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533: ブログ転載 01/11(土)08:09 ID:GXrsuPEu0(1/5) AAS
第五話
記憶のいい読者は、まだ覚えているでしょう。昭和十一年の夏、ゼネラル・モータースという自動車会社が、夏季休暇の大学生にシボレーの乗り心地のいい新しい車と、ガソリンを提供して、シボレーの耐久力試験と大学生の自動車訓練をやったことがあります。当時新聞にも、夏休みの大学生の話題として報道されました。
この計画は、東京を出発して奥羽街道を仙台にとり、さらに盛岡、青森に出て順次、日本全土をドライブするという素晴らしいものでした。新しい車とガソリンをただで提供してくれた上、軽快な日本全土のドライブができるという棚からぼたもちが落ちてきたようなうまい話に、学生達は大喜びしたものです。学生達を乗せた自動車は、東京を颯爽と出発して、東北に向かいました。仙台、盛岡と泊まりを重ねつつ青森付近にさしかかった時、この計画に不審を抱いた憲兵隊が調べてみると、なんと、これが大がかりな白昼公然たるスパイ作戦だったのです。
というのは、敵もさるもの、シボレーのニュー・カーやガソリンをただ提供するわけはありません。それには、それ相応、いや、まことに高価な代償がちゃんとついていたのです。その代償というのは、地図の上だけではよくわからない道路の素質、橋の具合、どれくらいの重量のものならば通ることができるかというような細かい点を、実際にぶっつかってみて報告させることでした。
敵は日本の学生を巧みにスパイの手先に使って、日本の地勢の全部をいながらにして知ろうという寸法だったのです。こうした陰謀であることを、憲兵の慧眼によって睨んだので、この計画は、憲兵隊側の注意によって途中で止めてしまいました。スパイは、このように、油断も隙もならないものです。
第六話
一枚の紙屑や反古だって油断は禁物です。前欧州大戦当時、すでにフランスでは官庁が国民に呼びかけて、紙屑の取り締まりを励行したという記録もあります。
満洲事変の当時、日本が秘密にしている行動が敵の方へ筒抜けにわかる。どうもおかしい。どこかにスパイが潜んでいるに違いないと、だんだん探ってみると、敵は、紙屑を盗み出して、その紙屑の中から、秘密の事柄を察知していた事実がわかって、以来、紙屑に注意しろという事が強く叫ばれるようになりました。
戦時、海上を航行する船舶がよく敵の潜水艦にやられます。今度の大東亜戦にしても、敵は、洋上ゲリラ戦と称して、日本の近くへ潜水艦を出没させて、船舶を狙う。武装のない商船の前に現れた潜水艦にとって、商船をやっつけることは、赤ん坊の手をひねるよりも、もっと楽なことです。軍需資材を満載して航行する船舶を撃沈することは、洋上ゲリラ戦を企図する敵の潜水艦にとっては、大きな獲物です。そこで、敵のスパイが第一番に眼をつけるのが、貨物を満載して出帆する船の行動です。××丸が軍需品を満載して○○の港を×日×時に出帆したというようなことをスパイが探知すると、何らかの方法によって、洋上をうろついている潜水艦に知らせる。潜水艦は商船が航行するであろう水域で待ち受けてこれを撃沈する。でありますから、我々国民は、たとえ、船の行動について知っていることがあっても、絶対に口外してはなりません。スパイは、どこにどんな魔手を張っているかもしれません。
無意識でうっかりとよくやり勝ちなことですが、長崎とか神戸とか敦賀から大陸に旅行する人達が『××丸で×日×時に港を出帆する』というようなことを、大陸の友人に電報することがありますが、これなどは、もっとも危険なことと言わねばなりません。
省8
534: ブログ転載 01/11(土)16:20 ID:GXrsuPEu0(2/5) AAS
p37
明治の御維新後、西洋文明が潮が押し寄せてくるような勢いで日本へ入ってきた。その西洋文明の輸入は、やがて、国民の間に欧米崇拝の思想となって根を張りました。日本人は欧米人を崇拝し過ぎる。この日本人の欧米人崇拝の思想を巧みに利用してスパイする。
神戸で捕らわれたピータースというスパイの手記の中に『日本人には、欧米崇拝の気持ちが多分にあるから、これを巧みに利用することがスパイに成功する道である』と述べています。今日の我々日本民族は世界の第一流の民族であります。欧米人に対する必要以上の崇拝や尊敬など絶対にやめなければなりません。
思想戦を勝ち抜くために、その枢軸をなすものは、国民の全てが厳格な国体観念を把握することであります。国民の一人一人が日本精神、日本の厳然たる国体観念をもっているならば、スパイに乗じられる隙はないのであります。日本の厳格な国体観念に透徹しない者が、欧米に心酔して、親英派となったり、親米派となって、ややもすると米英の第五列の役割を演じるのであります。この英米心酔の日本国民は、敵の第五列としてスパイの温床と見なければならないのです。日本人が思想謀略に弱いという点も、こういうところに大きな根を張っているのであって、我々は、この際、日本精神の高揚をはかると同時に、外国流の思想というものを国内、国民の間から一掃することを心がけなければなりません。
英国の諜報網が、日本の上層階級における親英派を巧みに操っていた『耳打ちをする会』というのがありました。これは、駐日英国大使館書記官ゴア・プースという男が中心になって指導していた会合で、一つの謀略的な事柄を宣伝しようとする場合、英国駐在武官とか外交官あるいは事業界の有力者、宣教師などをクラブに集めて『これは絶対秘密だよ。君だけに話すのだから秘密を守って内密にしてもらわなければ困るよ』とさも一大秘密でもコッソリ打ち明けるような様子をして、こそこそと耳打ちをする。耳打ちされた者は、素晴らしい秘密を聞かされたように思って『君だけの秘密、君だけの内密』が甲から乙へ、乙から丙へという風に拡がって、まんまと、謀略宣伝の目的を達する仕組みになっていたもので、彼らの謀略哲学は『秘密を取るためには、まず与えなければならない。小さな秘密をまず与えておいて、相手からより大きな秘密を探り出す』という戦法を取っていたのであります。日本のことわざにある『エビで鯛』を釣っていたのであります。
写真外部リンク:dl.ndl.go.jp
シャープ鉛筆の中に隠された秘密文書。スパイの身についているものは、鉛筆一本といえども油断がならない。
写真は通信伝達に煙草を利用したもので左は両切煙草の中に通信文を巻き込んだもの。右は、葉巻煙草の中に挿入したものである。
写真外部リンク:dl.ndl.go.jp
マッチ箱を利用して暗号が書かれている。
535(1): ブログ転載 01/11(土)18:24 ID:GXrsuPEu0(3/5) AAS
p40 英国の対日諜報組織
東亜情報局の暗躍
英米の日本に対する第五列の魔手は、第一次欧州大戦以後、大東亜戦争が勃発するまでの二十年以上の間に、全国津々浦々にまで網の目のように張り巡らされていたのであります。
今にして思えば、米英はユダヤ的な『国際平和』の美しい衣の蔭に隠れて、ある時は『軍縮会議』と言い、ある時は『国際連盟』と言いあらゆる謀略、諜報、宣伝の手段を尽くして日本をむしばんで来たのであります。
お人好しの日本人は、二十年以上の長い間それを全く知らなかった。人間が病気にかかりながら少しも気づかず、身体の調子がどうも変だと言って医者に診察してもらった時には、最早、病は生命に関するほどの重体に陥っていたのと同じようなものであります。
この日本をむしばみ、スパイしていた米英の秘密組織が発覚したのは、昭和十五年七月英国ロイター特派員コックスの検挙に端を発しています。
大東亜戦争の前奏曲というべき米国の日本に対する経済断交と米英蒋蘭のABCD対日包囲陣の結成に際して、英国は日本に張られた秘密組織を全動員して、諜報に宣伝に謀略に狂奔したのであります。当時、日本国内一部上層部が米英に対してどんな考えを持っていたか、また、国内の世論がどんな風に動きつつあったかということは、ここに詳しく申しませんが、米英の謀略、宣伝に乗じられて、国論を統一する上でかなりの困難を来した時期があったということだけを記しておきます。しかし、日本の国論が完全に統一されて、日本を侵略しようとする米英に対し、うって一丸となり一戦あえて辞せずという空気が次第に濃厚となってきたことを観てとった米英は『目的のためには手段を選ばず』とまず英国が率先して、東亜全地域にわたる自国の大公使館、領事館をはじめ英人商社、英人を主体とした反枢軸的な色彩を持った一切の各国外交官、言論機関、商社員などを自家薬籠中のものとして、対日秘密戦の尖兵として駆使したのであります。
その謀略手段として、どんなことをやったかと申しますと、まず支那大陸におきましては、蒋軍の負けて生き残った敵匪を間接にそそのかして要人の暗殺を企てたり、軍事、交通、生産、文化施設の破壊謀略を敢行させました。鉄道線路の爆破とか、軍需工場の爆破などみんなこの謀略によるものであると言っても過言でないのであります。
その一方、日本の国内に向かっては、経済撹乱工作を行って日本の戦力消耗に全力を傾注したのであります。どんな手段をとったかというと、まず、軍需工場に労働争議を起こさせるように仕向けた。争議が起これば自然と生産力が低下するというところをうかがったものであります。
この謀略を完遂して目的を達成するために英本国は、欧州大戦が勃発するや、いち早く情報省直轄の下に『東亜情報局』をシンガポールに設置したのであります。シンガポールの東亜情報局を母体として、東京、上海、香港、北京、新京の大東亜地域にそれぞれ『情報部』を設けた。情報部は、思想戦、秘密戦の前線部隊として諜報、宣伝、謀略の触角を組織的に張り広げました。それはちょうど、ラジオのアンテナのように、どんな音、声でも感受しないではやまない鋭敏さを持ったものであったのです。あたかも、人間の身体に間断なく血液が脈を伝わってめぐっているようにいろいろな秘密情報を蒐集して、これを消化する一方においては、反枢軸陣営にとって都合のいいような謀略、宣伝をバラ撒いたのであります。
省2
536: ブログ転載 01/11(土)18:24 ID:GXrsuPEu0(4/5) AAS
各拠点の主任官は、自分の活動範囲内であらゆる術策を弄して競争的に諜報、宣伝、謀略分子の獲得に奔走し、当時、わずかな期間で諜報、宣伝、謀略上の確固たる地盤を築き上げてしまったのであります。その活動力にはまことに恐るべきものがあった。どんな分子が諜報網の分子として活動したかと申せば、在留英国人は言うまでもないことで、その他、商社、言論機関、第三国公館員、親英米日本人、特に上流社交界の日本人で東京クラブとかその他一流の社交関係、ホテルなどに出入りする名士、政治、経済、金融、文化の各面で指導的役割を果たしている人物など多岐、多様、広汎にわたっていたのであります。
挿絵外部リンク:dl.ndl.go.jp
駐日情報部の『秘密室』は日本の国内撹乱にこんな活動をしていた。
537: ブログ転載 01/11(土)22:56 ID:GXrsuPEu0(5/5) AAS
p45 V・Hの辣腕
昭和十五年七月、ロイター特派員英人コックスが東京憲兵隊にスパイとして検挙され、その罪が免れないことを知って彼が自殺した事件により、今まで、スパイに対して全く眠っていたかの観があった国内に、俄然、第五列を警戒しろ、スパイに油断するな、恐るべき第五列から我らの国土を防衛せよ!という声が湧き起こったのであります。この運動とコックスのスパイ行為の暴露のため、東亜情報局の開設以来、目まぐるしいほど活発に動いていた英国の諜報網は一時、閉塞したかに見えたのでありますが、それは、厳しい検挙の手を逃げる方便で実は着々と陣容の立て直しとコックスの検挙で破綻した組織の復活に全力を挙げ、それ以後、また形勢を改めたのであります。
英国の働きかける秘密戦の特質として見逃してならないことは、多くの場合宣伝と諜報を不可分的に行うということであります、なにか、うまい話を聞き出すためには、まず、何ものかを与え、そうしてからより大きな収穫をうかがっているのであります。そこで彼らが日本に何を与えたかというと、その多くは巧妙な謀略宣伝であったり、計画的な撹乱資料であったり、デマであったりーーつまり、おいしいお菓子と見せかけた毒まんじゅうを、与えられた日本人は『これはとてもおいしいお菓子だ』と言って喜んでいたようなものです。これでは英米のスパイが『日本人組しやすし』と思うのも無理からぬではありませんか。
それに反し、毒まんじゅうのお礼として日本人から彼らに提供していたところのものは、日本の国家機密に触れるような事柄だったのであります。
東京における英国の情報部が諜報活躍を行った跡を検討すると、その犯跡はまことに大きいのでありますが、わけても、ドイツソ連戦が開かれるや、まず最初に『在京反枢軸連合国情報機関』の糾合と密約に手を染め、同時に対日諜報組織を一段と強化して活動重点を親英邦人の抱き込みに置いたのであります。第一次工作として西洋文明が潮のように日本に流入された明治以来、日本国内の各層ににじみこんでいる親英層としっかりと握ってしまったのです。その網のもとをしっかりと握ってこれら親英日本人を巧みに操ったのが駐日情報部長V・Hであります。
V・Hはその道にかけては、なかなかの辣腕家で昭和十四年日本に着任以来、もっぱら言論機関の利用によって時局問題、特に日米交渉の推移に関する情報ならびに枢軸離間の謀略資料の蒐集に没頭した。この資料蒐集のために
ジャパン・ニュースウイーク社長U・S
同記者A・G
ジャパン・クロニクル社K・D
U・P東京特派員H・L
省18
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