▼▼日本近代史フリーメーソン▼▼ (299レス)
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238(1): 09/04(水)21:31 ID:ePM4KhT80(5/6) AAS
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それなのに1650年クロムウェルが死するや、勤王党の復位運動及び僧侶派の排ユダヤ運動が激発し、ユダヤ勢力は壊滅させられるかと思われたのにかえって彼らの発展を許すこととなった。
(3)皇室に巧妙に取り入り勤王党であるのを装い勢力増大に成功する
(イ)勤王党に豹変し巧みに勢力を維持する
当時1660年チャールス2世が復位したが、勤王党の運動は成功するはずと悟るや、急ち勤王党の先駆者と変じ、十一年前ユダヤ人の一人がチャールス1世を断頭台上で斬首したのを知らないように振る舞った。
(ロ)英王室と縁故の由来
王政復古に大功があったのは、ダコスタおよびチャソンの両家で王の覚えめでたく、後者はナイトに叙せられ、ユダヤ民団の幹部は正当な英国市民権を付与されただけではなく、この頃から英国で出生し、当然市民権を有する者は漸加し、ユダヤ勢力はますます確固となった。
この時に当たりチャールス2世は、ポルトガル・プラガンツァのキャサリンと婚約になったが、これを提唱し、かつ成立させたのは、英国ではチャソン、ポルトガル国ではユダヤ人アウグスデン・コロネルである。
また新后キャサリンに付き従い、礼物その他の宰領役を承ったのは、ポルトガル国ユダヤ人でアムステルダムの銀行家であるデツァルト及びフランシスコ・ダ・シルバの兄弟であったので、以来英皇室とユダヤ人との関係は甚だ濃厚となり、従ってロンドンに移住する者は急増した。これはスペイン・ポルトガル両国においては残留の改宗ユダヤ人に対する迫害は甚だしかった時であったからだ。(富豪メンデス及びダコスタ両家は、名医フェルデナンド・メンデスもその一人である。)
239: 09/04(水)21:33 ID:ePM4KhT80(6/6) AAS
>>238
正:(富豪メンデス及びダコスタ両家、名医フェルデナンド・メンデスもその一人である。)
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