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南京大虐殺は史実★2 (1002レス)
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: 2024/12/24(火)20:06
ID:x530YvhR0(4/5)
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634: [sage] 2024/12/24(火) 20:06:47.00 ID:x530YvhR0 で、16師団長の中島今朝吾だが中支那方面軍司令官の松井石根とは遺恨があるw 1937年(昭和12年)1月、次期首班が宇垣一成大将となることが明白となった。 この時統制派は、軍部主導での政治を行うことを目論んでおり、かつて四個師団を廃止するなどの宇垣軍縮を断行した宇垣が首相になれば自分たちの政策が実現できないと考えこの宇垣の組閣を阻止しようとした。 統制派は陸軍首脳部を突き上げ、宇垣に対して自主的に大命を拝辞させるように「説得」する命令を寺内大臣から憲兵司令官であった今朝吾に出させた。 今朝吾は、宇垣が組閣の大命を受けようと皇居に参内する途中、宇垣の車を多摩川の六郷橋で止めその車に乗り込んで、寺内大臣からの命令であると言い、今回の大命を拝辞するようにと宇垣を「説得」したが、宇垣はこれを無視して参内し、大命を受けた。 しかし統制派の工作は「宇垣四天王」と呼ばれた杉山元教育総監、小磯国昭朝鮮軍司令官にも及び、結局誰一人として宇垣内閣の陸軍大臣を引き受ける者はおらず、宇垣は組閣を断念し宇垣内閣は流産した。 さらにこの時、今朝吾は宇垣の組閣参謀であった松井石根大将や衆議院議員の船田中に直接電話をして宇垣への加担をやめるように言っている。 つまり松井にとって中島は宇垣の組閣を妨害した実行犯w このような関係の両者が11月に松井は中支那方面軍司令官に、中島は麾下の第16師団長に就任w 松井からすれば自分の親分の組閣を邪魔した実行犯が部下になり、中島からすれば自分が直接手を下して組閣を邪魔した相手が上官になった事になるw これで二人とも「過去の遺恨を水に流して手を取り合って仲良くした」と思うほうがどうかしているw 幕府山時点での中島師団長の置かれた状況w ↓ 15日まで中島師団長よりも上位者の松井大将は不在w 他の師団長や司令部の参謀は階級も席次も下の連中しかいないw 仙鶴門鎮の7200名の捕虜を抱えているw 延期を希望していたのに17日には入城式を敢行w こういう状況で階級も席次も下の司令部の参謀から1万程の捕虜をさらに追加で「取り敢へず16Dに接収せしむ」という《指示(命令ではないw)》を受けた場合、《命令》ではないのだから実行不可能を理由に拒否しても不思議ではない(実際どう見ても当時の16師団では実行不可能)w その結果が15日の本間騎兵少尉への「皆殺せ」という放言になったと判断できるw その後山田支隊は暴動を起こした捕虜を鎮圧w 事象としては唯の暴動鎮圧であって「処刑命令」など関係無いし、そんなものは何処にも存在しないw http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1725004156/634
で師団長の中島今朝吾だが中支那方面軍司令官の松井石根とは遺恨がある 年昭和年月次期首班が宇垣一成大将となることが明白となった この時統制派は軍部主導での政治を行うことを目論んでおりかつて四個師団を廃止するなどの宇垣軍縮を断行した宇垣が首相になれば自分たちの政策が実現できないと考えこの宇垣の組閣を阻止しようとした 統制派は陸軍首脳部を突き上げ宇垣に対して自主的に大命を拝辞させるように説得する命令を寺内大臣から憲兵司令官であった今朝吾に出させた 今朝吾は宇垣が組閣の大命を受けようと皇居に参内する途中宇垣の車を多摩川の六郷橋で止めその車に乗り込んで寺内大臣からの命令であると言い今回の大命を拝辞するようにと宇垣を説得したが宇垣はこれを無視して参内し大命を受けた しかし統制派の工作は宇垣四天王と呼ばれた杉山元教育総監小磯国昭朝鮮軍司令官にも及び結局誰一人として宇垣内閣の陸軍大臣を引き受ける者はおらず宇垣は組閣を断念し宇垣内閣は流産した さらにこの時今朝吾は宇垣の組閣参謀であった松井石根大将や衆議院議員の船田中に直接電話をして宇垣への加担をやめるように言っている つまり松井にとって中島は宇垣の組閣を妨害した実行犯 このような関係の両者が月に松井は中支那方面軍司令官に中島は下の第師団長に就任 松井からすれば自分の親分の組閣を邪魔した実行犯が部下になり中島からすれば自分が直接手を下して組閣を邪魔した相手が上官になった事になる これで二人とも過去の遺恨を水に流して手を取り合って仲良くしたと思うほうがどうかしている 幕府山時点での中島師団長の置かれた状況 日まで中島師団長よりも上位者の松井大将は不在 他の師団長や司令部の参謀は階級も席次も下の連中しかいない 仙鶴門鎮の名の捕虜を抱えている 延期を希望していたのに日には入城式を敢行 こういう状況で階級も席次も下の司令部の参謀から1万程の捕虜をさらに追加で取り敢へずに接収せしむという指示命令ではないを受けた場合命令ではないのだから実行不可能を理由に拒否しても不思議ではない実際どう見ても当時の師団では実行不可能 その結果が日の本間騎兵少尉への皆殺せという放言になったと判断できる その後山田支隊は暴動を起こした捕虜を鎮圧 事象としては唯の暴動鎮圧であって処刑命令など関係無いしそんなものは何処にも存在しない
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