[過去ログ] 産経抄ファンクラブ第285集 (1002レス)
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(5): 2022/03/28(月)07:51 ID:yhkGbRJc0(1/2) AAS
今日の産経抄はなんと「4月28日」なんだな
訂正する前にスクショしとこうか

4月28日
競馬ファン以外はピンとこないだろうが、歴史的快挙だ。世界最大の競馬の祭典、ドバイワールドカップデーで施行された最高格付けのG?5レース中、2レースを日本で生まれ育った馬が制覇した。2着、3着にも多くの日本馬が入った。

 ▼例えれば、五輪競技で金2、銀1、銅3を取ったようなもの。日本ダービー馬ハクチカラとともに初めて米国競馬に参戦した名騎手、保田隆芳が「30年の差を感じた」と嘆いた64年前とは隔世の感がある。

 ▼当時は外貨の持ち出し規制もあり、カイバにも事欠いたという。長い雌伏を経て「30年の差」を詰めていき、世界に追いついたキーワードが、「国際化」だった。

 ▼ご多分に漏れず、国際化は痛みを伴う。市場開放すれば外国産馬が、日本産馬を蹴散らし、腕の立つ外国人騎手もどんどんやってくる、と「既得権益者」は強く反発した。だが、国際化で切磋琢磨(せっさたくま)した日本産馬は格段に強くなり、ぬるま湯に漬かっていた騎手たちも目が覚めた。国際化によって古い徒弟制度に縛られていた厩舎(きゅうしゃ)も変わった。

 ▼テンガロンハットを好み、26日だけでG?「ドバイターフ」など重賞を3つも取った矢作芳人調教師は、「競馬界きっての変人」といわれる。彼は、東大進学日本一の開成高校に学びながら、勉強に嫌気がさして大学に進学せず、オーストラリアに渡った。日本の競馬界に入ってからもやんちゃな気質は変わらず、調教師試験に13回も落ちた。よくあきらめず、受け続けたものだ(JRAも根負けしたのだろうが)。

 ▼どんなに世界から後れをとっていても確固たる方針と政策、それに人材がそろえば、いつかは追いつける。たかが競馬、されど競馬。「ドバイの歓喜」に日本再生のヒントがある。
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