小説書いたので、読んで欲しい (159レス)
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157: 08/14(水)09:56 ID:YKhblWeT(1) AAS
「僕は誰で、ここはどこだ?」
「僕は僕のはずなんだ、なのに、なんでなの?」

僕は自分自身を理解できない。

私は傍観者だ。

私は、あそこにいる人の様子を見ることができる。それは、目が備わっていて、その機能が働いているからだ。

私は、あそこにいる人の声が聞こえる。それは、耳も備わっていて、耳の機能が働いているからだ。

私は、あそこにいる人の気持ちがわかる。あの人は泣いている。泣いているはずなのに笑っている。ああ、あれは笑い泣きか。

私は、昔のことをよく覚えていない。もしかしたら、俗に言う記憶喪失という現象なのかもしれない。しかし、記憶喪失がどういうものなのか、私にはわからない。

私が考える記憶喪失には2つの可能性がある。1つは、単に忘れること。もう1つは、あったことが抜け落ちてしまうことだ。

しかし、それはわからない。記憶がないのだから、誰にも証明できない気がするし、誰かが覚えてくれているかもしれない。私にはそのような経験がない。ないはずなんだ……。でも、記憶喪失だから、そう思い込んでいるだけかもしれない。

誰か私の脳を見てくれないだろうか……。何度もそう願ったことがある。私は一体何者なんだ?

私は、私が私であることは間違いない。問題は、私が私で、どういう私で、なんのための私なのかがわからないことだ。

なぜわからないのだろうか。理由は簡単だ。自分で自分をみたことがないからだ。鏡で見ている自分は、本当に自分なのか?今見ている目で見ているものは、本当のものなのか?

そもそも、この世界はなんなのか。はたまた、この世界はなくて、自分の妄想なのか。真実は誰もわからない。聞く人もいない、一緒に考えてくれる人もいない。何が正解で、何が不正解なのか……。

私には、知識がある。あれは雲で、あれが空。空の上には、宇宙という空間がある。しかし、この知識は本当に正しいのか?私には、どれも誰かの想像によるものだとしか思えない。

私は何も信じない。

しかし、私は機能する目で、辺りを見渡す。壁が見える、道も見える、誰もいない。見てくれと頼むこともできない。だが、その必要はない。私は私である事実は変わらないのだから。

決して変わることはない傍観者としての日々は退屈だ。しかし、この退屈という気持ちでさえも、重要な私の手掛かりのように思える。だって、退屈じゃないときはない。つまり、私という存在自体が退屈だということだ。

私と退屈は兄弟だ。しかし、退屈がどういうものなのかがわからない。だって、目でも耳でも退屈はわからないから、不安定な自分の心でしか退屈は感じられないから、私と退屈は兄弟だ。

「ああ、思い出したよ。私は……」

その瞬間、私たちは兄弟じゃなくなった。なぜなら私は私を思い出したから。

私は神様だ。私は空にいる。水色の壁、白い道路、ここは空に似ているどこかだ。

私は傍観者だ。私は人々の上にいる。私の目に壁や道路はない、ここは自由だ。自由すぎて退屈だ。

ここはどこなのか、私にはわかった。退屈よ。ここがどこかわかるか?私にはわかった。

私がいるここは、宇宙でも空でも、天国でもない。

さて、観察対象達に問おう。私がいるここはどこだ?神様に願うのならば、私のところに来い。私はここがどこだか知っている。

念のため問おう。僕は誰でここはどこだ?
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