[過去ログ] 被差別部落にまつわる怖い話 27 (1002レス)
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75: (ワッチョイ f7b8-3X9e) 2018/02/15(木)21:55 ID:Lf+nhyZW0(2/7) AAS
悲田院長吏文書
外部リンク[htm]:www.blhrri.org
町奉行所が非人組織を活用する次の画期は天明7年である。
この年は町奉行所は吟味役・目付役を新設し、盗賊吟味役を独立させ、警察機能を充実させた。
目付役は「内密風聞等聞合」という情報収集の仕事を長吏・小頭に命じるのが役目の一つであった。
『長吏文書』には四ヶ所がおこなった風聞探索の報告書が数多く掲載されている。
これを一覧すると、吟味筋にとどまらず、支配国での稲綿の作柄や買米・囲米等に関する情報収集もおこなっている。
町奉行所の情報収集は惣代が町方・在方に人足を派遣して行うものであった。
乍恐口上(御影村珍宝丸紀州新宮浦ニ異国船相見候風聞)
外部リンク[html]:www.city.kobe.lg.jp
この文書群は二度にわたって大坂町奉行を勤めたほか、新潟奉行や堺奉行、
長崎奉行など江戸幕府の要職を歴任した川村就修が役目を通じて収集したもの。
川村家は8代将軍徳川吉宗が創設した将軍直属の隠密・御庭番の家筋で、幕末には海防政策にも深く関与している。
最初の大坂町奉行在任時の嘉永7年(1854)には、ロシア艦船による大阪湾侵入事件が起こっており、その関連資料も少なくない。
なかでも奉行所の下で治安維持や諜報活動に従事した大坂の非人組織のトップである長吏善次郎が作成した、
この事件に関する風聞書が含まれている点は、大坂町奉行の政治的機能を考える上で興味深い。
これは天王寺長吏善次郎が、摂津国御影村の客船珍宝丸が紀州新宮浦沖において、
大坂湾を出て江戸に向かうと思われる異国船に遭遇した情報を得て、奉行所に届け出たもの。
開国への潮流(神戸市立博物館)
外部リンク:blog.goo.ne.jp
嘉永6年(1853)ペリー来航、相前後して、ロシアのプチャーチンも大阪湾に来航する。
関西人にとっては、ペリー船団の浦賀来航より、ずっと切実だったのではないか。
中でも感銘を受けたのは、非人たちを束ねていた天王寺長吏善次郎が、
外国船に関する情報を大坂町奉行所に届けたことを伝える資料『乍恐口上』(墨書、冊子本)。
奉行所が長吏を通じて非人たちを情報収集に使っていたことが分かる。
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