Frankie Valli & The Four Seasons (96レス)
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25(1): 05/14(火)07:25 AAS
>>24
メジャーな固有名詞を羅列してるけど
何を言いたいのかよく分からない
26(1): 05/14(火)07:26 AAS
>>25はあまりこの年の音楽背景を知らないほうだと思う。
この時期はR & Rの流れを受け継いだポップスの全盛時代だった。
The Beach Boysや、The Four Seasonsが登場する頃は、
50年代ではヒットの主役だったポピュラー音楽も、
60年代になると売れるのも厳しくなってきた。
華やかだったポップスも、64年となると音楽背景が変わってしまうことに・・
27: 05/14(火)07:26 AAS
>>23
もう62年の時期になると、Clydeの音楽は悪く言えば古臭くなったところかな。
65年以降は1曲もチャートに入ることはなかった。Clydeが抜けたThe Driftersは
別のグループが名乗ってヒットを飛ばしていた。
The Four Seasonsは"Sherry"がなかったら、どうなっていただろうか、
"Big Girls Don't Cry","Walk Like a Man"があったとしても1位になることは
なかったと思う。これらが1位になったのは"Sherry"の影響もあるんだと
思うんだよね。この曲は彼等にとって重要だったんだよ。
28: 05/14(火)07:26 AAS
>>26
君が62年の米英の音楽に理解が浅いのはよく分かった
29: 05/14(火)07:27 AAS
理解が浅い?
どこが浅いのか説明してもらおうじゃないか。
ありのままを簡潔に書いただけだ。
30: 05/14(火)07:27 AAS
ありのままって
大事な所が何も見えていない
31: 05/14(火)07:27 AAS
67年のアルバム"New Gold Hits"に収録されている"Tell It To The Rain"は
通常のものとは異なった別ヴァージョン。歌に慣れてない感じがするし、
通常ではテンションが高めの♪(Tell it baby) Yeah, yeah,....の箇所なんかは
同じ音の高さで歌ってるだけ。
90年代にACEから出た2in1 CDにはこのヴァージョンが収録されていた。
32(1): 05/14(火)07:27 AAS
1962年という年はThe Four Seasonsにとって最初の年でもあった。
1月にGoneからデビューシングル"Bermuda/Spanish Laceをリリースするが、
全く売れなかった。この後Vee-Jayに移籍、7月に"Sherry/I've Cried Before"を
リリース、これが彼らにとって初の全米1位になるのである。
33(1): 05/14(火)07:28 AAS
事実を羅列しただけの内容の無い文章だな
歴史の論述問題とか苦手だっただろ
34: 05/14(火)07:28 AAS
>>33
それだったら、自分で書けば?
こっちは好き勝手で書いているだけの事。
35(1): 05/14(火)07:29 AAS
>>24
The Beach BoysのSurfin' U.S.A.こそが画期的な名曲
Brian Wilsonは大天才
36: 05/14(火)07:29 AAS
個人的にはBrian Wilsonは天才だが、
Frankie Valliは努力家のイメージかな。
30年以上もThe Four Seasonsを愛聴しているが、
Valliを大御所とは見ているが、天才と思った事は一度もない。
37: 05/14(火)07:29 AAS
>>24
ツイストブームで明けた1962年だけど、その後にヴィージェイは特大ヒット出す
下半期にフォー・シーズンズがブレイクするのも、クライド・マクファターのスタイルが古臭くなるのも
その曲が影響している (西海岸でのスペクターサウンドの興隆も)
38: 05/14(火)07:29 AAS
その曲はもちろんジーン・チャンドラーの「デューク・オブ・アール」だけど
同時期にヒットしたのがテキサスのブルース・チャネルの「ヘイ!ベイビー」
これがフォー・シーズンズだけでなく遠くイギリスのアーティストにも影響を及ぼして
ヴィー・ジェイ・レコードの運命を大きく左右する
39: 05/14(火)07:30 AAS
Vee-Jayレコードで1962年の1位で、The Four Seasonsの2曲があるが、それ以外は
Gene Chandlerの"Duke of Earl"がある。Geneはこの曲で1位を手にしたが、
Vee-Jayでの他の曲はチャートに入っても大ヒットにはならなかった。(Popチャート)
その後別のレーベルに移籍して幾つかのヒットを出すことになる。
40: 05/14(火)07:30 AAS
「デューク・オブ・アール」は曲調こそドゥーワップの名残りがあるけど
ジーン・チャンドラーの歌唱法は60年代を席巻するソウル・ミュージックのスタイル
初のソウルボーカルのナンバーワンヒットと考えられる
ジーン・チャンドラーがその後に誰とコラボレイトするかは言うまでもない
41(1): 05/14(火)07:30 AAS
「ヘイ!ベイビー」のハーモニカサウンドを取り入れたのがフランク・アイフィールドの「アイ・リメンバー・ユー」
このイギリスのヒット曲をヴィー・ジェイがアメリカで配給して大成功
翌年初頭に同じくハーモニカサウンドでイギリスでブレイクしていた「プリーズ・プリーズ・ミー」という曲も配給する
42: 05/14(火)07:31 AAS
元々ヴィー・ジェイ(アブナー)にはディー・クラークというクライド・マクファター・フォロワーの看板歌手がいたんだが
ジーン・チャンドラーと入れ替わるようにヒット曲が無くなる
43: 05/14(火)07:31 AAS
>>35
「シェリー」にはツイストブームの影響は大してないけど
「サーフィンUSA」はツイストブームなくして生まれなかった作品
44(1): 05/14(火)07:32 AAS
>>41
Frank Ifieldの"I Remember You"も実はカヴァー、元々はJohnny Mercerと
Victor Schertzingerが1941年に書かれたスタンダードナンバーで、色々な
歌手たちに歌われてる名曲。
Australia出身のFrank Ifieldはイギリスで活躍、この曲以外にも、
"Lovesick Blues", "The Wayward Wind",
"Confessin' (That I Love You)"を全英1位にしているが、これらは全て
アメリカの曲のカヴァー。彼も60年代前半のイギリスでよく見られる
猿真似シンガーの1人ではあるが、歌は他の猿真似シンガーよりも上手いほうに
値する。アメリカでは一発屋で終わったが、
省1
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