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232: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/09/04(水) 11:54:07.19 ID:4RPSwRRj0 フルベッキ群像写真のWikipediaにあるフルベッキの子供の注釈は現在こうなっている。 「慶應義塾大学理工学部元准教授で古写真研究家の高橋信一は次女のエマ・ジャポニカ・フルベッキ(1863年2月4日生)としている。また、遡ること1957年(昭和32年)には、古写真収集家の石黒敬七の写真集「写された幕末」で「長崎海軍練習所の蘭人教師とその娘をかこむ44人の各藩生徒」と紹介されている[1]。」 この「写された幕末」は、画像が荒く男女の判断がつきづらいし、海軍練習所は1859年には廃校になり後に神戸で再開されたとあり、年代や場所の検証なく記載した感があるので、解説部分は全面的に信用できない? http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/232
233: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/09/04(水) 11:54:18.74 ID:4RPSwRRj0 海外知識の導入 開国の決意に幕府は海外知識の吸収を急いだ、特に鎖国の弊であった海への守りを整えようとした。?安政2年設立、長崎海軍練習所の蘭人教師とその娘を囲む44人の各藩生徒、台紙の裏に海軍学校とある。この学校は6年に廃校されたが、文久2年神戸に海軍操練所と名前を変えて復校した。その建言をしたのが時の開国論者佐久間象山?である。(以下略) https://dl.ndl.go.jp/pid/3007188/1/15 石黒敬七 編『写された幕末』第1,アソカ書房,1957. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3007188 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/233
234: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/09/04(水) 13:11:54.98 ID:ePM4KhT80 グイド・フルベッキの家族の写真はここのサイトから拝借したが、今見たら画像が荒くてよくわからない写真になっているのはスマホが悪いの? http://www.asahi-net.or.jp/~un4h-tkfj/katsudou.html https://i.imgur.com/rJ8A9OG.jpeg https://i.imgur.com/vrtNrwH.jpeg http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/234
235: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/09/04(水) 14:50:18.13 ID:ePM4KhT80 p29 (ハ)共和党はユダヤ主義を謳歌する 清教徒団がついに政治団と化したのは、これを裏書きするものであるが、当時英国議会の極左党つまり共和党のようなものは、極端にユダヤ化していたもので、安息日は第一日ではない第七日であると主張し、彼ら自ら水平社(日本の水平運動はこれに模したものである)だと称し、甚だしいのはユダヤ人であると称し得意気な者がいた。 また彼らはその敵を、アマレク(ユダヤ国民の敵)と呼び、またスチュワート王朝を呼ぶのに、「エジプトのきずな」を使った。 その翻す旗印に「ユダヤの獅子」と大書し、その合言葉は『万軍の主』で、さらに『我が軍をして欧州大陸にユダヤ教の伝導旅行をさせよ』と叫んだ。 (ニ)ユダヤ人は闘争使嗾の天才 清教徒の前身者が英国国教を樹立する時は、等しく自由平等及び純神道擁護を高唱しながら、いまだ何年も経たずに、同主義の後身者がその英国国教を外道視し、英国国教または清教徒を異端扱いするに至り、しかもその主張するところは、末節に拘泥しているもので、結局は感情の衝突であるのを大観すると、ユダヤ人がいかに闘争激発の天才であるのかを認めなければならない。 (ホ)清教徒の宗教改革は実質においてキリスト教の破産 一大発展のように称するけれども実はキリスト教の破産であったのだ。つまり伝来の実質である聖霊は、敵手が汚すところとなり、キリストの神子説は無数の条件を付けられ絶対的なものではない事となり、キリスト教の真髄である神権は、サタンが提供した人権と代わり、ついに今日の倫落となった事は、ロシアの政治革命運動のように、ロシア帝国は滅んでその本当の有り様を失ったのと同様、キリスト教の本当の有り様を失ったものである。 ※万軍の主とは、巨人ゴリアテと戦い勝利したイスラエル人ダビデが万軍の主の御名によって立ち向かった信仰。 ※使嗾とは、人に指図して、悪事などを行うように仕向けること。指図してそそのかすこと。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/235
236: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/09/04(水) 16:48:39.81 ID:ePM4KhT80 ※日本の水平社とは、「人間は生まれながらにして平等な存在である」という理念から名付けられた、戦前に存在した部落解放同盟の前身。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/236
237: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/09/04(水) 17:26:08.27 ID:ePM4KhT80 (へ)クロムウェル活躍の準備が成り、ついにチャールス1世を梟首する これを要すると、清教徒の素性はこのようになったので、革命の機運が白熱してきた、怪傑オリバー・クロムウェルによって彗星のように思うように活躍を許し、ついに議会軍にすっかり反旗を翻し、国王チャールス1世に対し宣戦し、かつ戦い、かつ敗り、ついにこれを捕らえてホワイトホール宮殿前庭で梟首する。 人はこれをもって清教徒の勝利というけれども、わたくしはこれをもってユダヤ人の勝利であると言おうと望む。 そうして電光石火のごとく彼クロムウェルはイギリス王国を覆し、共和政府を樹立し自ら統監となるや、『これはまさに聖書に約束された千年王国の前兆である第五帝国だ』と賛美した。 (ト)クロムウェルとユダヤ人の関係 彼は清教徒の首領でまたメイソンの泰斗(ある分野における権威者)である。旧約の予言を信じることは厚く、ユダヤ人を一日も速やかにパレスチナに帰し、いわゆる千年王国を英国に建立しなくてはならないとし、ユダヤ人に対する同情は極めて深く、また彼らの天才と金力を利用し、自己の野心の成就を欲した。 あたかもよろしくオランダユダヤ人文豪マナセ・ベン・イスラエルは、熱烈な卓論「イスラエルの希望」を著し、ユダヤ人の使命の公表、イスラエル民族と英国との関係に論及して、聖書の予言に対する英国の英断を促し、英国議会などに陳情するところがあり。 クロムウェルは直に彼に旅券を交付渡英させようとしたけれども、英蘭戦争突発のため志を得られなかった。 1654年4月、英蘭和議となり、英提督三名もまた勧誘したので、マナセは渡英し直にクロムウェルに説いて曰く、 我が同胞は今や全世界に散在し、しかも我が同胞の住む所は必ずその国の国威が盛んである。ただ恨むらくは貴国のみ一人我らの入国を許さない。メシヤの降臨はまさに遠からず、我らはまた近く祖国に帰還することがあるに違いない。 閣下願わくばまず我らの民族を貴国に自由に居住することができる光栄を与えられんことを。 よってホワイトホールに委員会を開き、また議会に謀ったけれども反対は意外に強く満足な結果を得ず。 ついに独断をもってロンドン残留ユダヤ人に信教の自由を口約し、それゆえに色々争論を惹起したけれども、クロムウェル在世中はユダヤ人圧迫は失敗し、彼らは安んじて着々と歩みを進めていた。 ※ユダヤ人が住んでいたスペイン→オランダ→イギリスの国威は盛んだった。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/237
238: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/09/04(水) 21:31:40.14 ID:ePM4KhT80 p31 それなのに1650年クロムウェルが死するや、勤王党の復位運動及び僧侶派の排ユダヤ運動が激発し、ユダヤ勢力は壊滅させられるかと思われたのにかえって彼らの発展を許すこととなった。 (3)皇室に巧妙に取り入り勤王党であるのを装い勢力増大に成功する (イ)勤王党に豹変し巧みに勢力を維持する 当時1660年チャールス2世が復位したが、勤王党の運動は成功するはずと悟るや、急ち勤王党の先駆者と変じ、十一年前ユダヤ人の一人がチャールス1世を断頭台上で斬首したのを知らないように振る舞った。 (ロ)英王室と縁故の由来 王政復古に大功があったのは、ダコスタおよびチャソンの両家で王の覚えめでたく、後者はナイトに叙せられ、ユダヤ民団の幹部は正当な英国市民権を付与されただけではなく、この頃から英国で出生し、当然市民権を有する者は漸加し、ユダヤ勢力はますます確固となった。 この時に当たりチャールス2世は、ポルトガル・プラガンツァのキャサリンと婚約になったが、これを提唱し、かつ成立させたのは、英国ではチャソン、ポルトガル国ではユダヤ人アウグスデン・コロネルである。 また新后キャサリンに付き従い、礼物その他の宰領役を承ったのは、ポルトガル国ユダヤ人でアムステルダムの銀行家であるデツァルト及びフランシスコ・ダ・シルバの兄弟であったので、以来英皇室とユダヤ人との関係は甚だ濃厚となり、従ってロンドンに移住する者は急増した。これはスペイン・ポルトガル両国においては残留の改宗ユダヤ人に対する迫害は甚だしかった時であったからだ。(富豪メンデス及びダコスタ両家は、名医フェルデナンド・メンデスもその一人である。) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/238
239: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/09/04(水) 21:33:33.50 ID:ePM4KhT80 >>238 正:(富豪メンデス及びダコスタ両家、名医フェルデナンド・メンデスもその一人である。) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/239
240: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/09/05(木) 06:34:45.97 ID:a2gM3x8D0 p31 (ハ)英皇室の庇護厚し 以後ユダヤ人の横行を憎み、栄達を羨むため、排ユダヤ運動は度々起こったけれども、チャールス2世は詔書さえ出しこれを保護した。また清教徒は重圧を受けたけれどもユダヤ教徒は何らの制裁も受けなかった。 1685年ジェームス2世登位後もこれを庇護した。以来何らの迫害もなく1718年には土地所有権を得、ロンドン市内にユダヤ会堂が続々建立され、1732年ヘブライ法典学院が建立され、後にユダヤ自由学校となった。 (ニ)帰化権獲得と財界掌握 1773年ベルハムユダヤ人帰化法案議会の問題となるや、下院トーリー党は、『これはキリスト教の破産である』と絶叫したけれども、ついに大多数をもって上下両院を通過したほどユダヤ教勢力は拡大され、当時すでに英国国庫歳入の十二分の一はユダヤ人の負担であった程であるゆえ、これを排斥することができなかった事情にあったのだ。 同年ダコスタ英国総裁に任じられ、かつアルバロ・スアソ及びフランシス・サルヴァドルなどの大富豪があり、十八世紀の末葉はことさらにユダヤ人が英財界を支配していたもので、サルヴァドルは東インド会社の理事である。 (ホ)ロンドン市長を出すまで 十九世紀の初頭ロンドン在従者はすでに二万を越え、1835年ダビデ・サロモンズが始めてロンドン及びミッド ルセックス区長となり、次いで市参事会員となったが、参事会はこれを拒否し議会の問題となり、四年の後、内閣更迭の際可決され、常に反対者を圧し、1855年ついにロンドン市長となった。ロンドン市長といえば英国における最高職である。 (へ)参政権の獲得 英国に大なる野心を有する彼らは参政権の獲得に熱烈な努力を払い、1830年ロバート・グランド提出の平等法案を手始めとし、毎議会論戦に火花を散らし、1847年ロスチャイルド男ユダヤ人最初の代議士として下院に入るや、運動はますます猛烈となり、1858年デルビー内閣の時ついに平等法案を可決させた。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/240
241: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/09/05(木) 07:10:24.44 ID:a2gM3x8D0 p32 (ト)大学教授となる権 未曾有の優等生を出したのに始まる 1869年ヌマ・ハルドクと称する一ユダヤ学生はケンブリッジ大学において未曾有の成績を示した結果、ユダヤ学生に対する態度は一変し、大学査問令の廃止となり、自由に教授であることができるに至った、以来世界的有名な教授を多数出した。 (4)殖民政策成功の大半はユダヤ人の努力である 英国を世界の重鎮とさせたのは主としてその殖民政策によるものであるが、実はユダヤ人の世界発展策に他ならなかったのだ。 ひょっとすると殖民生活は世界広く国多 しといってもユダヤ人ほど経験が多い者はいないだけではなく、亡国民の事だから生涯万里に雄飛することができるという自由を有し、また世界政策の関係から世界的殖民の必要を感じていたがゆえに殖民事業といえばユダヤ人の独占ともいうことができるまで彼らはこの方面に活躍を怠らなかったものである。 だから英国が太陽の没する事がないまでその領土を拡張したのは、その大半はユダヤ人の功に帰すはずのものである。 (イ)ユダヤ殖民の経過 (一)ジャマイカはユダヤ王国 次に1655年クロンウェルがジャマイカを征服するや、同島にはすでにユダヤ人の殖民地は実施されていたのである。つまり同島はユダヤ人であるコロンブスの家族に贈与されたものであるが、結婚の結果プラザンガ家の所有となったものである。(プラザンガ家は後にスペインの王位に上った) だからジャマイカはスペイン領であったとはいえ、それは単に名義上で実際においてはコロンブスなどのユダヤ人が形造った一ユダヤ大国であったのである。 だから英領となるや、島内のスペイン人はことごとく追放させられたけれども、ユダヤ人およびスペイン人は従前のように生活の安定を持続し、ユダヤ人は新主権者の下にますます発展する事ができた。 どうしてかというとクロンウェルは同島にユダヤ人を発展させる事は、彼の殖民政策上の枢要であると信じていたからである。そうして彼はその殖民政策においてはユダヤ人シモン・デ・カセルスを顧問としていたのである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/241
242: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2024/09/05(木) 10:27:49.36 ID:a2gM3x8D0 p33 (二)チャールス2世の庇護は非ユダヤ人を圧迫する そうしてバルバドース島におけるユダヤ人の勢力は異常に拡大されたので、非ユダヤ人らはこれを嫉視し、ユダヤ人排斥の請願を殖民会議に提出したが、島知事リッチはこれを本国政府に移牒し、かつユダヤ人排斥の非を付言したところ、国王チャールス2世はこの請願を却下しただけではなく、さらにユダヤ人を優遇すべきをもってした。 だからブラジル殖民地においてもスリナム殖民地においても、同様の発展をしたもので、1644年ウィローウビー卿がスリナムに英国殖民地設立の許可をチャールス2世から受領したが、これに先立つこと十八年前に、ユダヤ人はすでに同地に殖民していたのである。 ※ウィローウビーはウィロビー?(Willoughby) GHQにいたマッカーサーの側近の情報参謀でCIA設立に貢献したウィロビーも同じ名字だが… http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/242
243: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2024/09/05(木) 13:15:33.11 ID:w8eUJy4Q0 p33 (三)英国始めてユダヤ人は英国民であると対外的に承認する それなのにスリナムは1675年オランダ領となり、オランダ政府は英国政府と同方針の下に同殖民地を経営したので、ユダヤ人を重要視したオランダ官憲は、その退去を拒否したので、英国官憲はやむを得ず、これらのユダヤ人をもって英国臣民であると言明した。 これは英国としては行きがかり上やむを得なかった事で外交関係上ユダヤ人を臣民であると言明したのはこれをもって嚆矢とする。 そうして外交上の駆け引きにおいては世界無類の技能を有するユダヤ人が、英国政府を見事に思うままに弄んだこの一事をもってしても、いかに彼らの運動が恐るべきものであるかを知らなければならない。 この他にニウ・アムスデルダム(今のニューヨーク)を始め、西半球におけるほとんど全ての殖民地は、それが何領かを問わず、必ずユダヤ人の殖民を見ないことがないだけでなく、その殖民事業はユダヤ人が中軸としているのを見なければならない。 そうしてカナダにおいては1760年英国征服と同時にユダヤ殖民地は開かれ、有名なユダヤ人アロンハート及びラザ ルスダビデなどが興って力があったが、ハートはカナダ遠征軍一方の将であった人だ。 そうして1768年には早くも公同体を設立し、1775年墓地の設備がまた完成した。またオーストラリアの開拓者としてはモントフォーアがあり、ヴィクトリアにおける石炭業及び工業一般の企業者としてはフォーゲルがあり、ニューサウスウェールズ殖民地におけるサムソン及びサロソンズなどいずれも英国にとっては忘れてはならない人々であるが、またケー及びナタル両殖民地経営者であるモーゼンタール兄弟がいる。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/243
244: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2024/09/05(木) 13:16:02.66 ID:a2gM3x8D0 p33 (三)英国始めてユダヤ人は英国民であると対外的に承認する それなのにスリナムは1675年オランダ領となり、オランダ政府は英国政府と同方針の下に同殖民地を経営したので、ユダヤ人を重要視したオランダ官憲は、その退去を拒否したので、英国官憲はやむを得ず、これらのユダヤ人をもって英国臣民であると言明した。 これは英国としては行きがかり上やむを得なかった事で外交関係上ユダヤ人を臣民であると言明したのはこれをもって嚆矢とする。 そうして外交上の駆け引きにおいては世界無類の技能を有するユダヤ人が、英国政府を見事に思うままに弄んだこの一事をもってしても、いかに彼らの運動が恐るべきものであるかを知らなければならない。 この他にニウ・アムスデルダム(今のニューヨーク)を始め、西半球におけるほとんど全ての殖民地は、それが何領かを問わず、必ずユダヤ人の殖民を見ないことがないだけでなく、その殖民事業はユダヤ人が中軸としているのを見なければならない。 そうしてカナダにおいては1760年英国征服と同時にユダヤ殖民地は開かれ、有名なユダヤ人アロンハート及びラザ ルスダビデなどが興って力があったが、ハートはカナダ遠征軍一方の将であった人だ。 そうして1768年には早くも公同体を設立し、1775年墓地の設備がまた完成した。またオーストラリアの開拓者としてはモントフォーアがあり、ヴィクトリアにおける石炭業及び工業一般の企業者としてはフォーゲルがあり、ニューサウスウェールズ殖民地におけるサムソン及びサロソンズなどいずれも英国にとっては忘れてはならない人々であるが、またケー及びナタル両殖民地経営者であるモーゼンタール兄弟がいる。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/244
245: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2024/09/05(木) 13:39:20.07 ID:w8eUJy4Q0 閑話休題 サムスンとユダヤ人がもめてる 独占「ユダヤ人のお金は無慈悲で無慈悲であることが長い間知られていた」と韓国のコラムニストが書く 世界最大手のテクノロジー企業をめぐる争いが反ユダヤ主義に転じる サムスンとアメリカ系ユダヤ人が運営するヘッジファンドとの間の大騒動で、韓国メディアで反ユダヤ攻撃が巻き起こる 9 July 2015, 3:57 am Exclusive 'Jewish money has long been known to be ruthless and merciless,' South Korean columnist writes Fight over one of the world’s largest tech companies turns anti-Semitic A titanic row between Samsung and a hedge fund run by an American Jew sparks anti-Jewish assault in South Korean media 「一部の韓国ジャーナリストは、合併を危うくしている最も著名な暴徒煽動者エリオット・アソシエイツのオーナー兼最高経営責任者ポール・シンガーがユダヤ人であるという事実に注目し始めた。」 株主活動家のエリオット氏、韓国に対する法的勝利を主張 国際裁判所、韓国政府に米国に1億850万ドルの支払いを命じる合併をめぐる会議 June 21, 2023 15:12 https://asia.nikkei.com/Business/Companies/Shareholder-activist-Elliott-claims-legal-win-against-South-Korea 「エリオットは2018年にソウルを相手に訴訟を起こし、2015年のサムスングループ企業であるサムスン物産と第一毛織の合併に対する政府介入による損失であるとして、5億3,900万ドルと利息を要求した。」 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/245
246: 警備員[Lv.5][新芽] [sage] 2024/09/06(金) 07:17:54.26 ID:MeobKQ4N0 >>245 //search.yahoo.co.jp/amp/s/www.timesofisrael.com/fight-over-one-of-the-worlds-largest-tech-companies-turns-anti-semitic/amp/%3Fusqp%3Dmq331AQGsAEggAID http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/246
247: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/09/06(金) 07:41:04.19 ID:MeobKQ4N0 (四)トランスバールダイヤモンド工場はことごとくユダヤ人の所有 そして例えばトランスバールのダイヤモンド工場はことごとくユダヤ人の経営に関わるものとする (ロ)上下両院、官公職殖民地官吏として著名ユダヤ人 これに先んじてダマスコ事件というものが起こり、全世界をして甚だしい憤怒を惹き起こした結果、民族同盟の機会はようやく熟して来て、1860年イスラエル世界同盟というものをパリを中心として実現させたのであったが、次いで英国に英ユダヤ協会を設立させ、以来英国上下両院を始め、その他官公職にあってユダヤ人が重要な地位を保っていることは珍しくない。 サー・ジョルジ・ジェッセルの弁護士のように、バーブライト卿の殖民次官のように、その一例としてサムユルはのちに内務大臣となり、現にパレスチナ大守である。 またその当時において上院には四名、枢密院には数名の議席を有し、男爵に叙せられた者もまた少ないとしない。 ニュージーランド首相フォーゲルのように、南オーストラリア首相ソロモンのように、またナタン知事のように、どれもユダヤ人で例えばインド事務局はユダヤ人がことさらに多く、ヴィクトリア時代の英国はそっくりそのままユダヤ人の英国であるかの観を呈していた。 そうして最後にユダヤ魂の権化ともいうべき偉丈夫ベンジャミン・ジスレリが現れ出て大英帝国の大宰相となり、思う存分英国を切り廻し、英国に根を深くして世界政策なるものを定め、ついにわたくしによって英国はイギリス人の英国ではなくてイスラエルの英国であると断じさせるまでの変調を来したものである。 そうしてジスレリーが逝っていまだ僅かに四十年にならないで、しかもその計画はすでに完成して世界は全くユダヤ人の前に屈服せざるを得ないことに至った。どうして一人英国だけと言うだろうか。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/247
248: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/09/06(金) 10:22:29.20 ID:MeobKQ4N0 p35 (5)ジスレリー(ビーコンスフィルド卿)のユダヤ人としての活躍は、ユダヤ民族世界的飛躍の基礎となる (一)カーライルのジスレリー酷評(貴族政党国是を束縛する) 彼ジスレリー一名ビーコンスフィルド卿はその容貌が米国リンカーンに酷似し、またその性格は我が井伊直弼を彷彿とする。彼は弁慶七つ道具の達人で暗中飛躍という忍術の名人であったため、政敵グラッドストーンに一目を置かせ、文豪カーライルによって ジスレリーは無類のユダヤ魔術師で、金縛の術に長け、巧みに英国のあらゆる有力な貴族政党及び国是を束縛する。 と酷評させるほど辣腕家であったとはいえ、決して不法不義不道徳を行ったのではない。その直言または直行は、直にイスラエル精神、ユダヤ魂の権化ともいうことができる、ヘブライ国士の面影を遺憾なく発揮したものである。 しかもその文才は溌剌として創作が多く、コニングスピイ及びシビルなどの名誉がある。 もしこれを一読して来れば、その敬虔な信仰から燃えている炎のような愛国の赤情に対し、誰がもらい泣きを禁じることができるだろうか。彼は当時天下の学会を風靡しつつあったダーウィンの進化論を一笑に付し去り、わたくしは天の使いに味方しようと壮語した。 (二)世の一半はユダヤ男子に、他の一半はユダヤ婦人にその膝を屈さなければならないという彼の壮語 『世の一半はユダヤ男子に、他の一半はユダヤ婦人にその膝を屈さなければならない』と大言した通り、決して一事の放言ではなくて深い自信があり、かつ理由がある事実の予報にすぎないのである。実に彼はよくその選民的使命を辱しめないものと言うことができ、しかもこれもあれも一人の抱負ではなくて神の民であるユダヤ民族全体の理想であり、また使命である。そうして今日においてはその大半はすでに実現されたものである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/248
249: 警備員[Lv.1][新芽] [sage] 2024/09/06(金) 10:54:15.30 ID:MeobKQ4N0 //search.yahoo.co.jp/amp/s/www.nbcnews.com/news/amp/rcna135271%3Fusqp%3Dmq331AQGsAEggAID http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/249
250: 警備員[Lv.1][新芽] [sage] 2024/09/06(金) 10:56:24.83 ID:MeobKQ4N0 >>249 イーロン・マスク氏は、ポーランドのアウシュビッツにあるナチスの強制収容所跡地を訪問した後、保守派のコメンテーター、ベン・シャピロ氏との会話の中で、自分は「縁故的にユダヤ人である」と述べた。 テスラのCEOでソーシャルメディアプラットフォームのXのオーナーでもあるマスク氏は、欧州ユダヤ人協会が主催した反ユダヤ主義に関する会議でこの発言をした。同協会は、ホロコーストで推定110万人のユダヤ人が殺害されたアウシュビッツをマスク氏が個人的に訪問できるよう手配していた。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/250
251: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/09/06(金) 16:30:19.75 ID:MeobKQ4N0 p35 (三)保守党の総理となり名誉の孤立 1848年ベンラング卿が逝くや、ジスレリーは挙げられて保守党総理となり、直ちにこれを改革して普通ではあり得ない不思議な勝利を収め、1852年デルビー内閣の大蔵大臣として大いに手腕をふるおうとしたが、予算否決のために官職を辞し、後デルビー内閣再び組織されるに当たり、デルビーが周囲を鑑み、政敵グラッドストーンおよびパーマーストーンなどと協調するところがあったけれども快からず、断然孤立の境遇に自ら投身し、長らく不遇に見えたのだが、これはかえって彼によってその真剣味を十分に世に知らせることができた名誉の孤立であったのである。 だから1858年に至りデルビーと再び握手し、共に内閣を組織したが、その提出した改革法案のため、またまた失脚した。 降って1865年首相パーマーストーン卿が逝き、後任首相ラッセル卿が失脚するや、デルビーは三度び政権を掌握することとなり、ジスレリーはまたまた彼と共同したが、前二回の失敗に鑑みて政策を改め、盛んに暗中飛躍を試み、敵党からは悪評、非難、攻撃が湧くかのようになったけれども、巧みに難関を切り抜けて、その新改革法案を通過させ、これと同時にデルビーは勇退した。 (四)内閣総理大臣としての辣腕ぶり ジスレリーはすぐに内閣総理大臣になる。間もなく彼の内閣はグラッドストーンの内閣と交代したが、1874年完全なジスレリー内閣を組織しただけでなく、約三十年間逆境にあったトーリー党は大多数党となったため、彼はその望むところを自由に遂行することができるのに至った。 この時に当たりすなわち1877年露土戦争が起こり、欧州の世論はキリスト教国であるロシアに同情を表し、回教国であるトルコに対して含むところがあったが、彗眼炬(ともしび)のごとき彼は群盲を排して一直線にトルコに同情し、この理由で干渉を試み、耳を裂くばかりの誹謗が内外に沸き上がったのを、蛙鳴蝉噪と聞き流して、あるいは艦隊をダーダネルスに派遣し、あるいはインド軍隊をマルタに出動させ、徹底的に英国の立場及び意思を表明した。 そうしてこの理由で彼の有名なベルリン会議は1878年の初夏に開催されたが、彼は自ら出馬し傍若無人の態度で忌憚なくその主張を貫徹させたその雄々しき武者振りには、内外を問わず感嘆を置くところを知らない者のように、政敵すらただ賞賛するだけであったという。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/251
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