[過去ログ] ★◆従軍慰安婦を捏造した朝日新聞7◆★ (648レス)
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604: 2013/03/01(金)13:11 ID:Q+tBzPaN0(1/8) AAS
慰安婦との性行為の際には、主として軍が作成した慰安所規程において、避妊具(当時は、「サック」と呼ばれた)の
使用が義務づけられていた[[614]4巻,p293]。ただし、元慰安婦らの中には、慰安所での性行為によって妊娠したと
訴えている者も存在する。
慰安婦の多くは故郷から戦地へと派遣されていた場合が多く、そのような場合は、事実上慰安所から逃亡することは
ほぼ不可能であった。許可制により外出が認められていた場合はあるが(文玉珠は主計将校と偽の結婚の約束をして、
結婚前の準備のため家に帰るとして中国の慰安所から朝鮮の家までの通行許可証を得ることで慰安所を脱走したと
いう[658])、多くの場合、軍機密や安全等の必要から制限を課されていた。また、自らだけの意思で慰安婦を辞めること
は事実上不可能であり、辞めることを許されたのは、妊娠後期になったり、精神的疾病を発症して、慰安婦としての任務
を遂行できなくなった場合に限られていたのがほとんどであったとする吉見義明の見解もある[648]。
ビルマ中部のマンダレーでは経営者の許可証があれば外出でき、セレベス島では原住民慰安婦ばかりで外出自由で
省11
605: 2013/03/01(金)13:11 ID:Q+tBzPaN0(2/8) AAS
敗戦後日本の連合軍慰安婦
敗戦後日本において設置された特殊慰安施設協会(RAA)のうち東京のある慰安所では、和服女性150人をそろえて
アメリカ兵を受け入れると初日に47人もの相手をした女性もいた(報酬は2ドル[10])。
韓国軍・米軍慰安婦
韓国におけるアメリカ軍相手の女性達は自殺や中毒により死亡することもあった[384]。1957年7月21日付け東亜日報で、
アメリカ軍慰安婦がわが身を悲観して自殺したと報道される[9]。1959年7月30日付け東亜日報で、慰安婦が悲觀自殺
したと報道される[9]。
1959年9月の韓国保健社会省の性病保菌実態の報告では、接待婦の15.6%、私娼の11.7%、慰安婦の4.5%、ダンサー
の4.4%が罹患していた[11]。
1959年10月18日付け東亜日報で、慰安婦の66%が保菌者であると報道される[9]。
省14
606: 2013/03/01(金)13:11 ID:Q+tBzPaN0(3/8) AAS
他方、元日本兵杉本康一によると「確かに兵士たちは、高い賃金を払っていたが」ある日出会った少女の慰安婦が
「一銭ももらっていません」と聞いているという[667]。
吉原で10年間、娼婦をしていた高安やえは、内地(日本)で商売を始めるために、10倍稼げるという理由でラバウル
で慰安婦となったといい「一人5分と限り、一晩に200円や300円稼ぐのはわけがなかった」と回想している[668]。
宋神道は借金が無かったが朝鮮からの旅費、飲食代などの経費を全て借金として背負わされたという。宋の取り分
は4割だったが国防献金など様々な名目で経費が加算され、返すまでに7年近くかかったと証言している[669]。
『証言ー強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』によると、慰安の代価を得たのは、19人の内3人に過ぎなかった[670]。
料金体系
省16
607: 2013/03/01(金)13:11 ID:Q+tBzPaN0(4/8) AAS
大正中期から昭和前期のボルネオでは、一人2円のうち娼婦の取り分は1/2、その内で借金返済分が1/4、残り1/4から
着物・衣装などの雑費10円を出すのに、月20人の客を取る必要があった。「返す気になってせっせと働けば、そっでも
毎月百円ぐらいずつは返せた」 といい、それは最少で月110人に相当する。(なお、フィリピン政府衛生
局での検査の場合、週一回の淋病検査、月1回の梅毒検査を合わせると、その雑費の二倍が娼婦負担にさせられていた。)
料金は泊まり無しで2円。客の一人あたりの時間は、3分か5分、それよりかかるときは割り増し料金の規定だった(接待時間
ではなく、性交労働時間だったと思われる)。港に船が入ったときは娼館は満員となり、一晩に30人の客を取った時もあった。
現地人を客にすることは一般に好まれず、ある程度接客拒否ができたようである。しかし、月に一度は死にたくなると感想を
語り、休みたくても休みはなかったという。日本軍を相手とした場合は兵士が支払った料金の半分以上が女性の手取りとなり、
省13
608: 2013/03/01(金)13:11 ID:Q+tBzPaN0(5/8) AAS
AA省
609: 2013/03/01(金)13:11 ID:Q+tBzPaN0(6/8) AAS
仲介業者による中間搾取や不払い
吉見義明や尹明淑によれば、現在証言の得られる元慰安婦のほとんどは、慰安婦の直接の雇用主である業者が、慰安婦
から「前借金」「衣装代」「食料代」等の名目で給与を天引きしており、慰安婦の手元に渡された給料はほんのわずかという
ケースが少なくなかった[689]。
李榮薫はこうした業者は女衒であったとしている[11]。秦郁彦も業者が慰安婦に支払わなかったことや楼主の不払いについて
指摘している[688]。
また、1930年代の朝鮮では人身売買業者が女性や少女を恐喝や嘘をついて勧誘したり、誘拐し、満州や中国に売却する
事件が頻発していた(#1930年代の植民地朝鮮における人身売買・誘拐を参照)。
韓国軍・米軍慰安婦
1962年の韓国の相場では、ショートタイムで2ドル、ロングタイムで5ドルであった[11]。固定的な性的関係を持つことによって
省17
610: 2013/03/01(金)13:11 ID:Q+tBzPaN0(7/8) AAS
元兵士の伊藤桂一は慰安婦らは「ときには性具のように取扱われはしても、そこにはやはり連帯感のつながりがあった。
だから、売りものに買いもの、という関係だけではない、戦場でなければ到底持ち得ない、感動のみなぎる劇的な交渉も、
しばしば持ち得たのである」と述べ、当時の兵士と慰安婦たちの人間的な交流があったエピソードを紹介している[660]。
吉見義明は、兵士から見れば慰安婦は血なまぐさい戦場で、身近の唯一の女性であり、恋愛を含めた心の交流があった
と話す場合が多いが、元慰安婦の証言からはそうした状況はまったく違って述べられているという。慰安婦側から見れば、
愛想良く対応しないと殴られる、兵士の求めるような形で応対する事で少しでも楽に「仕事」を済ましたい、将校と仲良く
なることで少しでも待遇をよくしてもらいたい、という動機であるとしている[649]。
1944年の米国戦争情報局心理作戦班報告によればビルマのミートキーナーの慰安所では、日本の軍人からの求婚もあり、
実際に結婚したもケースも報告されている[659]。このほか、酒に酔った兵に脅された例、逆に刀を刺してしまった例、
無理心中させられそうになった例、慰安婦に頼まれて自由にする金を横領した主計将校など様々な逸話がある[要ページ
省14
611: 2013/03/01(金)13:11 ID:Q+tBzPaN0(8/8) AAS
AA省
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