[過去ログ] 【新潟】部落解放同盟 傍観は差別 積極的に人権教育を (1001レス)
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997: 名無しさん@0新周年 2014/06/11(水)23:46 ID:rmGKaQbv0(5/7) AAS
戦後は68年頃より高田(現上越市)に〈生活を守る会〉が結成され、これを母体として、
69年に部落解放同盟高田支部が産声をあげた(委員長・亀井喜代二【かめいきよじ】)。
以来約20年を経て県内には小千谷、堀之内、新発田住吉、関川高田、湯ノ沢、中条乙の各支部が誕生し、84年8月26日には県連結成をみた。
85年に部落解放新潟県研究集会を開催、以降毎年開催している。92年、県同教を結成。98年新潟同宗連も結成された。

白山会館開館40周年記念イベントがありました。
外部リンク[php]:www.ishidaira.jp

長谷川氏は、新潟県の「解放の父」と言われる部落解放同盟高田支部(現上越支部)の
初代支部長で県連(準備会)委員長(実質的に県連の初代委員長)の故・亀井喜代二氏の思いを重ねながら、
これまでの新潟県内の部落解放運動の歴史を回顧し、その意義と今後の課題について語りました。

新潟県は解放運動の最北端の地で、かつ少数点在部落という形態の中で部落差別が社会問題化しづらく、寝た子を起こすなという考え方が強い地域であること。
そのような中、1969年の「同和対策特別措置法」の成立を機に当時の高田市の被差別部落から組織的な運動が始まっていったこと。
白山会館開館と同じ年の柿崎中学校の部落差別事件に対する取組が、県内における同和行政や同和教育が開始される歴史的契機となったこと。
差別を許さない連帯の広がりが被差別部落の元気を作り出し、各地の支部結成や県連結成、さらには県内の同和行政、同和教育の進展に結び付いていったこと。
などを明らかにしながら、

「解放行政」「解放教育」の目標と課題を提起しました。(運動の側では「同和行政」「同和教育」のことを、主にこのように言っています。)
すなわち
すべての生徒に学力と進路を保障する教育
差別を許さない人間をはぐくむ教育
同和地区の子どもの自身と誇りを育む教育
同和問題学習のさらなる強化
差別の現実に学ぶ
部落の人々が果たした役割の評価と理解
人権侵害救済法の早期制定
第3次上越市人権総合計画の県内への普遍化
などです。

そして、まとめとして、
亀井喜代二さんの思いを忘れることなく、反差別の実践者、改革者、牽引者になろう。
日々関わる同和教育の実践で、子どもたちにさらなる輝きと笑顔をもたらそう。
などと結びました。

蛇足ですが、私の節々での取組も覚えていてくれて、講演の中で3回も私の名前が出てきました。うれしいやら気恥ずかしいやら、でした。
一度目は、上記の柿崎中学校の差別事件に取り組んだ件、二度目は、長岡市において新潟県で初めて部落解放研究集会を開催した件です。
いずれも、私が中心になって尽力したもので、新潟県の同和行政、同和教育、そして解放運動にとって歴史的な画期をなすものでした。
「今は昔」の感があり、なつかしい話です。そして最後は、まとめのところで「よき日」に向けた思いを共有するという意味だったと思います。
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