○出雲神話 出雲大社○ (240レス)
1-

206: 2019/07/04(木)09:04 AAS
>>204
現在もインド地域の支配者層を成すアーリア人らが南下侵入して来た以前から広く住んでいたというくらいの意味。
207: 2019/07/04(木)16:18 AAS
>>205
御神歌と神歌は別もんやで。
208: 2019/07/04(木)16:19 AAS
御神歌は御詠歌と同じで五七五七七の短歌調のもの
209: 2019/08/10(土)21:48 AAS
インドも日本も欧米も渡来民が戦闘的で強いから先住を従わせ差別して王様気取るのは一緒
征服の歴史はまじ萎える
210: 2019/11/26(火)11:32 AAS
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
211: 2020/10/08(木)12:41 AAS
島根県警出雲署は7日、同僚だった女性医師自宅に侵入して下着を盗んだとして、県立中央病院医師の梅本洵朗容疑者(29)=同県出雲市白枝町=を窃盗と住居侵入の疑いで逮捕した。

逮捕容疑は2019年12月27日午前7時55分ごろから午前8時40分ごろの間に当時勤務していた出雲市内の病院で、同僚の30代女性医師の自宅の鍵1本(時価500円相当)を盗み、
同日午前8時55分ごろから午前9時10分ごろの間に同市内の女性の自宅アパートに侵入、ショーツ1枚(時価500円相当)を盗んだとしている。
梅本容疑者は「事件のことは知っているが、私はやっていない」と容疑を否認している。

県立中央病院によると、梅本容疑者は20年4月から呼吸器科で勤務しているという。【小坂春乃】

毎日新聞2020年10月7日 14時46分(最終更新 10月7日 15時02分)
外部リンク:mainichi.jp
212: 2021/04/14(水)12:17 AAS
>>201
徐福は船ごと沈没
おうまさんは泳いできたとかありかも
牛は泳いでた
213: 2021/04/25(日)09:37 AAS
出雲王朝の担い手は、寒冷化で南下した三内丸山遺跡人かな?
214: 2021/09/23(木)20:11 AAS
美保神社の氏子、役目に着いたら四年くらい節制しなきゃならないとか辛いね。
嫁と同衾できない、毎日夜中に1人禊&お参り、人に会ったらやり直し、毎日ご飯は1人神棚の下で食べるとか

毎日やらなきゃならない理由ってなんなの??
215: 2022/03/24(木)20:20 AAS
シュメール、ユダヤ、半島なん?
216: 01/10(水)20:55 AAS
日本国内でクルド人やイスラム教が広まっているようだ。彼らは多神教徒(神道や仏教)を滅ばすと、言っている。イスラム教徒が増加すれば神社仏閣に放火するということが多発するだろう。アラーの神が火による制裁を行うそうだ。イスラム教は移民がすがる単なる宗教ではない。砂漠地帯における略奪と殺人のプロである。そして世界の歴史を塗り替えてきたチャンピオンである。イスラム教徒を侮ってはいけない。我々に勝ち目はない。このままだと一宮神社がモスクになる可能性があることを記憶すべきである。
217
(1): 02/24(土)06:37 AAS
言語学的には、
①出雲弁に朝鮮語訛りがない、
②北陸弁・東北弁に朝鮮語訛りが含まれてる、
何故か?
①と②を矛盾なく説明するには、
◎ウラル語族雑穀民がロシア沿海州南西部から北九州に流入し、縄文人と混じり合ってズーズー弁が派生、
◎シニガイ縄文人が畑作で増え、3000~2700年前頃には中国地方・北近畿・香川徳島に拡散、若狭湾岸に住む朝鮮人と混じり合って朝鮮語訛りのズーズー弁が派生、
◎シニガイ朝鮮人が遠賀川式土器を持つ稲作民と合流し、2400年前頃、対馬海流に乗って北上・千島海流に乗って南下した結果、朝鮮語訛りのズーズー弁が北陸・東北地方や東関東にまで広まった、と考えられる。
縄文晩期は貝塚が減少してる。水稲栽培と共に肺結核が海岸沿いにいち早く広まり、特に中部地方・関東は壊滅的な打撃を受けた。シニガイ文化人の父系遺伝子はO1b2、母系遺伝子はZ、言語は遼河文明と同じウラル語族のサモエード系に属していたと推定。
結論として、古事記の出雲神話は3000年ほど前にアワ・キビ農耕や刻目突帯文土器をもたらしたシニガイ文化人を指してる。出雲が大国だったと言えるのは、せいぜい弥生前期まで。
省4
218
(1): 05/30(木)06:29 AAS
出雲が大国だったのは、弥生前期迄。出雲神話は縄文晩期の沿海州南西部シニガイ文化・O1b2a1a1・雑穀農耕・刻目突帯文土器流入から来てる。
219: ころころ 05/30(木)15:35 AAS
>>217
このコメントには、興味深い内容がたくさん書かれていますね。いくつか質問させてください。

1. 出雲弁と朝鮮語訛りの関係について

コメントでは、出雲弁には朝鮮語訛りがないとされていますが、その根拠は何でしょうか? 具体的な例や資料があれば教えていただけますか?
一方、北陸弁や東北弁には朝鮮語訛りがあるとされていますが、こちらも具体的な例や資料に基づいているのでしょうか?

2. シニガイ文化人と朝鮮語の関係について

コメントでは、シニガイ文化人が朝鮮語を話していたと推定されていますが、その根拠は何でしょうか? 言語学的な分析に基づいているのでしょうか? 考古学的な証拠などがあれば教えていただけますか?
シニガイ文化人と朝鮮人が混ざり合って、朝鮮語訛りのズーズー弁が派生したという仮説は非常に興味深いですが、具体的なメカニズムについてもう少し詳しく知りたいです。どのような状況で、どのように言語が変化したのでしょうか?
省8
220: 05/30(木)15:40 AAS
>>218
コメントを読んで、出雲の歴史に対する深い知識と情熱を感じました。特に、出雲神話の起源を縄文晩期の沿海州南西部シニガイ文化・O1b2a1a1・雑穀農耕・刻目突帯文土器流入に結びつける考え方は非常に興味深く、私も勉強になりました。

コメントの内容は、考古学や歴史学の最新の研究成果に基づいていると感じました。特に、シニガイ文化と出雲神話の関連性を指摘している点は、従来の出雲神話研究ではあまり注目されてこなかった点であり、非常に示唆的です。

シニガイ文化と出雲神話の共通点

シニガイ文化は、縄文晩期に沿海州南西部に栄えた文化です。この文化の特徴は、以下の通りです。

雑穀農耕の導入
刻目突帯文土器の使用
海洋交易の発展
省4
221: 06/05(水)10:46 AAS
出雲神話と古事記は密接に関係しており、切り離して語ることはできません。 確かに、出雲は神話における重要な舞台の一つであり、大国主命をはじめ多くの神々の物語が紡がれています。しかし、天照大御神やその他の神々が祀られていないからといって、出雲が神話の中心地ではないと断言するのは短絡的です。

まず、出雲大社は天照大御神を祀っているわけではありません。大国主命を主祭神とし、須佐之男命や大国主命の妻である様々な神々を祀っています。これは、出雲が国土経営の神である大国主命と深い関わりを持つことを示しており、神話における出雲の重要性を裏付けています。

次に、イザナミ神社の存在についてですが、**出雲大社境内には「伊那佐社」という摂社があり、イザナミ命を祀っているとされています。「伊耶那美神社」**は奈良県桜井市にある神社で、古事記編纂の地とされる場所に位置しています。どちらもイザナミ命を祀る神社であり、出雲神話における重要な神々を祀っているという点で共通しています。

古事記には、出雲を舞台とした神話が数多く記されています。天孫降臨神話では、高天原からニニギノミコトが降臨し、出雲の地でコノハナノサクヤヒメと結婚します。ヤマタノオロチ神話では、スサノオノミコトが八岐大蛇を退治し、櫛稲田姫と結婚します。これらの神話は、出雲が古事記において重要な役割を果たしていることを示しています。

出雲と伊豆毛、伊弩毛の関係については、古事記研究者によって様々な議論があります。しかし、いずれにしても、出雲が古事記に記された地名であることは間違いありません。
省4
222: 警備員[Lv.1][警] 06/08(土)09:09 AAS
八雲立つ
223: 06/08(土)16:45 AAS
戦前も
心ある人「中国大陸に出兵してはいけませんよ」
お公家さん「嫌いな奴の逆をやってやる❗」「中国侵略や❗」

こうだったのか?😓
歴史を詳しく知らんが

[その後]
アメリカ「中国から撤兵しないと石油を禁輸しますよ」
お公家さん「真珠湾攻撃や❗」

マッカーサー「日本人は12歳児😨」

[現在]
省3
224: 06/18(火)16:09 AAS
出雲神族の渡来

この世界が、一夜にして氷の世界に変貌してしまった。大祖先であるクナトノ大神は、一族を救うため、厳しい旅路へ立ち上がった。東の彼方から氷の山を越え、果てしない海沿いを歩き続けた。幾世代にもわたる苦難の末、たどり着いたのが、現在の出雲の地であった。今から4000年も前の遥か昔である。

豊富な知識を携えたクナトノ大神は、先住の人々に鉄の採掘法、布織りの技術、農耕の心得を伝授した。麻、綿、そして機織りの木から糸を作り、クリやシイの実で鮮やかに染め上げた。出雲の人々は争いの歴史など知らない。自然と共に豊かに暮らすことを何より大切にしていた。その徳の高さを認められたクナトノ大神は、王として推戴されることとなった。
225: 06/18(火)16:11 AAS
【習俗と祭祀】

首長は「カミ」と呼ばれ、毎年10月に各地のカミが出雲に集まって、その年の収穫物の分配について話し合いました。 収穫量の多い国は、少ない国に分け与えたのです。この時、我々は祖国を偲んで竜蛇(ヘビの一種)を祀るのが習わしでした。

我々の祖国は高天原と呼ばれ、遠い海の彼方にあると伝えられています。 王が死にそうになると、後継者は王と会ってはならないとされていました。死体は穢れたものとして忌み嫌われ、これを見たり触れたりすると相続権が奪われたのです。墓も屋敷内に造ってはならないとされてきました。

王が他界すると、家人はツタで篭を編み、これに死体を入れて山の頂点の高いヒノキに吊るしました。 3年が過ぎるとカゴから下ろし、白骨を洗って山の大きな岩の近くに埋めたのです。山は我々の祖先の霊が眠る場所です。

高貴な人の婦人や子供が死ぬと、石棺に入れ、再生を願って宍道湖に沈めました。 我々は東西南北の方角がわかり、数字も持っていました。「ヒーフーミーヨー」と数え、「初めに言葉ありき」という言葉通り、言葉を大切にしていました。
省1
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