をしている そしてこういう時の将軍後継のはずだった松平定信は両親の反対にも関わらず田沼意次の工作によって事前に松平家の養子になっている 一橋治済が尾張家水戸家の当主に語ったところによると松平定邦が溜詰への家格の上昇を目論み田沼意次の助力により田安家松平定信実家の反対を押し切って定信を白河松平家の養子に迎えたという 家斉の実父の徳川治済義父の島津重豪家斉の側近中の側近である中野清茂は当時その豪な生活ぶりから天下の楽に先んじて楽しむ三翁のことわざが作られたという 漢学者五弓久文が著した徳川家斉の伝記文恭公実録 一方正反対に天下の憂に先んじて憂う人物として松平定信が挙げられている ことわざ天下の憂いに先だちて憂え天下の楽しみに後れて楽しむ 仲岳陽楼記からすぐれた為政者は天下国家の憂いを世の人がまだ憂えない前に憂え天下国家の楽しみを世の人が楽しんだ後に楽しむ自己一身のことは問題にしないということ先憂後楽
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