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【武家】日本刀の斬れ味 〜二の太刀【目利】 (1001レス)
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561
: 2007/09/21(金)13:37
ID:EgaVKWkD(1/2)
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>>557
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561: [sage] 2007/09/21(金) 13:37:15 ID:EgaVKWkD >>557 >雑兵がどういう戦いをしたのかよくわかっていない。 それはそうである。雑兵は行ってもほとんど主に随行するのみで戦っていないのだから。 >雑兵の武器に対する配慮は、鎌倉時代にはまだ欠けていたと思う。 とはいえ徒歩(かち)でも薙刀で戦に参加している資料もあるのでケンカが出来ないわけではなかったようだが。 >そういう状況で戦闘が始まって日本軍は失敗する ?戦闘部隊としての日本軍は元寇において何も失敗をしていない 各局地戦においてはどれも日本が勝っている ただし領民には被害が甚大だった。多くの家屋敷が焼き討ちされ女子供が拉致された。 なので失敗があるとすれば非戦闘員である民への適切な避難誘導であろうがそれをこの時代に求めるのは酷であろう。 防塁は盾の代わりではない。 機能がちがう。 盾は人間に矢が当たらないようにするために使う。 防塁はいわばただの段差であり敵軍をそこで食い止めるためにある。 また防塁は海岸線にそって築かれている。 >後ろには雑兵に弓を持たせて戦った可能性が高いと思う。 半分正解半分不正解 防塁は段差なので後ろと言うよりは防塁の上である また絵巻を見ればあきらかだが弓を持って待機していたのはみな良い鎧をつけた精鋭の武士団であり雑兵の弓兵ではない http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/gallery/moukoshurai/e09.htm 基本的にまだこの時代の雑兵は戦場の主戦力ではない。 この時代の主力はある程度以上の身分のある武士であり雑兵は各武士の身の回りの世話が中心のサポート役である。 >竹崎季長みたいに自分の戦功を記録したを残した人がいるけど 正確に言えば竹崎季長が残したのは自分の戦功ではない。 自分の戦功を査定してくれた上司にあたる安達泰盛の名誉回復(別件なので省略。ヒントは弘安8年)を祝して謝辞の為に作られたものである。 「安達さまは我らと共にこんな戦いを経験されたえらい方なのだ」というわけだ。 http://hobby10.5ch.net/test/read.cgi/knife/1174728137/561
雑兵がどういう戦いをしたのかよくわかっていない それはそうである雑兵は行ってもほとんど主に随行するのみで戦っていないのだから 雑兵の武器に対する配慮は鎌倉時代にはまだ欠けていたと思う とはいえ徒歩かちでも薙刀で戦に参加している資料もあるのでケンカが出来ないわけではなかったようだが そういう状況で戦闘が始まって日本軍は失敗する ?戦闘部隊としての日本軍は元において何も失敗をしていない 各局地戦においてはどれも日本が勝っている ただし領民には被害が甚大だった多くの家屋敷が焼き討ちされ女子供が致された なので失敗があるとすれば非戦闘員である民への適切な避難誘導であろうがそれをこの時代に求めるのは酷であろう 防塁は盾の代わりではない 機能がちがう 盾は人間に矢が当たらないようにするために使う 防塁はいわばただの段差であり敵軍をそこで食い止めるためにある また防塁は海岸線にそって築かれている 後ろには雑兵に弓を持たせて戦った可能性が高いと思う 半分正解半分不正解 防塁は段差なので後ろと言うよりは防塁の上である また絵巻を見ればあきらかだが弓を持って待機していたのはみな良い鎧をつけた精鋭の武士団であり雑兵の弓兵ではない 基本的にまだこの時代の雑兵は戦場の主戦力ではない この時代の主力はある程度以上の身分のある武士であり雑兵は各武士の身の回りの世話が中心のサポート役である 竹崎季長みたいに自分の戦功を記録したを残した人がいるけど 正確に言えば竹崎季長が残したのは自分の戦功ではない 自分の戦功を査定してくれた上司にあたる安達泰盛の名誉回復別件なので省略ヒントは弘安年を祝して謝辞の為に作られたものである 安達さまは我らと共にこんな戦いを経験されたえらい方なのだというわけだ
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