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881: 2023/06/03(土)02:07 ID:/P4XxdhK(1/27) AAS
>>44
ゲリラ豪雨でマンホールから水が吹き出すワケ
外部リンク[html]:weathernews.jp
汚水管に雨水が流れ込まないようにしましょう
外部リンク[html]:www.city.toyokawa.lg.jp
油脂の塊「ファットバーグ」がロンドンの下水管をつまらせる(微グロ)
外部リンク[html]:www.gizmodo.jp
大量の油で下水管はこの様な状態になっています。
画像リンク[jpg]:www.water.city.nagoya.jp
外部リンク[html]:www.water.city.nagoya.jp
省2
882: 2023/06/03(土)02:15 ID:/P4XxdhK(2/27) AAS
都市化と災害
都市型水害はなぜ起きるのか
都市水害の原因は雨水のラッシュアワー
一般的に都市水害というと、木を切って自然を破壊したため起きた・・・というように単純に考えられがちだが、本来、木を切るとか切らないということは、都市の洪水とは関係がない。私たちは「洪水は、水資源や保水力と深く関係している」と子供の頃から教わり、しかも専門書にも書いてあるから、何の疑問もなくそう思い込んできた。しかし、その具体的な検証となるとなかなか難しい。しかもそれを都市水害にも適用するとなると、「ちょっと待て」と言いたくなる。それに、都市水害と呼ばれているものについては、定義も定かでない。社会学的にいえば「都市」に対応して「農村水害」とか「山村水害」などと呼ばれる水害があり得るはずだが、そう言われないからには、「都市水害」と敢えて称する特徴が顕著だからといえる。 都市水害を理解するためには、2つの視点が必要となる。1つは洪水という自然現象、もう1つは水害という社会現象についてである。
883: 2023/06/03(土)02:18 ID:/P4XxdhK(3/27) AAS
都市水害と称されるからには、洪水にどのような変化が認められるのか、そして水害の内容がどんな変貌を見せているのか、ということになる。洪水でいえば、量より質、つまり洪水の期間に流れる全量の変化より、ピーク時の流量だけが極端に大きくなってくることである。水害ということでいえば、従来は水害にならなかった洪水氾濫でも水害になってしまうということである。 都市が造られると、それに伴って道路が整備され、その道路には側溝が造られる。当然、住宅には雨どいが作られ、できるだけ早く川に雨水を流そうとするようになる。そのため降る雨の量が昔と変わらなくても、降った雨が川に到達する時間は飛躍的に短縮されることになる。もともと、地中にしみ込む雨の量はたかが知れているもので、どんなに自然が残っていても、短時間に大量の雨が降るとしみ込まないで流れてしまう。逆に言えば、しみ込むような雨なら洪水は起こらない。だから、しみ込むかしみ込まないかが問題なのではなく、降った雨を時間を短縮して流そうとするから洪水が起きるのである。そうした現象を都市型洪水(自然現象)と呼ぶ。
884: 2023/06/03(土)02:20 ID:/P4XxdhK(4/27) AAS
これは朝の通勤時のラッシュアワーを例に取ると分かりやすいだろう。一日の乗降客はそんなに変わらなくても、皆、同じ時間帯に電車に乗ったらラッシュアワーが起こる。その込み具合を何とか緩和しようと、ダイヤを過密化して輸送量を増やしてみるが、それも限界に達し、そして遂に企業はフレックスタイム制を導入して回避するしかなくなってしまうのである。 川の場合も同じで、洪水が起こらないようにコントロールをしてきたが、それが上手くいかなくなってきて、フレックスタイム制(=遊水池造り)を導入しようということになった。
885: 2023/06/03(土)02:22 ID:/P4XxdhK(5/27) AAS
また、水田であれば洪水になっても水害とは呼ばれなかったが、家が建てば水害になってしまう。かつては雨が降ると、雨水は田んぼなら約24時間、蓮の生えるような池なら約48時間位の間遊んでいた。しかし、今ではそのような所にも住宅を建てるようになり、そして少しでも雨水が溜まると、住民は「被害が出る」と騒ぐようになった。要は住民にとって、周囲に雨水が少しでも滞留することは許されないことなのだ。今まで許容してきたことが被害になってしまう、その住民意識が都市水害発生の根っこのところにあるといえる。さらに近年では、単に田んぼを潰して住宅を建てるから都市水害が発生する、というシンプルな図式だけではない。田んぼを潰して住宅を建てる時は、水に浸かりたくないから盛土をする。皆が盛土をするから、雨が降ると風呂にたくさんの人が入った時のように水位が上がるというようなことも起こり、盛土をするのを敵視する所さえ出ている。このように水害が以前より悪い方向に進んでいくことを、都市型水害の進化という。現在の都市型水害は様々な内容を伴って進化している。
886: 2023/06/03(土)02:36 ID:/P4XxdhK(6/27) AAS
>>829
え!?これって気象用語じゃないの!? ゲリラ豪雨は不適切用語
外部リンク:hello-iroha.com
ふだん何気なく聞いている「集中豪雨」。「狭い範囲に数時間にわたり強く降り、100ミリから数百ミリの雨量をもたらす雨」という定義をされていますが、もともとは気象用語ではなく、マスコミ生まれの言葉だったのです。昭和28年8月に、京都府南部の南山地域をおそった局地的な豪雨を、朝日新聞が「集中豪雨」という見出しをつけ、以来ひろく使われていくようになったと言われています。
>>32
線状降水帯とは?定義や特徴、メカニズム、予報システムについて解説
外部リンク[html]:www.rd.ntt
887: 2023/06/03(土)02:38 ID:/P4XxdhK(7/27) AAS
近年になり「線状降水帯」という言葉を耳にする機会が増えています。この線状降水帯について「いつから使われるようになった言葉なの?」「メカニズムや特徴は?」などと思っている方も多いのではないでしょうか。
次々と発生する積乱雲が列をなし、線状に伸びた地域に大雨を降らせる線状降水帯は、2014年の広島県での集中豪雨から注目されるようになりました。
ただし、以前から集中豪雨の多くで線状の降水域が存在していることが、研究により明らかになっています。
888: 2023/06/03(土)02:44 ID:/P4XxdhK(8/27) AAS
2-1. いつから注目されるようになったか?
「線状降水帯」という言葉はいつから注目されるようになったのでしょうか。
津口裕茂『線状降水帯』によれば、集中豪雨が日本で発生する際に、線状の降水域がしばしば見られることは以前から指摘されていました。
実際、1995年~2009年の過去の集中豪雨事例を気象庁で解析したところ、台風によるものを除く261事例中168事例、およそ3分の2で線状の降水域が確認されました。
しかし、「線状降水帯」という言葉が頻繁に使われるようになったのは、2014年8月の広島県での集中豪雨以来だといわれています。
最近になって使われるようになった言葉であるため、気象庁による前述の定義はあるものの、気象学的に厳密な定義は未だ存在していません。
889: 2023/06/03(土)03:03 ID:/P4XxdhK(9/27) AAS
また、2014年(平成26年)以前についても、気象庁『線状降水帯と集中豪雨について』において「過去の線状降水帯による大雨事例」として下表の事例があげられています。
画像リンク[png]:www.rd.ntt
上の2つの表を見ると、「線状降水帯」の言葉が使われるようになったのは最近ですが、同様の集中豪雨は以前から発生していたことがわかります。
890: 2023/06/03(土)03:05 ID:/P4XxdhK(10/27) AAS
300枚の写真① 思い起こそう長崎大水害~
動画リンク[YouTube]
891: 2023/06/03(土)03:11 ID:/P4XxdhK(11/27) AAS
昭和36年梅雨前線豪雨
外部リンク[html]:www.data.jma.go.jp
1961年の台風
外部リンク:ja.wikipedia.org
第2室戸台風
外部リンク:ja.wikipedia.org
892: 2023/06/03(土)03:19 ID:/P4XxdhK(12/27) AAS
昭和13年洪水
6月28日、小笠原西方から北上した台風は、本州に接近するとともに、房総半島南部の前線を刺激して数日間停滞しました。さらに、台風通過後も前線が関東に停滞したため、総雨量は、約600ミリに達し、霞ヶ浦の水位は、利根川改修以来の最高水位Y.P.+3.34メートルを記録しました。そのうえ、北利根川・常陸川の排水能力が充分でなかったために、湖周辺と流入河川は至るところで氾濫し、平常の水位に戻るまでに約1カ月を要しました。
外部リンク[html]:www.ktr.mlit.go.jp
昭和の3大水害~阪神大水害(昭和13年)、昭和36年水害、昭和42年水害
外部リンク[html]:www.city.kobe.lg.jp
893: 2023/06/03(土)03:29 ID:/P4XxdhK(13/27) AAS
昭和28年西日本水害は、1953年(昭和28年)6月25日から6月29日にかけて九州地方北部(福岡県・佐賀県・熊本県・大分県)を中心に発生した、梅雨前線を原因とする集中豪雨による水害である。
外部リンク:ja.wikipedia.org
こうして南北から高気圧によって押された梅雨前線は、阿蘇山付近に6月23日ごろより停滞、そこに高気圧から吹く湿った暖かい空気が梅雨前線に流れ込むことによって前線が刺激され、さらに例年屋久島付近を通過するはずの低気圧が、このときは朝鮮半島・対馬海峡付近を次々と通過した。こうした気象条件が重なり、九州北部地域に未曾有の大雨をもたらした[2]。
この梅雨前線は、6月から7月にかけて、九州地方北部のほか、東は静岡県静岡市から紀伊半島・中国地方・四国地方など広範囲にわたって大雨を降らせており[3]、特に紀伊半島では和歌山県西牟婁郡串本町(現在の串本町は東牟婁郡所属)の潮岬で338.7ミリを記録[注 1]する豪雨となったが、このあと7月17日から18日にかけて再度集中豪雨が発生。死者・行方不明者1,046名を数える集中豪雨として、戦後最悪の人的被害をもたらした紀州大水害(南紀豪雨)となった。また白川流域でも7月中旬に再度集中豪雨が発生し、新たな災害をひき起こしている(後述)。1953年の梅雨は5月下旬に入梅し、7月20日ごろに梅雨明けする例年よりも長い梅雨の期間であり[1]、しかも期間中、死者・行方不明者が2,000名を超える大きな被害を西日本各地にもたらしており、特異な気象状況であった。
894: 2023/06/03(土)03:36 ID:QbzWAv4c(1) AAS
米露でスポーツでこんなに和気あいあいとお互いを称え合う日が来るのはいつの日の事になるのやら…
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
895: 2023/06/03(土)04:05 ID:Z/TlHhrA(1) AAS
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
896: 2023/06/03(土)04:27 ID:/P4XxdhK(14/27) AAS
初夏も終わり、六月に入ると、太陽高度が高くなり、太平洋からの移動性高気圧が現れるようになる。それと同時に中国の揚子江流域から沖縄付近の海上にかけて、東西に走る気圧の谷つまり前線が形成される。梅雨前線である。これが太平洋高気圧の成長とともに、一日30キロメートルぐらいの速さで北上する。夏至のある六月は、ほんとうならば一年中で最も日照時間が長いはずなのに、前線の影響で曇雨天が続くため、晴れる日は極端に少ない。このような気象現象は世界中でこの地域にしか見られないもので、外国の学術書などでは専門語としてBAIUが使われている。
梅雨は主に時候をさし、五月雨は雨そのものをさしているとする歳時記などが多いが、かならずしもそうではないようだ。ことばとしての出現は五月雨の方が早く、「古今和歌集」の時代から、梅雨は近世中期以降、俳諧から一般に使われるようになった。つまり五月雨は雅語であるのに対して、梅雨は俗語としての呼びかただったわけである。五月雨が使われるようになる以前は、「長雨(ながめ)」という言いかたの中に含まれていた。
中国では「黄梅雨(こうばいう)」、あるいは「黴雨(ばいう)」とこれを呼んだ。黄梅雨は梅の実の黄熟から、黴雨は黴が生えるような湿っぽさから名づけられたものである。実際、このころの湿度の高さはすさまじく、「梅雨どきのナメクジは壁を抜ける」ということわざがあるくらいだ。また梅雨の終わりには、それまでの冷たくしとしとした降りかたから一転して、暖かく強いいわゆる豪雨になることが多い。ちょうど陰暦五月二十八日は曽我兄弟が討たれた日にあたることから、この日、降る雨を兄の十郎祐成(すけなり)の愛人、大磯の遊女・虎御前(とらごぜん)の悲しみの涙に見立て、「虎が雨」と呼び、季語にもなっている。
なお古典は当然、陰暦だったので、「五月晴」は、今日のように梅雨が終わって晴れあがった天気をさすのではなく、梅雨のさなかの晴れ間のことを言った。
外部リンク[html]:japanknowledge.com
外部リンク:www.tokyo-np.co.jp
897: 2023/06/03(土)04:29 ID:/P4XxdhK(15/27) AAS
昭和26年(1951年)以降の梅雨入りと梅雨明け(確定値)
外部リンク[html]:www.data.jma.go.jp
気象衛星の歴史
外部リンク[html]:www.data.jma.go.jp
台風観測の歴史をたどってみると 、、、
外部リンク[html]:ameblo.jp
898: 2023/06/03(土)04:34 ID:/P4XxdhK(16/27) AAS
梅雨入り・梅雨明け日の末尾に「・・ごろ」と付けるのはなぜですか?
気象庁では梅雨を「晩春から夏にかけて雨や曇りの日が多く現れる期間」と定義しており、季節が移り変わる中で現れる季節現象の一つとして捉えております。「今日から梅雨」、「今日から梅雨明け」などとある1日を特定することは難しく、平均5日間程度の移り変わりの期間があることから、梅雨入り・梅雨明け日の末尾に「・・ごろ」と付けています。
外部リンク[html]:www.jma.go.jp
東京の過去の天気
2023年5月
外部リンク:weather.goo.ne.jp
899: 2023/06/03(土)04:49 ID:/P4XxdhK(17/27) AAS
過去の主な暖冬
外部リンク:ja.wikipedia.org
1948 - 1949年
この冬の平均気温は平年を1.29℃上回り、2020年に更新されるまで観測史上第1位の記録的暖冬であった。地域別では北日本で1946年 - 1947年冬の統計開始以降第1位の暖冬となった。12月は全国平均で平年を1.63℃上回り、1898年からの観測史上最も高く、特に西日本が温暖だった。一方、1月・2月は北日本の方が顕著な高温だった。
1953 - 1954年
北海道を除き暖冬となり、西日本では戦後第2位タイの顕著な暖冬となった。東京都の南鳥島では1月7日に1月の全国歴代1位の29.7℃を観測した。南鳥島では1月14日にも29.1℃を観測しており、現在日本国内にある観測所で1月に29℃台を観測したのは現在に至るまで、南鳥島のこの年の2回だけである。
1957年 - 1958年
北・東日本で暖冬になったが、西日本では平年並み、沖縄県では平年よりも0.6℃低かった。全国平均では平年を0.26℃上回っている。
1958 - 1959年
1月の前半は寒さが厳しかったがその他の時期はかなり暖冬傾向となり、特に2月は全国で著しい高温となった。同月の平均気温は平年を1.99℃上回り、1990年に次いで2番目に高い。この年は3月以降も気温がかなり高く、桜の開花は全国的に平年よりかなり早かった。和歌山県の潮岬では、本州の観測地点としては史上最も早い記録となる3月10日に桜が開花した(潮岬の桜の開花の平年は同月下旬頃、なお現在潮岬での観測は終了している)。なお、この年と翌年は暖冬になったにも拘らず、エルニーニョ現象は起こっていない。
900: 2023/06/03(土)04:57 ID:/P4XxdhK(18/27) AAS
台風19号と規模類似 甚大な被害残した狩野川台風とは
外部リンク[html]:www.asahi.com
狩野川台風は、1958年9月26日、静岡県・伊豆半島をかすめ、翌27日未明神奈川県三浦半島に上陸し、東京を通過した。日本列島への接近時には一時、中心気圧877ヘクトパスカルを観測し、戦後最低を記録。日降水量は東京で371・9ミリ、横浜でも287・2ミリを記録し、現在も観測史上1位となっている。
台風19号は、1959年の狩野川台風以外にも、1949年のキティ台風、1947年のキャサリン(カスリーン)台風とも似ていると言われています。
外部リンク:around40hair.com
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