[過去ログ] 【社会】日本で広がる「JKカフェ」 暗い側面©2ch.net (647レス)
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441: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:02 ID:QltVkoJ40(7/38) AAS
>>1
子供は後悔する可能性があるので彼らの自由を奪われるべきであると言う児ポ法/未成年者誘拐罪の支持者の人間行動学的不条理を理解する為に:

人間行動の存在から導き出される別の根本的な意味合いは将来の不確実性である。
これはその反対は完全に行動の可能性を否定するので必ず真である。
もし人が将来の出来事を完全に知っているならば、彼は決して行為しないだろう。
なぜなら彼のどんな行動もその状況を変える事は出来ないからである。
従って、行動の事実は行為者にとって将来は不確実であると言う事を意味する。
この将来の出来事に関する不確実性は二つの基本的な源泉から生じる、
つまり、人間の選択行為の予測不可能性、そして自然現象に関する知識の不十分さである。
人は全ての自然現象の将来の進行を予測できるほど十分に自然現象を理解していない、
省11
442: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:02 ID:QltVkoJ40(8/38) AAS
>>1
Q.子供は知識や経験が不足しており判断力が未熟であるので、後悔する可能性がある行為から保護されるべきではありませんか?
A.リバタリアンにとっては常識的であるがあまり深く物事を考える習慣のない人々にとっては
知られていない一つの哲学的な真実は 全ての人間行為者にとって将来は不確実であると言う事です。
これは主に人が自由意思を持つと言う事実、そして人は外部の全ての自然現象を把握して
予測し切れる程の能力を持っていないと言う事実に基づいています。
そしてある人が過去の何らかの行為に後悔するかどうかは根本的に将来、彼が採用する価値観に依存します。
そして人間は自由意思を持つと言う事実は どんな知識や経験も彼の価値観を絶対的に決定する事は
出来ないと言う事を意味します。
人は将来の彼自身の考えや価値評価に関して確実に知る事は出来ないと言う事は人間の一般的な性質です。
省5
443: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:03 ID:QltVkoJ40(9/38) AAS
>>1
そして更に自由意思の事実はその他の人間の選択する行為を確実に予測する事は絶対的に不可能であると言う事を意味します。
そして人間は彼の外部の自然現象を把握し予測し切れる程の能力を持っていません。
自然災害、病気、意図的な犯罪、不注意による事故等により彼らの希望を絶たれている多くの子供達が存在します。
家庭環境や学校教育等、子供達の保護と健全な育成と称して押し付けられている環境その物を苦にして
自殺している子供達が存在します。
人は将来の彼自身及び彼を取り巻く他人や自然環境の状況を確実に知る事は出来ないので何らかの行為を行うにせよ、
或いは行わないにせよ、後悔する可能性は絶えず存在します。
子供達自身の選択の自由を奪い、親や政府の等しく不確実な判断を押し付けたところで、
子供の将来がより良い状態になると言う保障は何処にも存在しません。
省1
444: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:03 ID:QltVkoJ40(10/38) AAS
>>1
また親や政府は子供自身の主観的感情的な幸福、利益に関する直接的なテストを持ちません。
彼らが子供の保護と称して押し付けている事は彼らと異なる感性を持つ一部の子供にとって
耐え難い苦痛を伴う地獄の様な奴隷状態であるかもしれません。
実際、子供達の自殺理由の大部分は自称子供の保護活動家達が熱心に 有害であると批判する行為ではなく、
むしろ彼らによって健全な物として押し付けられている家庭環境や学校教育によって生じています。
子供達を奴隷化する事によって彼らを保護する事が出来ると考える事は単なる愚か者の自惚れに過ぎません。
子供達の人生は子供達の物です、彼ら自身の幸福を彼ら自身の選択した方法で探し求める自由を
子供達から奪う事は許されません、 それは子供達に対する本物の搾取であり虐待です。
9874312
445: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:03 ID:QltVkoJ40(11/38) AAS
>>1
誰が真に有益な本物の教育を受け取る機会を子供達から奪っているのか?:

教育は一生続く学習過程である、そして学習は学校だけでなく人生の全領域で行われる。
子供が遊ぶか、親や友達に聞くか、新聞を読むか、仕事で働く時、彼や彼女は教育を受けている。
形式的な学校教育は教育過程の僅かな部分に過ぎない、そして本当は形式的な教育の科目、
特に高度で体系的な科目の為に適切であるに過ぎない。
基本的な科目、読み書き計算、そしてその結果は家や学校の外側で容易に学ばれる事が出来る。

更に、人類の偉大な栄光の一つはその多様性、それぞれの個人はユニークな能力、関心、
そして才能を持つユニークな存在であると言う事実である。
この領域に能力も関心も持たない子供達に形式的な学校教育を押し付ける事は
省5
446: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:04 ID:QltVkoJ40(12/38) AAS
>>1
少なくとも千年以上に渡って、日本人は集団カルトの中で最も純粋な利他主義を教えられている。
"自分が望む様に生きる為の権利のアイディアは日本人の精神の中に入る事は出来ない。...
そこでは人の時間や努力は排他的に彼自身のものと考えられる事はない。
彼が生きる権利は集団に仕える彼の意志に依存している。...
個人は集団の為に完全に犠牲にされる。...集団内の全てのメンバーは
彼の仲間のメンバーの行動を注意深く監視しなければならない。...
クラス活動、集団の利益、社会的影響は最重要になる。
そして生徒達が洗脳される支配的な哲学はいかなる普遍的或いは
永久的な道徳的価値や基準も存在しないとする"道具主義"の哲学である。
省13
447: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:04 ID:QltVkoJ40(13/38) AAS
>>1
我々は皆我々自身と我々の周りの全ての事を知らない世界に生まれる。我々の性質の基本的な法により、
我々は皆、幸福に対する欲求と苦痛に対する不安により絶えず駆り立てられている。
しかし我々は我々に幸福を与え、そして苦痛から我々を救う事に関して、学ぶ為の全ての物を持つ。
我々のうち二人として肉体的、精神的、或いは感情的に、或いは結果として幸福の獲得と不幸の回避の為の肉体的、
精神的或いは感情的必要条件において全く同じ人は居ない。
それ故に、我々の誰も別の人の為の幸福と不幸、有徳と悪徳に関するこの欠く事のできないレッスンを学ぶ事が出来る者は居ない。
それぞれの人は彼自身の為にそれを学ばなければならない。
それを学ぶ為には、彼は必ずそれら自身を彼の判断に委ねる全ての実験を試みる為に自由でなければならない。
彼の実験の幾つかは成功し、そしてそれらは成功したと言う理由で有徳と呼ばれる、その他は失敗し、
省9
448: 名無しさん@1周年 2016/02/01(月)23:04 ID:VCvp2tcG0(3/5) AAS
ログ流しが湧いてんのかw
449: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:04 ID:QltVkoJ40(14/38) AAS
>>1
ある人は彼自身にとって極めて重要な問題に関して、そしてその他の誰も彼の様に利益を持たないか、
持つ事が出来ない事に関して誰かの言葉を受け入れるか、誰かの権威に屈する義務はない。
もし彼がそうするとしても、彼はその他の人々の意見は同意出来ないとわかるので、
その他の人々の意見に安全に依拠する事は出来ない。

...有徳や悪徳の問題は殆どの場合に何らかの単独の行為それ自体の本質的な特徴の問題ではなく、
程度の、つまり、ある行動が行われるべき範囲の問題である。
有徳と悪徳の問題はそれ故に、地球に住む様々な個人の精神、身体、状況の多様さと同じぐらい様々で、
それどころか無限である。そして長年の経験はこれらの問題の無数を未解決のままにしている。
それどころか、それらのいずれも解決していると言われる事は殆ど出来ない。
省14
450: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:04 ID:QltVkoJ40(15/38) AAS
>>1
要するに、全ての子供は彼が生まれてそれ故にもはや彼の母親の身体内部に含まれなくなるや否や独立した存在であり、
可能的な成人であると言う理由で自己所有権を所有すると言う事になる。
それ故に親が彼を不具にして、拷問して殺す事により彼の身体に対して侵略を仕掛ける事は必ず不正であり侵害である。
他方で、"権利"の概念自体は誰も適切に干渉する事が出来ない個人の行動の領域を定める"消極的な"ものである。
それ故に誰も積極的な行動を行う様に誰かを強いる"権利"を持つ事は出来ない、
その場合にはその強制は、強制されている個人の身体や財産の権利を侵害する。
こうして、我々はある人は彼の財産に対する権利(言い換えれば、彼の財産が侵害されない権利)を持つと述べる事が出来るが、
我々は誰かは"生存賃金"に対する"権利"を持つと述べる事は出来ない、
それは誰かがこのような賃金を彼に提供する様に強いられると言う事を意味する、
省8
451: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:05 ID:QltVkoJ40(16/38) AAS
>>1
彼の年齢に関わらず、我々は逃げ出す為の、そして彼を自由意志に基づいて受け入れる
新しい養親を見つける為の、或いは彼自身で自立して生きていく事を試みる為の
絶対的な権利を全ての子供に認めなければならない。

親達は子供が帰ってくる様に説得する事を試みる事が出来るが、彼らを連れ戻す為に暴力を用いる事は全く容認し得ない子供達の奴隷化であり
彼らの自己所有権の侵害である。

マレー・ロスバード、The Ethics of Liberty.
マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。
彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。
897645312
452: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:05 ID:QltVkoJ40(17/38) AAS
>>1
自然的財産理論によれば、一度生まれた子供はその他の全ての人と同じぐらい彼自身の身体の所有者である。
これ故に、子供は物理的に侵略されない事を期待出来るだけでなく、また彼の身体の所有者として、
子供はとりわけ一度彼が物理的に彼の両親から逃げ出す事が出来る様になったならば
彼らの下から去る権利を持つ、そして彼を取り戻す為の彼らの考え得る試みを拒否する権利を持つ。

Hans-Hermann Hoppe、A Theory of Socialism and Capitalism.
Hans-Hermann Hoppeはアメリカ合衆国を代表する自然法哲学者、経済学者、社会学者の一人である。
彼はドイツでユルゲン・ハーバーマスに師事し、その後にアメリカ合衆国でマレー・ロスバードに師事した。
987645312
453: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:06 ID:QltVkoJ40(18/38) AAS
>>1
全ての人は彼自身の身体に対する所有権を持つ。その他の誰も彼の身体に対する権利を持たない。
彼の身体の労働及び彼の手の作業は適切に彼のものであると言って良い。
自然が提供していた、自然のままの状態から取り除いたものが何であれ、
彼は彼の労働をそれに混ぜ合わせ、彼自身のものである何かをそれに結合し、
それを彼の財産にする、それは彼により自然のままの共有状態から取り除かれている、
それはこの労働によりその他の人々の共有の権利を排除する様なそれに付加された何かを持つ。
この労働者の議論の余地のない特性である労働の為に、
彼以外の誰も一度結び付けられたものに対する権利を持つ事は出来ない。

ジョン・ロック、Two Treatises of Government.
省2
454: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:06 ID:QltVkoJ40(19/38) AAS
>>1
理性が我々に伝える様に、全ての人は生まれながらにして自然的に平等であり、彼らの身体への等しい権利を持つ...
全ての人は彼自身の身体を所有する権利を持つ。彼の身体の労働と彼の手の働きは適切に彼自身の物であり、
彼以外の誰もそれを所有する権利を持たない。
そしてそれ故に、彼が何かを自然のままの共有状態から取り除いた時、彼はそれに彼の労働を混ぜ合わせ、
そしてそれを彼自身の物にする様な何かを付け加え、それによってそれを彼の財産にすると言う事になる。
...そしてもし全ての人が彼自身の身体と財産への権利を持つならば、
彼はまたそれらを防衛する権利を持つ...そして彼の身体と財産への全ての攻撃を処罰する権利を持つ。

エリシャ・ウィリアムス、The essential Rights and Liberties of Protestants.
エリシャ・ウィリアムスはアメリカ合衆国の自然法哲学者、牧師、イェール大学の四代目学長である。
省1
455: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:07 ID:QltVkoJ40(20/38) AAS
>>1
全ての人々は生まれながらにして自由である、自由は彼らが創造主から受け取った贈り物であり、
彼らは同意により自由を譲渡する事は出来ない、彼らが犯罪によりそれを奪われる事はあるかもしれないが。
...そして誰も彼の子孫の人生と自由、宗教や獲得した財産を譲り渡す事は出来ない、
彼の子孫は彼自身と同じ様に生まれながらにして自由である、
そして彼の邪悪で馬鹿げた取引により束縛される事は出来ない。

ジョン・トレンチャード、Liberty proved to be the unalienable Right of all Mankind.
ジョン・トレンチャードは英国の法律家、著述家である。トマス・ゴードンと共に出版したケイトーの手紙によって
ロック派の自然権理論を広め、現代リバタリアン運動に大きな影響を与えた。
97854321
456: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:07 ID:QltVkoJ40(21/38) AAS
>>1
言論の自由に対する”人権”の場合同様に、自分の財産を侵略から保護する権利を超えたプライバシーへの権利等と言う物は存在しない。
”プライバシーへの”唯一の権利は自分の財産がその他の誰かにより侵略される事から保護する権利である。
簡潔に言えば、誰もその他の誰かの家に泥棒に入る権利や誰かの電話線を盗聴する権利を持たない。

盗聴は何らかの曖昧で漠然とした”’プライバシーへの権利’の侵害”の為ではなく、
それが盗聴されている個人の所有権の侵害であると言う為に適切に犯罪である。

マレー・ロスバード、The Ethics of Liberty.
マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。
彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。
978645312
457: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:07 ID:QltVkoJ40(22/38) AAS
>>1
Wikipedia脳のバカの為の若干の認識論哲学の説明:

ミーゼスは合理主義哲学者により伝統的に公式化されていた制限を踏まえて経済学的命題は二つの必要条件を満たさなければならないと言及する。
第一に、それはそれらが観察に基づいた証拠から引き出されるのではないと論証する事が可能でなければならない、
なぜなら観察に基づいた証拠はそれらが偶然そうである事を明らかにする事が出来るだけだからである、
つまり、なぜ物事がそれらが現存する方法でなければならないのかを示す事はその中に何も存在しないからである。
その代わりに経済学的命題は必ず内省的な認識に、対象を知っているものとしての我々自身に関する我々の理解に基づいていると示されなければならない。
第二に、この内省的な理解は自明の本質的な公理として若干の命題を生み出さなければならない、
これはこのような公理が心理的な意味で自明でなければならないと言う意味ではない、
つまり人はそれらに関して直接的に感じていなければならないと言う意味やそれらの真理性が心理的な確信の感覚に依存すると言う意味ではない。
省8
458: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:07 ID:QltVkoJ40(23/38) AAS
>>1
立論は浮遊する命題から成るのではなく希少な資源の使用を必要とする行動の形式であると言う事に、
そして更にある人が命題の交換に従事する事により選好を証明するその資源は
私有財産のそれらであると言う事に注意しなければならない。
何しろ、もし自分の物理的な身体の排他的な使用を行う権利が既に前もって推定されていなかったならば、
誰も何も提案する事は出来ない、そして誰も論争的な手段により何らかの命題から説得される事は出来ない。
人は言われている事について異議を唱えるかも知れない一方で、少なくとも意見の相違が存在する事に関してはまだ同意する事が可能であると言う
命題の交換の代表的な特徴を説明するのはこの自分自身の身体に対するお互いの相互に排他的な支配の認識である。
そして同様に、このような自分自身の身体に対する所有権は先験的に正当化されると言われなければならないのは明白である。
どんな内容であれ何らかの規範を正当化する事を試みる人は誰でも単に"私はこれこれしかじかを提案する"と述べる為に
省7
459: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:08 ID:QltVkoJ40(24/38) AAS
>>1
もし一般に労働と個人が自由であるならば、その時は売春の自由も存在しなければならない。
売春は自由意志に基づく労働サービスの販売である、そして 政府はこのような販売を禁じたり制限する権利を持たない。
街路を歩きながらの取引のより過酷な面の多くは売春宿の違法化によりもたらされている。
長続きする売春宿は長期に渡り顧客の間の信用を育む事を願うマダムにより運営されていたので、
売春宿は高品質のサービスを提供し彼女らの"ブランドネーム"を築く為に競争していた。
売春宿の違法化はこれが常に伴う全ての危険と品質の一般的な低下と共に売春を不安定な存在である
"ブラックマーケット"に追いやっているのである。
...
暴力の使用から人々を守る事、彼らの身体や財産の暴力的な侵害から彼らを守る事が法的暴力の唯一の役割である。
省6
460: 名無しのリバタリアン 2016/02/01(月)23:08 ID:QltVkoJ40(25/38) AAS
>>1
禁酒法が制定された時、全ての人は新しい道徳の時代の幕開けを予想した。
ビリー・サンデイは次の様に述べる、”スラムはまもなく記憶に過ぎなくなるだろう。
我々は監獄を工場にし、刑務所を貯蔵庫とトウモロコシ倉庫にするだろう。
男性は今や直立歩行し、女性は微笑み、子供達は笑うだろう。地獄は永遠に空室であるだろう。”...

現実は反対である。...

アルコールを禁止する事は単にその生産と消費を”アンダーグラウンド”に追いやり、
そしてその双方を増加させると言う予想に反する効果を持った...
多くの人々はそれが違法になったと言う理由で、今まで以上に、或いは初めて酒を飲んだ。
”人々は高い目的感覚で、あなたが今日殆ど見ない熱心な飲酒の種類で反抗的に飲んでいた。”
省11
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