[過去ログ] 【ノーベル賞】青色LEDの開発、過去には20億円の訴訟も…莫大な利益をあげた中村教授が当時受け取った報奨金わずか「2万円」 (1001レス)
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715: 名無しさん@0新周年 2014/10/08(水)08:47 ID:VJCsgzCd0(2/3) AAS
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血脈…C日亜化学異聞
中村修二氏と日亜化学の裁判には、どうも 血脈的な背景があるらしいことを知った。
小川雅照『父一代の日亜化学』洛風書房 (0504)に、その特殊事情が記されてい る。サブタイトルとして、「青色発行ダイ オード開発者中村修二を追い出したのは誰 だ!」が付されており、著者の肩書きは、 「日亜化学工業株式会社創業家実子」と なっている。
裁判における日亜化学側の代表者は、小川 英治氏である。小川家が創業家だというこ とは知っていたので、英治氏も創業者の実 子だと思っていたのだが、創業者である小 川信雄氏の長姉和子氏の婿養子として迎え られた人だった。
著者の雅照氏は、信雄氏の三男であるが兄2 人が夭折したので、実質的な長男として育 てられた。 一時期日亜化学に在籍していたが、雅照氏 の夫人と、信雄氏の妻との間に「嫁−姑」 問題などがあって、退社した。
そういう事情があるから、雅照氏の主張を 一方的に信じることはできないのかも知れ ないが、先代の創業者信雄氏に可愛がられ ていた中村氏が、日亜化学から離反するこ とになる事情について、納得させられるも のがあることは確かである。
というのは、創業家の実子で雅照氏の弟の 智滋氏も、日亜化学を退社することを余儀 なくされているからである。 智滋氏は、日亜化学の常務取締役であった が、信雄氏亡き後平取締役に降格され、さ らには取締役からも外されたらしい。
創業者の信雄氏は、中村氏の才能を高く評 価していた。 それは信雄氏自身が、職人的な技術者だっ たことが大きな要因だった。
信雄氏の下で、中村氏は自由な研究環境を 与えられ(とはいえ、地方のさほど大きな 企業ではないから、設備等が充実していた わけではない)、独創的な開発にチャレン ジすることができた。
裁判で、日亜化学は、中村氏が発明した 「404号特許」は実際には会社の事業に貢 献していない、と主張していたが、職務発 明対価を求める裁判の前に、特許を実施す る権利の帰属についての争いがあったこと からしても、日亜化学の主張は不合理と考 えるべきだろう。
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