▼▼日本近代史フリーメーソン▼▼ (269レス)
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246: 警備員[Lv.5][新芽] 09/06(金)07:17 ID:MeobKQ4N0(1/13) AAS
>>245
//search.yahoo.co.jp/amp/s/www.timesofisrael.com/fight-over-one-of-the-worlds-largest-tech-companies-turns-anti-semitic/amp/%3Fusqp%3Dmq331AQGsAEggAID
247: 09/06(金)07:41 ID:MeobKQ4N0(2/13) AAS
(四)トランスバールダイヤモンド工場はことごとくユダヤ人の所有
そして例えばトランスバールのダイヤモンド工場はことごとくユダヤ人の経営に関わるものとする
(ロ)上下両院、官公職殖民地官吏として著名ユダヤ人
これに先んじてダマスコ事件というものが起こり、全世界をして甚だしい憤怒を惹き起こした結果、民族同盟の機会はようやく熟して来て、1860年イスラエル世界同盟というものをパリを中心として実現させたのであったが、次いで英国に英ユダヤ協会を設立させ、以来英国上下両院を始め、その他官公職にあってユダヤ人が重要な地位を保っていることは珍しくない。
サー・ジョルジ・ジェッセルの弁護士のように、バーブライト卿の殖民次官のように、その一例としてサムユルはのちに内務大臣となり、現にパレスチナ大守である。
またその当時において上院には四名、枢密院には数名の議席を有し、男爵に叙せられた者もまた少ないとしない。
ニュージーランド首相フォーゲルのように、南オーストラリア首相ソロモンのように、またナタン知事のように、どれもユダヤ人で例えばインド事務局はユダヤ人がことさらに多く、ヴィクトリア時代の英国はそっくりそのままユダヤ人の英国であるかの観を呈していた。
そうして最後にユダヤ魂の権化ともいうべき偉丈夫ベンジャミン・ジスレリが現れ出て大英帝国の大宰相となり、思う存分英国を切り廻し、英国に根を深くして世界政策なるものを定め、ついにわたくしによって英国はイギリス人の英国ではなくてイスラエルの英国であると断じさせるまでの変調を来したものである。
そうしてジスレリーが逝っていまだ僅かに四十年にならないで、しかもその計画はすでに完成して世界は全くユダヤ人の前に屈服せざるを得ないことに至った。どうして一人英国だけと言うだろうか。
248: 09/06(金)10:22 ID:MeobKQ4N0(3/13) AAS
p35
(5)ジスレリー(ビーコンスフィルド卿)のユダヤ人としての活躍は、ユダヤ民族世界的飛躍の基礎となる
(一)カーライルのジスレリー酷評(貴族政党国是を束縛する)
彼ジスレリー一名ビーコンスフィルド卿はその容貌が米国リンカーンに酷似し、またその性格は我が井伊直弼を彷彿とする。彼は弁慶七つ道具の達人で暗中飛躍という忍術の名人であったため、政敵グラッドストーンに一目を置かせ、文豪カーライルによって
ジスレリーは無類のユダヤ魔術師で、金縛の術に長け、巧みに英国のあらゆる有力な貴族政党及び国是を束縛する。
と酷評させるほど辣腕家であったとはいえ、決して不法不義不道徳を行ったのではない。その直言または直行は、直にイスラエル精神、ユダヤ魂の権化ともいうことができる、ヘブライ国士の面影を遺憾なく発揮したものである。
しかもその文才は溌剌として創作が多く、コニングスピイ及びシビルなどの名誉がある。
もしこれを一読して来れば、その敬虔な信仰から燃えている炎のような愛国の赤情に対し、誰がもらい泣きを禁じることができるだろうか。彼は当時天下の学会を風靡しつつあったダーウィンの進化論を一笑に付し去り、わたくしは天の使いに味方しようと壮語した。
省2
249(1): 警備員[Lv.1][新芽] 09/06(金)10:54 ID:MeobKQ4N0(4/13) AAS
//search.yahoo.co.jp/amp/s/www.nbcnews.com/news/amp/rcna135271%3Fusqp%3Dmq331AQGsAEggAID
250: 警備員[Lv.1][新芽] 09/06(金)10:56 ID:MeobKQ4N0(5/13) AAS
>>249
イーロン・マスク氏は、ポーランドのアウシュビッツにあるナチスの強制収容所跡地を訪問した後、保守派のコメンテーター、ベン・シャピロ氏との会話の中で、自分は「縁故的にユダヤ人である」と述べた。
テスラのCEOでソーシャルメディアプラットフォームのXのオーナーでもあるマスク氏は、欧州ユダヤ人協会が主催した反ユダヤ主義に関する会議でこの発言をした。同協会は、ホロコーストで推定110万人のユダヤ人が殺害されたアウシュビッツをマスク氏が個人的に訪問できるよう手配していた。
251: 09/06(金)16:30 ID:MeobKQ4N0(6/13) AAS
p35
(三)保守党の総理となり名誉の孤立
1848年ベンラング卿が逝くや、ジスレリーは挙げられて保守党総理となり、直ちにこれを改革して普通ではあり得ない不思議な勝利を収め、1852年デルビー内閣の大蔵大臣として大いに手腕をふるおうとしたが、予算否決のために官職を辞し、後デルビー内閣再び組織されるに当たり、デルビーが周囲を鑑み、政敵グラッドストーンおよびパーマーストーンなどと協調するところがあったけれども快からず、断然孤立の境遇に自ら投身し、長らく不遇に見えたのだが、これはかえって彼によってその真剣味を十分に世に知らせることができた名誉の孤立であったのである。
だから1858年に至りデルビーと再び握手し、共に内閣を組織したが、その提出した改革法案のため、またまた失脚した。
降って1865年首相パーマーストーン卿が逝き、後任首相ラッセル卿が失脚するや、デルビーは三度び政権を掌握することとなり、ジスレリーはまたまた彼と共同したが、前二回の失敗に鑑みて政策を改め、盛んに暗中飛躍を試み、敵党からは悪評、非難、攻撃が湧くかのようになったけれども、巧みに難関を切り抜けて、その新改革法案を通過させ、これと同時にデルビーは勇退した。
(四)内閣総理大臣としての辣腕ぶり
ジスレリーはすぐに内閣総理大臣になる。間もなく彼の内閣はグラッドストーンの内閣と交代したが、1874年完全なジスレリー内閣を組織しただけでなく、約三十年間逆境にあったトーリー党は大多数党となったため、彼はその望むところを自由に遂行することができるのに至った。
この時に当たりすなわち1877年露土戦争が起こり、欧州の世論はキリスト教国であるロシアに同情を表し、回教国であるトルコに対して含むところがあったが、彗眼炬(ともしび)のごとき彼は群盲を排して一直線にトルコに同情し、この理由で干渉を試み、耳を裂くばかりの誹謗が内外に沸き上がったのを、蛙鳴蝉噪と聞き流して、あるいは艦隊をダーダネルスに派遣し、あるいはインド軍隊をマルタに出動させ、徹底的に英国の立場及び意思を表明した。
そうしてこの理由で彼の有名なベルリン会議は1878年の初夏に開催されたが、彼は自ら出馬し傍若無人の態度で忌憚なくその主張を貫徹させたその雄々しき武者振りには、内外を問わず感嘆を置くところを知らない者のように、政敵すらただ賞賛するだけであったという。
252(1): 09/06(金)17:16 ID:MeobKQ4N0(7/13) AAS
p36
(五)ベルリン会議でトルコを救ったのは祖国パレスチナ復興策の第一歩とさせると同時に、独立した諸国の信教自由を憲法で保障させユダヤ教を保護するためにあり。
そうして彼はこのベルリン会議によってトルコの致命傷を救治させるのは、他日トルコによって祖国パレスチナ復興問題を解決させようとの下心であったのは言うまでもないことで、これと共にヨーロッパにおけるユダヤ人の致命的及び宗教的解放に向かって一新生面を開いたものである。
つまりベルリン会議議定書中に、ベルリン会議によって解放され独立した国は、信教の自由をその憲法で保障しなければならない明文がある。
ブルガリア、モンテネグロ及びセルビアなどは直ちにこれと同じだったけれども、ルーマニアだけ言を左右にしてこれを拒んだが、しばらくしてこれを承認するに至って、ビーコンスフィルド卿の英名は雷のように全ヨーロッパに響き渡った。
(六)彼はビクトリア女王にインド女帝の称号を奉った人だったが、次いでトルコによってクプロ島(地中海東北隅にある島でユダヤ人と関係が多いところ)を割譲させ、その代償として地中海沿岸の海防を引き受け、またスエズ運河乗っ取りの早道として同運河株を多数買い取ったようなことは、決して英国一国の政策からしたものではなくて、ユダヤ人のパレスチナ復興運動の前提と見るべきものであるとする。
(七)六年間の彼の治世はユダヤ人にとって黄金時代で、英国だけではなく全世界でユダヤ人のシオン(祖国回復)運動の精神は白熱して来た。
彼は1880年グラッドストーンに内閣を明け渡し翌年永眠したが、六年間の彼の施政は、どのように英国に福したのかは別問題とし、ユダヤ人にとってはクロムウェル当時と甲乙ない幸運時代で、カミソリ宰相と呼ばれた程、彼は辣腕、敏腕、怪腕、霊腕の限りを振るったものであった。
そうして彼の永眠はユダヤ人にとって大打撃であったが、英国人にとっても忘れることができない不幸で、彼らはこの日をプリムローズの日と称し、国際的記念日としているのを見ても、遺功が非凡であったのを知るべし。
253: 09/06(金)22:36 ID:MeobKQ4N0(8/13) AAS
p37
シオン運動の精神白熱して来た反動として、ロシア国ではポログラムを喚発し、フランスではドレーアス事件を惹起したのである。そうしてこの理由でヘルツルの奮起となり、1897年のバーゼルにおける全世界ユダヤ人大会となり、ここにシオン運動は二千数百年間で理想から現実に向かって猪進したのである。
(6)ヴィクトリア女皇のユダヤ人愛護
元来ヴィクトリア女皇は前述の通りユダヤ系を承け、ユダヤ人の祖国復興運動に対しては満身の同情と援助を与え、ダマスコ事件が起こるや、憂慮を置くことができないモントフォーアなどはこれのため実情検分として出発しようとするや、特に彼に謁見を賜ってその成功を祈り、一行のために官船を艤装させ、その他百般の援助をもってし、また首尾よく任務を果たして帰朝するや、再びモントフォーアを召しその成功を祝し、報いるのに貴族の礼をもってし、エルサレム勲章を賜ったという。
そうしてパレスチナ復興に関しては熱烈なシオン主義者で、出来得べくんば自己の治世中にこれを実現させようとの希望から、64年の長期間王位を保ったのであるとさえ言い伝えられたけれども、機はいまだ熟さなかったのか、志ならずしてこれを後継者エドワード7世に遺詔したのに、あたかも善い初産王(現皇太子)の誕生があったので、女王はこの遺詔を記憶させるため初産王をダビデと命名した。おおかたダビデはユダヤ王国の開祖である事を何人も知るところであるのをもって、これに因んでユダヤ王国を復興させようとの意思を残されたものである。
254: 09/06(金)22:44 ID:MeobKQ4N0(9/13) AAS
(7)英国政府は変わるも対ユダヤ方針は不変
バルフォアーの宣言にユダヤ人は狂喜頓死した者あり。
以来英国政府は何度も変遷があるも親ユダヤ方針に変化なく、1903年エドワード7世は首相バルフォアーを使って、祖国パレスチナ奪還の機会が来るまで、英領東アフリカ、ウガンダ地方を提供させたが、第七回シオン大会議は、
我ら神の選民であるユダヤ人は、自由の領土を求める者ではなくて、ただ祖国パレスチナを復興しようと望むのみ。
と拒絶するところとなるや、1916年時の外相バルフォアーは世界シオン国総裁ワイツマン博士に対し、
省8
255: 09/06(金)22:48 ID:MeobKQ4N0(10/13) AAS
(三)米国ユダヤ勢力に牛耳られる英国の悲哀
前述のように英国においては、最早上は皇室から下は労働党まで、ユダヤ勢力はすでに不治の病になり、英国は彼らの傀儡であるのを思わせるものであるが、彼らはまた米国ユダヤの勢力に支配されているのである。
世界を支配する米国のドルは、実は経済力をもって世界を支配しようとするユダヤ方針の実現である。日本の公社債の募集にもモルガン(ユダヤ人)の一顰一笑(顔を少ししかめたり少し笑う些細な変化)を気にしているのは残念な事実であるが、下り坂の大英帝国に至っては、誠に憐憫に堪えないものがある。
国際的な事になると、まず米国ユダヤの了解を求めるのにどんなに及々であるかの実例を次に挙げる。
(イ)ロバートセシル卿は米国ユダヤ人の集会において英国の対ユダヤ方針の不変を宣言す。
大戦中1917年11月2日英国外務大臣バルフォアーが全世界ユダヤ総代ロスチャイルド卿に手交された「シオン団の陛下の政府はパレスチナに一国家の設立を賛し、この目的のために最善の努力をなすべき旨をシオン団に通告を希望する」の意味のいわゆるバルフォアー宣言は、ユダヤ人の助力なしには確実な戦勝を得難い情勢上、連合国側だけではなく、敵国中にいる彼らをも利用しようとする政策を取らせるに至ったので、(この結果英国のユダヤ人が本当に乗り気になって金を出し数百万の派兵を可能にさせた)この事実や、ロンドン会議当時シオン運動の勇将マグドナルドに統帥された労働党が英国の政界を支配していた事などは、いかにユダヤ人が英国を牛耳っているかを示すものであるが、1924年英国国際連盟大臣ロバート・セシル卿が米国に赴き、米国ユダヤ人の集会に臨んで、『我が政府はいかに更迭するとも、上院はいかに変動するとも、ユダヤ人に対する英国の方針は断じて変える事はない』とご機嫌をとっている事や、またロンドン会議前マクドナルド首相が渡米し、米国ユダヤ人に、労働党が総選挙で予想外を多数獲得したお礼を述べたりしている事でもその一端がわかる。
バルフォアーの宣言は大戦は今だ終わらず、米国はいまだオーストリアに宣戦しないのに世界的大難題に向けて独断決行を試みたもので、傍若無人の振るまいと見られようが、実は彼の夫人はユダヤ人であり、当時以来大統領ウィルソンもシオン主義の巨頭で、夫人はユダヤ人であり、裏からの連絡はついているのであるが、表向きにはこの宣言を発すると同時に英国はサー・ルファス・アイザック(つまりリンデング卿で後にインド大守となったユダヤ人)を特命全権大使となし米国に派遣し、ウィルソンの了解を得て平和会議で具体化されたのである。
256: 09/06(金)22:51 ID:MeobKQ4N0(11/13) AAS
(ロ)マクドナルドは英国総選挙前に自党の抱負を米紙に掲げ、米ユダヤ人の了解助力を求める
またマクドナルドが英国総選挙前、労働党の首領として米国のニューヨーク ヘラルド紙に『政権がもし我が党に帰すならば』と題する一論文を寄書して無遠慮な抱負を公にした(これは東朝紙(朝日新聞の前身の一つ)に訳出された)が、この事実はすでに彼がいかに在米ユダヤ人の同志の助力了解を得るのに腐心するかを物語るのであると同時に、ユダヤ主義メイソン団の真目的(つまり世界革命)を知って読むと、誠によく了解出来る節が多々ある。
試しにその二、三を掲げる。( )内は解釈、訳文は東朝紙のものそのまま。
○米国は我らの世界計画においては我らの同盟国である云々
(世界計画とはなんぞや。大胆に世界ユダヤ禍を暗示する以外、英米同盟の成功を期待することができるものなし)
○労働党政府は、もし米国の方で我らと離れるような態度をとれば、それを災難と見なそうが、労働党政府はそんな事くらいで納まっていないで、それ以上ぐんぐん進んでいくだろうというのは、労働党政府は我らの世界政策である平和、改造、民主主義的発展、自由などの問題を、米国の精神や諸目的と本質的に同種のものであると考えているのである。
従って米国は我らの仕事において我らに与えることができる援助を差し控えようとする事はとてもできないわけである。
省4
257: 09/06(金)22:51 ID:MeobKQ4N0(12/13) AAS
○ロシア国革命は残忍な専制、残酷な圧迫、流血事件によって著名になった。でも私はそれを他の諸政府の敵対行為の実際の理由だと断じる事はできない。
ロシア国に白色帝国主義者連の革命が起こっていたら、同じく暴虐非道流血を極めたことであろうが、その場合は寛大な許しは容易であっただろう。そして承認は差し控えられなかったであろう。
(これは欧米政治家の詭弁の一例。白色革命はあるはずがない。あるとするならば愛国的内乱であるはずだ。また白色党の制裁は単にロシア国民の敵ユダヤ人にだけ加えられるはずだ。この言葉と次の言葉により、彼がいかにロシア国革命の味方であるかを知ることができるはずだ。)
○労働党政府が成立するなら我らは直にモスクワとの直接談判によってまた正当な援助を許し………云々。
○ロシア国は今に我々をひっくり返す事ができる強国である………。
(未完)
258: 09/06(金)23:31 ID:MeobKQ4N0(13/13) AAS
白色党や白色革命という言葉が出てくるが、フリーメーソンの別名で、グレート・ホワイト・ブラザーフットという組織があって、直訳すると偉大な白人兄弟愛。
シュタイナー教育ってオカルトなのか?
神秘主義者でもあるシュタイナーは、グレートホワイトブラザーフットは光の大同胞団とも呼ばれて悪霊と戦ってるという。
まさに光の戦士がDSと戦っているというQアノンの設定と似ている。Qアノンはフリーメーソン由来と思う。
外部リンク:ja.m.wikipedia.org
他に白色革命で思いつくのはアングロサクソン・ミッション
実は世界は昔からあまり変わってなかったりして
>252
カミソリの陸奥はパクリか…
陸奥宗光の孫の陸奥イアン陽之助は、ジャパン・アドバタイザーに入社し編集次長になっている。>>198
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