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266: 2024/09/27(金)16:51 ID:Q0av5a3U0(1) AAS
フルベッキの解説
「1866年には,佐賀藩が長崎に開いた「致遠館」の教師も務めることになるが,ここでは,大隈重信や副島種臣をはじめとして,後に明治政府の要職に就くことになる多くの若手の教育にも関係する。フルベッキは,長崎で堪能な語学(英,蘭,独,仏)の教授に加え,政治,天文,科学,機関,築城,兵事等も教授したほか,蒸気船の購入等も依頼されていたのである(杉(1984),
pp.140-141)。このためか,高杉晋作,坂本龍馬,木戸孝充,伊藤博文,井上馨,小松帯刀,西郷隆盛兄弟等も,フルベッキのところに出入りしていたのである(『フルベッキ書簡集』(1978)の「解説」の項(p.372)を参照のこと)。
『フルベッキ書簡集』の「年譜」によれば,フルベッキは,明治2年には,東京に出て開成校
教師や明治政府顧問となり,明治3年には,(開成校を改称した)大学南校教頭に推薦されている。
明治7年ごろからは,明治政府との関わりも弱くなり,明治10年には,明治政府の役職から完全
に外れるが,この間の功労が認められ勲三等旭日章が授与される。明治20年,明治学院の設立と
もに,教授に就任し,翌年,明治学院理事員会議長となっている。」
富田鐵之助「幕末維新のアメリカ留学と富田鐵之助―「海舟日記」に見る「忘れられた元日銀總裁」富田鐵之助(5)―」『東北学院大学経済学論集』第186号、東北学院大学学術研究会、2016年3月、1-91頁、ISSN1880-3431。
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