▼▼日本近代史フリーメーソン▼▼ (275レス)
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2: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/05/30(木) 18:01:24.23 ID:S8mjEGDa0 フリーメイソンが最初に日本に訪れたのは江戸幕府による鎖国政策の時代であり、1779年に長崎港出島のオランダ商館に商館長として駐在したオランダ東インド会社のイサーク・ティチングが初訪日のフリーメイソンであると考えられている。 ティチングがフリーメイソンリーに入会したのは1772年、オランダ領東インドバタヴィア(インドネシアジャカルタ)でのことである。日本国内にメイソンリーのロッジ設立が始まったのはそれよりさらに後になってからである。 江戸末期の1853年、開国(開港)を日本に迫ったマシュー・ペリーはメイソンであった。ペリーは1819年にニューヨークのホーランド・ロッジでメイソンリーに加入した。ペリーを日本に遣わせたミラード・フィルモア米大統領は、フリーメイソンの集まりに参加した記録はあるが、フリーメイソンではない。 1860年2月26日(安政7年2月5日)、横浜で攘夷派によってオランダ人船長W・デ・フォスと、商人N・デッケルが暗殺された(オランダ人船長殺害事件)。外国人達は攘夷派への示威行動の意味もあり、できるだけ盛大に二人の葬儀を行おうとした。この時、殺された二人はフリーメイソンであると言われており、外国人のメイソン達は、儀式用の正装であるエプロン着用で葬儀に臨んだ。これが日本におけるフリーメイソンの最初の記録という(ただし、二人が会員であった証拠は見つかっていない)。二人は横浜の外国人墓地に埋葬され、その墓は現存している。 ↑ 二人の墓の形は珍しいピラミッド型 エプロンはフリーメーソンの正装。トルーマンやジョージ・ワシントンが着用している画がある。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/2
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