大日本帝国憲法VS日本国憲法 [転載禁止]©2ch.net (927レス)
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832: [] 2019/04/12(金) 22:40:50.41 ID:pqCWAV6e 第三が、天皇は英国君主と同様に「政治関与」を行っていたとみなす伊藤之雄教授の見解である。政治関与型立憲君主説ないし伊藤之雄説と呼べる。 伊藤説の前提は、独自の英国憲政論への理解に基づく、天皇主権説と伝統的立憲君主説の双方への批判である。 伊藤教授はバジョットなど単なる理想の表明に過ぎず、両説ともに英国憲政論を理解していないと痛烈に批判を加えている。 最近では日本近代史の研究者を中心に賛同者が増加しつつある。特に、通説は「神聖不可侵」の天皇を象徴天皇と同様に「政治関与」をしない存在であると誤解しているとして批判する。 伊藤教授の提示した日英両国の憲政にとって重大な論点は、絶対多数党不在議会における首相の選任である。 絶対多数党不在議会とは、単独過半数を制する政党が存在しない状態を指す。「未決定の議会」とも「革命に近い状況」とも称される、総選挙による民意が第一党党首つまり内閣総理大臣を決定できない状況である。 この場合、国王の関与の比重は最も高まる。国王は通例、賢明と思われる相談者の意見を聞きながら、政界の客観情勢を判断する。 これとて選挙民が民意を決定できないとの特殊な状況において、限定的に発揮されるにすぎない。 総理大臣が退陣し、与党第一党の後継総裁が未決定の場合も同様である。国王は数人の有力政治家の中から後継総理を選任した。 しかも戦後は保守党が党首公選制を導入するなど、君主の介入の余地は極めて少なくなっている。 このような役割は戦前日本では元老が代行した。特に大正末期から昭和初期における憲政の常道を擁護したのは西園寺公望元老である。 彼は何度も絶対多数党不在議会において、適切に後継総理を奏薦した。二度の加藤高明内閣、第一次若槻内閣、田中内閣の奏薦がそれに当たる。 政変に際しての後継総理選定において、天皇を含めた宮中の意思が西園寺の意思に優先した事例は無い。 英国に比して、帝国憲法下の日本の君主の首相選定における役割はさらに限定的であった。 もちろん、総理大臣以下文武官の任免は憲法10条において天皇大権とされたが、実際は元老制度が「神聖不可侵」条項を補完した。 しばしば元老は非民主性の象徴のように指弾されるが、ある意味では英国以上に立憲主義を徹底していたと言える。 いずれにせよ、帝国憲法体制下の天皇は英国型の立憲君主であり、元老などの存在はさらに徹底させた。 英国君主は三つの権利の行使により極めて限定的に「政治関与」を行ったが、日本の天皇はさらに制約が大きかった。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/jurisp/1419941729/832
第三が天皇は英国君主と同様に政治関与を行っていたとみなす伊藤之雄教授の見解である政治関与型立憲君主説ないし伊藤之雄説と呼べる 伊藤説の前提は独自の英国憲政論への理解に基づく天皇主権説と伝統的立憲君主説の双方への批判である 伊藤教授はバジョットなど単なる理想の表明に過ぎず両説ともに英国憲政論を理解していないと痛烈に批判を加えている 最近では日本近代史の研究者を中心に賛同者が増加しつつある特に通説は神聖不可侵の天皇を象徴天皇と同様に政治関与をしない存在であると誤解しているとして批判する 伊藤教授の提示した日英両国の憲政にとって重大な論点は絶対多数党不在議会における首相の選任である 絶対多数党不在議会とは単独過半数を制する政党が存在しない状態を指す未決定の議会とも革命に近い状況とも称される総選挙による民意が第一党党首つまり内閣総理大臣を決定できない状況である この場合国王の関与の比重は最も高まる国王は通例賢明と思われる相談者の意見を聞きながら政界の客観情勢を判断する これとて選挙民が民意を決定できないとの特殊な状況において限定的に発揮されるにすぎない 総理大臣が退陣し与党第一党の後継総裁が未決定の場合も同様である国王は数人の有力政治家の中から後継総理を選任した しかも戦後は保守党が党首公選制を導入するなど君主の介入の余地は極めて少なくなっている このような役割は戦前日本では元老が代行した特に大正末期から昭和初期における憲政の常道を擁護したのは西園寺公望元老である 彼は何度も絶対多数党不在議会において適切に後継総理を奏薦した二度の加藤高明内閣第一次若槻内閣田中内閣の奏薦がそれに当たる 政変に際しての後継総理選定において天皇を含めた宮中の意思が西園寺の意思に優先した事例は無い 英国に比して帝国憲法下の日本の君主の首相選定における役割はさらに限定的であった もちろん総理大臣以下文武官の任免は憲法10条において天皇大権とされたが実際は元老制度が神聖不可侵条項を補完した しばしば元老は非民主性の象徴のように指弾されるがある意味では英国以上に立憲主義を徹底していたと言える いずれにせよ帝国憲法体制下の天皇は英国型の立憲君主であり元老などの存在はさらに徹底させた 英国君主は三つの権利の行使により極めて限定的に政治関与を行ったが日本の天皇はさらに制約が大きかった
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