[過去ログ] 結局アクア説って (1001レス)
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13: 2010/09/18(土)14:20 AAS
風呂ぎらいで金槌の俺が来ましたよ。
14(1): 2010/09/18(土)15:06 AAS
よくわからないけど、水に浸かると毛が抜けるということなの?
15: 2010/09/18(土)17:04 AAS
人間の体毛が少ないのはなぜか
→他の哺乳類で毛が少ないのは水棲か水辺か土中かの哺乳類
→じゃあ人間も水棲か水辺だったんじゃね(土中はねーよ)
という説であって、水に浸かると毛が抜けるって言ってるわけじゃない。
16: 2010/09/18(土)19:43 AAS
>>14
それはラマルクの用不用説に似ている発想だと思うけど、今では一般に支持されていない。
ただし、顎が小さくなったり、生えてくる歯の数が減るなどの現象は、ラマルク説とは無関係なのだろうか。
発達上の退化(幼形成熟?)については、ドーキンスが経済的効率性で説明していることが当てはまるかもしれない。
環境適応上有利なものは保存されるが、中立的なもの、つまり不用なものは退化するという説。
ラマルクの用不用説の不用説だけをとった考え方とも言える。
17: 2010/09/18(土)21:10 AAS
訂正:つまり経済的コストがかかる不用なものを保存させておくのは効率が悪いので退化するという説。
18(3): 2010/09/18(土)22:15 AAS
いや、ラマルクなんか関係ないでしょ。
水辺や水中で生きるのに、毛皮の存在が適応度に対して中立以下ならば、
長期的には毛のない個体が集団中の多数派を占める、という当たり前の進化。
ただまあ、毛がない方が水中では有利だってのはどうなんかね。
また、毛がない方が有利だとして、体中の毛が抜けるほど水に浸かっていたのに、
何故髪の毛だけは猿よりふさふさなのかも謎だ。
19: 2010/09/18(土)23:18 AAS
>>18
> いや、ラマルクなんか関係ないでしょ。
> 水辺や水中で生きるのに、毛皮の存在が適応度に対して中立以下ならば、
> 長期的には毛のない個体が集団中の多数派を占める、という当たり前の進化。
しかし、あなたも↓でおっしゃっているように、
> ただまあ、毛がない方が水中では有利だってのはどうなんかね。
被毛に覆われていないほうがいるほうに比べて「中立以下」だったとはなかなか考えにくい。
つまり、毛がない方が中立以上になるためには、べつの条件も想定しないと難しい。
たとえば毛が薄いほうが競泳に有利で、それが結果として繁殖力の上での有利不利を
はっきりと生じさせたというように。しかしこれはいまいちに考え難い。
省3
20(1): 2010/09/18(土)23:19 AAS
失礼、訂正:
被毛に覆われているほうがいないほうに比べて「中立以下」だったとはなかなか考えにくい。
21(1): 2010/09/19(日)05:04 AAS
海に入って昆布漁でもしてみると分かるけどね
波って穏やかでもすごいパワーがあって、体を岩にガリガリ擦り付けるんよ
毛が抜ける以前に皮膚が頑丈にならんと身が持たない。
カバ、ゾウ、海獣の皮膚の頑丈さを思い出してみろ
なんでそんな危険な状況で体毛まで抜けて超無防備になったのか
理由がまるで分からん
どう考えてもヒトよりチンパンジーの方が水中で怪我をしにくい
22(1): 2010/09/19(日)05:56 AAS
こうやって見るとアクア説って穴だらけだな。アクアナ説と呼んであげよう。
23(1): 2010/09/19(日)09:32 AAS
>>18
> いや、ラマルクなんか関係ないでしょ。
> 水辺や水中で生きるのに、毛皮の存在が適応度に対して中立以下ならば、
> 長期的には毛のない個体が集団中の多数派を占める、という当たり前の進化。
しかし、
>>20
> 被毛に覆われているほうがいないほうに比べて「中立以下」だったとはなかなか考えにくい。
だからそこに「ラマルク説?」を一部もって来たくなるんですよね。
不用説ならば、 ダーウィン的な意味での自然選択説よりもそのへんのハードルが高くない。
ダーウィン説だと、水中生活での被毛のあるなしが繁殖上の有利不利にはっきり結果することを
省5
24(2): 2010/09/19(日)09:43 AAS
競泳選手が水抵抗のない水着を競って着用し、すね毛などを剃ったりするように、
速く泳ぐためには被毛はもしかすると不利になった可能性もある。
毛皮のコートを着て競泳をしろって言われると明らかに不利だよね?
ただし、被毛を失うことで浮力の点で不利になる可能性も否定できないね。
ラッコの被毛は、空気を蓄えていて、あれが浮力になって水上にプカプカ浮いて
いられるらしいので。
ヒトの場合は、そのぶん脂肪がつくほうに自然選択が働いたのか?
適応というのには多様性があるから、一つの環境に一通りの適応しか存在しない
ってことはないから、一概に説明できないところが難しい。
高い木の実をとるのに身の丈をキリンのように大型化してそれを実現する適応もあるだろうし、
省1
25: 2010/09/19(日)11:00 AAS
>>24
ヒトの皮下脂肪の付き方には性差が著しいが、そこはどう説明する?
もっとも俺には、毛や脂肪があろうとなかろうと、
泳法という高度な文化と訓練なしにヒトがまともに泳げたとは思えないが
26: 2010/09/19(日)12:22 AAS
浮力は競泳に大して問題ないんじゃないか。競泳選手を見てみろ。
27(1): 2010/09/19(日)13:00 AAS
近代泳法を教えるようなスイミングスクールや学校教育がなくても、南の島の子供たちは
大人たちを見様見真似で自然に泳ぐことを学習しているんじゃないだろうか?
野生の動物たちの習性にも学習とセットになって親と同じ能力を獲得するものはあるはずだし。
ただ、その疑問は、しばしば、人が二足歩行することについても言われることがあるにはあるね。
二足歩行は本当に十全な本能だろうかって。
親が赤ん坊に立たそうと訓練してやるから立とうとするようになっているだけじゃないかとね。
28(1): 2010/09/19(日)13:07 AAS
>>23
とりあえずラマルクは忘れようぜ。
機能的に完全中立な器官=不要な器官は、実際には作って維持するコストの分だけ
適応度を下げている。よって長期的には消えていく。
またそういう不要な器官は、維持しなきゃいけないという淘汰圧もなくなるから、
適当な遺伝子変異が蓄積していってやはり機能を失っていく。
例えば洞窟正動物が、盲目になるのもこれと一緒。
有ってもなくてもどうでもいい器官は、適応度が中立であるが故に、自然淘汰という
遺伝子訂正機構が働かなくなるんだよ。
これらはどれも真っ当な進化論から来ている理屈で、ラマルクなんて持ち出す必要はない。
29(3): 2010/09/19(日)16:05 AAS
>>27
まあ、クマや犬と一緒で必要に応じて多少は泳ぐんだけどね。
全身の毛の多少が淘汰圧になる程泳ぎに依存した生活をしていた形跡はないという事。
ヒトの体には二足歩行への適応は見られるが、泳ぎへの適応は特に見当たらない
キリンなどを除けば、哺乳類というの原則みな泳げる。しかし好んで泳ぐものは少ない
俺が知る限り人間も原則「泳がない」生き物だ
海や川から食物を取っていても、極力泳がないようにしている
海水浴なんて習慣は極めて近代的なものだ
子供は水遊びをするが普通大人はしない。体を洗うくらい
そして水辺は現在も頻繁に人が死ぬ危険地帯である。
30(1): 2010/09/19(日)19:31 AAS
>>28
ラマルクの名をことさらに忘却する必要もないんじゃないだろうか。
ダーウィンよりも一世代前に進化論を本格的に唱えていた論者であったという功績は大きい。
それにダーウィン自身も用不用説を唱えていた面がある。
いろいろと問題がある説だけど、大幅に修正を施せば、ある意味では使える説かもしれないんだよね。
で、あのドーキンスがコストの喩えで提唱しているのは、これを修正した案だと思うんだよね。
だって、自然選択的に『中立な』器官という時点で、すでに自然選択説だけではすっきり説明できない
ことを示している。
あなたもそこで「=不用な器官」と書いているのだし、それを素直に字義のまま「不用説」と言って
なにか問題があるんだろうか。
31(2): 2010/09/19(日)21:39 AAS
>>21
穏やかな湖沼なら問題ないね。
>>22
この時期の人類進化について、穴がない説を教えてくれ。
>>24
水中での保温は脂肪の方が有利で、体積が小さい生き物は十分な脂肪の厚さを
確保できないから毛皮があるらしい。
これなら泳ぐ速さと関係なく説明できる(俺もヒトが速さを追及したとは思え
ない)。
>>29
省3
32: 2010/09/19(日)22:07 AAS
ただ、他の水棲動物と泳ぐ速さを競い合うほどのことが特にあったわけでなくても、
同じヒトの群れのなかで泳ぐのが速い人と遅い人がいて、遅い人たちのほうが命を
落すことが多かったとか、そういうことがもしあったとすれば、自然淘汰上の有利
不利ということに、それがいくらか関わった可能性もないとは言えないかも。
でも、まあ、たしかに、強い淘汰圧が働いたとまでは自信を持って言い難い。
人類がそこまで過酷な環境での生存を経験したことがあったのかどうか。
仮に速さを追求しなくても、毛皮を身につけた状態での泳ぎは体力を消耗しやすいと
考えられるだろうから、その面からも自然淘汰説をもってくることができるかもね。
しかし、被毛を失うことに自然淘汰上の不利が相対的になければ、余分なコストを
用いなくても済むという「コスト不用説」をもってきたほうが説明しやすい面もある。
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