[過去ログ] シベリア抑留と日本共産党 (385レス)
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17: 名無しさん@3周年 04/08/02 09:21 AAS
(1)、ソ連共産党国際部第1局(NKVDの後身)、第7部スタルツェフ東南アジア部長の説明
『「オカノはまちがいなく、われわれ側の人間だ」。彼はこう語り、続いて「野坂CIAスパイ説」に疑問をなげかけた。
スタルツェフ東南アジア部長は以下、次のような説明をくわえたという。
 1)、モスクワ入り(一九三一年)した直後、野坂はソ連の諜報機関とある理由で接触し、関係ができた。
 2)、NKVDとの話し合い(尋問あるいは脅迫?)の結果、野坂はソ連側の“アジェンタ”として協力することを約束した。
 3)、当時、ソ連NKVDとの間に結ばれた“アジェンタ契約”は二種類あり、ひとつは積極的に破壊活動なども行なう
純然たるスパイ工作員で、この場合、おおむね自らの意志で契約することから「意志のアジェンタ」と呼ばれていた。一方、もうひとつはなんらかの理由で“アジェンタ”になることを余儀なくされた
「協力者」のことで「影響のアジェンタ」といわれ、主に密告など密かな情報提供の役割を約束させられていた。
18: 名無しさん@3周年 04/08/02 09:23 AAS
 4)、彼はソ連入り直後からNKVD当局とアジェンタ契約を結んだ。彼の立場は「影響のアジェンタ」だった』。
 アルハンゲリスキーが『プリンス近衛殺人事件』(P.140)において、1956年のハンガリー動乱を指導したイムレ・ナジが、 モスクワ在住の1930年に「NKVD工作員」となったときの『誓約書』を、
機密文書から発掘して、載せています。
『誓約書 文末に署名したわたくしОГПУ(オーゲーぺーウー)(КГВカーゲーべーの前身)
部員イムレ・ナジは、 在職中あるいは退職後も、ОГПУ諸機関の活動に関する
一切の知見と資料を厳重に秘匿し、 いかなる形においても発表せず、
近親者・親友にも漏らさないことをここに誓約する。
これを実行しない場合、わたくしは刑法第一二三条該当の責任を問われる。
一九二三年四月三日付ОГПУ指令第一三三号及び
一九二七年八月十九日付ソビエト革命軍事委員会令第三七二号示達。
省5
19: 名無しさん@3周年 04/08/03 12:40 AAS
時計はもう11時を回っていた。北緯五十五度の夜はまだうっすら明るい。
街道の方から、小型の三輪オートバイが現れた。
さっきの少年が二台に乗り、ハンチングをかぶり、黒い革のジャンパーを着た
小柄な老人が運転している。日焼けした老人の顏は、ぼくのいるところから
10メートルくらい離れた場所に停車し、車から降りると、その場にたたずみ、
じっとこちらを見つめていた。ぼくは何か引き寄せられるように老人のもとに
歩み寄った。ロシア人ではない。
「みなさんはどちらからですか?」
老人はこちらを直視せず、遠慮しがちに訊ねた。訛りはあるが、達意のロシア語だ。
「日本から来ました」
省15
20: 名無しさん@3周年 04/08/04 12:02 AAS
タイシェト収容所におけるKGB工作員の党集会で出された指示
「我々は政府と党によって決起された責任ある大任務に直面している。対外国人工作である。
日本への送還に際し、捕虜たちが日本における民主主義建設という一時に邁進するよう、
この任務を名誉をもって遂行しなければならない。
本国への送還を前に、われわれは日本人たちに日本で何をなすべきか、どのように身を処すべきか、
日本においてどのように自らの知識を適用すべきかを告げなければならない。
ブルジョワ搾取体制に対する人民民主主義と社会主義体制の優位を解説する方向で
軍事捕虜に対する宣伝工作を強化し、日本共産党網領の諸条項の宣伝を拡大すべし」
21
(2): 葉寺覚明 </b>◆pdWuRV/fU6 <b> [hjkm@softhome.net] 04/08/05 21:07 AAS
>>13

うおお。お世話様です。実は、既出なのですが(苦笑)
外部リンク[html]:www.melma.com

>>14-20

感謝!!
22: 名無しさん@3周年 04/08/06 01:08 AAS
>>21
こいつも参考にどうぞ。

「アメリカの原爆プロジェクト、マンハッタン計画の責任者であったオッペンハイマー博士は、共産主義者といわれたが、
夫人はソ連工作員だった。本人も最近明らかになったところによると、良くモスクワに来ては、ベリヤの家に泊まっていたという」
V・A・アルハンゲリスキー著、瀧澤一郎訳『プリンス近衞殺人事件』新潮社、2000年p.147
23: 名無しさん@3周年 04/08/09 00:25 AAS
本日はソ連が滿洲に不法侵攻してきた日
24: 名無しさん@3周年 04/08/10 01:56 AAS
某所よりコピペ
335 :文責・名無しさん :03/02/26 23:50 ID:h+AzqZwm
近年、ソ連側あるいはソ連側と一体となって動く一連の日本人から、
シベリア抑留責任転嫁論が流されている。
そのひとつは、『滿洲に軍隊を駐留し、開拓民を扶植したのは日本政府である。滿洲に日本軍や日本開拓民がいなかったなら、シベリア抑留は無かった。
だから、シベリア抑留の責任はひとえに日本政府にある、』
という人を愚弄する類の主張である。
こういう暴論を擁護しつつ、対ソ協力者してつとに有名な
斉藤六郎・元全国抑留者補償協議会々長は
『世紀の悲劇といわれたシベリア強制労働の発案者が天皇の側近』
省5
25: 名無しさん@3周年 04/08/10 01:59 AAS
337 :文責・名無しさん :03/02/26 23:55 ID:h+AzqZwm
 さらに、もう一つソ連がシベリア抑留の責任をアメリカに転嫁しようとした情報工作がある。
斉藤六郎が会長であった全国抑留者補償協議会の「終戦史料館出版部」が
1992年に発行したとされる『シベリア抑留秘史』という奇書にその痕跡が記録されている。
これは明らかに翻訳書であるのに訳者の名前が無いという奇態な書物である。
著者というのものも明記されておらず、「著述者」として「ソ連最高軍事検察庁長官補佐官、法務大佐 ボブレニョフ、ウラジミール、アレクサンドロビチ」
と記されている。さらに、「監修 ソ連最高軍事検察庁第一次長 法務中将
ザイカ、レオニード、ミハイロビチ」とあるのも異色である。
印刷所の名前もない。モスクワ製のプロパガンダ本原稿を斉藤六郎が
日本で私家版的に個人出版した疑いが濃い。
省5
26: 名無しさん@3周年 04/08/10 02:04 AAS
336 :文責・名無しさん :03/02/26 23:52 ID:h+AzqZwm
さすがにこんな暴論は誰にも相手にされなかったが、
「天皇責任説」ぶち上げの失敗に懲りず、今度はジャリコボの会談で
ソ連軍最高指導部にシベリア抑留を容認する言質を与えたとする
同工異曲の「関東軍責任論」を持ち出し、これを人口に膾炙させようとした。
(『月刊Asahi』平成5年12月号所載「歴史文書を改竄した昭和の参謀瀬島隆三」)
この妄論は、関東軍の当事者であった草地貞吾元陸軍大佐によって完膚無きまでに粉砕された 。
(『正論』通巻258号 1994年2月号 150〜170頁)
ソ連当局は斉藤のシベリア抑留の補償を日本政府に要求する「国歌補償請求」訴訟などの対ソ協力宣伝工作を高く評価し、1992年4月エリツィン大統領は
彼に日本人としては最初のロシア連邦民族友好勲章を授与した。
27: 名無しさん@3周年 04/08/11 23:31 AAS
『日本新聞』編集部には筋金入りのマルキスト達が待っていましたとばかりに参集した。
その手際よさから見て、彼らの何人かはすでに戦中からソ連当局と密かに通じており、
このようなことあらんことを夙に予告されていたのかもしれない。
ソ連諜報部に深く浸透され赤化の著しかった満鉄調査部の関係者もいたから、
その程度の手回しがあったとしてもなんら不思議では無い。
ハバロフスクで浅原「シベリア天皇」に侍り仕え、権力のおこぼれに預かって抑留者をいたぶった
鶴賀末義「文化部長」は、ハルビン特務機関員であった(鶴賀末義は、大阪外大出身で、
ハルビン特務機関では軍属(少佐待遇)として「白系ロシア人係」であった、と浅原の著書『苦悩のなかをいく』237頁にある)。
28: 名無しさん@3周年 04/08/13 11:41 AAS
hoyu
29: 葉寺覚明 </b>◆pdWuRV/fU6 <b> [hjkm@softhome.net] 04/08/13 12:05 AAS
>>21

どもです。

あと。>>14で人気者の岡本同志は、スターリン同志万万歳で有名です。

外部リンク[html]:www.melma.com
外部リンク[html]:www.melma.com
30
(1): 名無しさん@3周年 04/08/13 13:26 AAS

31: 名無しさん@3周年 04/08/13 22:52 AAS
葉寺さん、毎回どうも。おれはある事情から匿名でお願いします

『日本新聞』編集部には筋金入りのマルキスト達が待っていましたとばかりに参集した。
その手際よさから見て、彼らの何人かはすでに戦中からソ連当局と密かに通じており、
このようなことあらんことを夙に予告されていたのかもしれない。
ソ連諜報部に深く浸透され赤化の著しかった満鉄調査部の関係者もいたから、
その程度の手回しがあったとしてもなんら不思議では無い。
ハバロフスクで浅原「シベリア天皇」に侍り仕え、權力のおこぼれに預かって抑留者をいたぶった
鶴賀末義「文化部長」は、ハルビン特務機関員であった
(鶴賀末義は、大阪外大出身で、 ハルビン特務機関では軍属(少佐待遇)として
「白系ロシア人係」であった、 と浅原の著書『苦悩のなかをいく』237頁にある)。
省1
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(1): 名無しさん@3周年 04/08/16 15:18 AAS
スターリン書記長は生まれて以来、血塗られた一生を送ってきた。
その実例は星の数ほどあるが、そのひとつだけでもここに紹介したい。
「カティン事件」である。
二万五千人のポーランド人を裁判なしに射殺せよとした一九四〇年三月五日付政治局決定がここにある。

(1)現在捕虜収容所にいるもとポーランド軍将校、公務員、警察協力者、情報部員、憲兵隊員、獄吏等一万四千七百人に関する件、
(2)および、逮捕され現在ウクライナ、白ロシア西部の諸監獄にいる一万千人の各種反革命・地下破壊組織のメンバー、元地主、工場主、元官吏、逃亡者に関する件、は特別手順にて検討し、最高刑である銃殺刑を適応する。
2。(ママ)本件の審理は、容疑者の召喚、容疑告知、審理終了決定、判決をせずに実施する。

V・A・アルハンゲリスキー・瀧澤一郎訳『プリンス近衛殺人事件』新潮社 p.124
33: 名無しさん@3周年 04/08/16 15:41 AAS
 昭和二十年九月二日付、連合軍総司令官マッカーサーにより出された
「日本政府宛一般命令第一号」によってそれぞれの地区の 連合軍司令官のもとに各地の日本軍は降伏することになった。
その結果として、軍人、在留邦人をふくめた全日本人は次のように 各外国軍隊の支配下に入った
(1)中国軍管区 - 【概数】約200万名、全海外同胞の30%
(2)ソ連軍管区 - 【概数】約272万名、全海外同胞の41%
(3)東南アジア軍管区 - 【概数】約75万名、全海外同胞の11%
(4)オーストラリア軍管区 - 【概数】約14万名、全海外同胞の2%
(5)アメリカ軍管区 - 【概数】約99万名、全海外同胞の15%
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(1): 名無しさん@3周年 04/08/17 10:45 AAS
当時の二代目袴田「シベリア天皇」を目撃した人々の話によると、
 彼は立派な服装をして、時には赤シャツを着て、馬上馬に跨り、子分を引き連れ、
各地の収容所を、「巡視」し、専用コックを置き、ピン撥ねした食料による特別食を食んでいたという。
 浅原が自著でしきりに「道徳的」だの「モラル」というのは、
二代目「シベリア天皇」の女性関係を示唆するものではないかという元抑留者もいる
35
(1): 名無しさん@3周年 04/08/18 12:30 AAS
期待をまったく裏切るものであった。袴田陸奥男氏が彼の実兄・里実氏の権威を“バック”にして、
ソ連側の特別“配慮”を受け、国家保安省(KGB)との協力の方針をかかげて、
道徳的にも決して同意できない収容所生活をしていたことは先にも述べた。
彼の人物像とモラルは、私の考えでは、共産主義者の風上にもおけないものであった」

浅原正基『苦悩のなかをゆく―私のシベリア抑留記断章』朝日新聞社 1991年 P213

また1953年から翌年にかけ、浅原とハバロフスク第12分所で同室した久保耕司氏は、
彼が、「袴田にやられた。日本に帰ったら必ず復讐する」と漏らしていたと証言する。

今立鉄雄著『日本しんぶん―日本人捕虜に対するソ連の政策―』鏡浦書房 1957年 p172
36: 武庫川女子大学総長 04/08/18 23:48 AAS
そりゃーいかんなー。
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