[過去ログ] 有名人の性格を霊視する◆3 (1002レス)
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788(1): 03/25(月)12:38 ID:H5oIAdST0(2/2) AAS
>>762
くちびるに関しては過去タラコとイジメられたことがあり、カッターで切ろうとしたそうです。あとやたらにじ◯未遂のことを話します。最近でもあったとのこと。
789: 03/25(月)15:25 ID:Hr7dwc0v0(16/40) AAS
桐谷広人七段は棋士としては升田幸三門下であったが、プライベートでは米長邦雄に傾倒し、米長の著作の代筆を行うなど20年以上仕えた。しかし、米長のために婚約者と破局を迎えたことが一度ならずあったといい、後に米長の裏面をマスコミに告白した。
1975年に桐谷のライバルとされた沼春雄と共に四段昇段を果たしプロ棋士となった。当時まだ珍しかった、研究派の棋士で「コンピューター桐谷」の異名をとった。
1996年度の第9期竜王戦で5組に昇級した。2000年には現役勤続25年表彰を受けた[1]。第55期順位戦でフリークラスに陥落、復帰できないまま10年が経過したため、2007年3月末に引退した。通算成績は327勝483敗。
米長の弟子の先崎学はC級2組時代、9勝1敗の好成績を上げながら頭ハネで昇級を逃した際に「何でおれがこんなクラスで指さなきゃいけないんだ。順位戦の制度はどうなってんだ?」と口を滑らせたために、C級2組の棋士全員を敵に回した。第51期順位戦(1992年度)9回戦の桐谷-先崎戦では、闘志を剥き出しにして挑んだ桐谷が快勝し、先崎の昇級を阻んだ。直後、自戦記において「こんな男に負けて悔しかったら、新宿で安酒飲んで道路に寝るがよかろう、それが似合いだ」と罵って反省を促した。
1984年、東京証券協和会に設置された将棋部の師範をしていたことをきっかけに、独学で株式投資を学び始めた[12]。失恋をきっかけに株式投資を始めたとも言われる。その後「財テク棋士」として著名になった。
790: 03/25(月)15:26 ID:Hr7dwc0v0(17/40) AAS
田中寅彦九段は、羽生善治が若手だった1990年代中期に、彼に勝ち越していた数少ない棋士でもあり、“羽生キラー”と呼ばれていた。まだ当時は若手棋士であった羽生をいじって注目を集める序盤戦術で、1996年には「羽生必敗の法則 あなたにも天才が倒せます」を「九段・対羽生勝率8割 田中寅彦著」名義で出すほどだった。
田中寅4〇〇〇〇●●●●●5羽生 生涯対戦成績では田中寅は羽生に負け越し
791: 03/25(月)15:26 ID:Hr7dwc0v0(18/40) AAS
田中寅彦はA級棋士だった昭和59年の12月頃に将棋世界誌上の座談会で放言。
「谷川とか米長とか、あんな弱い将棋」「中原さんは普通の男の子になってしまった」
世間から袋叩きにされた。
しかし、私が気になったのは、次の発言だった。
「僕は調子が悪い時は精神は石田(和雄)、将棋は桐谷(広人)になってますよ」
私には、そちらの発言のほうがよっぽど失礼ではないかと思うのだが、そのことについてツッコミを入れた人は皆無だったようである。
792: 03/25(月)15:27 ID:Hr7dwc0v0(19/40) AAS
将棋世界で連載をしていた田中寅彦八段(当時)の連載コーナーから。
「(駒音コンサートというイベントがあった時の話)気に食わないのは、『昴』という
高尚な曲を歌った私の歌が「四段」と判定されたのに対して、哀愁のかさがどうしたか
こうしたか、というお経みたいな歌を歌った神戸の谷なんとかいう男が、なんと「五段」
と判定されたことである。
これには温厚な性格で知られる二上先生も激怒されたと聞く。ちなみに『マイク二上』
と異名をとる先生は「三段」と判定されていた。
どうも将棋界には昭和58年の6月15日以来、「正義」というものがなくなって
しまったようである。私が一刻も早く世直しに立ち上がらないといけないと
思っている。
省2
793: 03/25(月)15:28 ID:Hr7dwc0v0(20/40) AAS
次の号で芹沢博文九段が大激怒。「斬り捨て御免」というコーナーで田中寅彦八段を
大非難。
大人になった今だから分かるが、芹沢九段は
「マズイ! このままではトラが世間から袋叩きにされてしまう!」
と機転を利かせたのに違いない。自らが大激怒することで、世間の怒りを鎮めて、
同門の21歳下の弟弟子を救済しようと考えたのに違いない。
田中八段の講座は終わり、ほどなくA級から陥落して、数年間B1に燻っていた。
「強くなりたい。誰にも有無を言わさないほど強くなりたい」
講座の最終回での田中寅彦の決意表明のセリフである。
プロレスでの「てめえこの野郎」調の挑発に慣れていた私には田中寅彦の失言は
省5
794(3): ◆tn/bxC5pOJF. 03/25(月)16:16 ID:roNg8jcH0(4/6) AAS
皆さまたくさんの温かいお言葉ありがとうございます
全部読んでます、嬉しくて何度も読み返してしまう
一つ一つにすべてにこちらこそ!!って返していきたいんですがそれも
無粋というかしつこい感じがするので控えますね笑
オカルト板にはやっぱり感性や見ているものが独特で面白い人がいる、
そういう面を期待した部分もあったし予想以上に人に恵まれたおかげもあって
完走できたんだなと感じています
雑談とかで継続してみようか、というのはよぎったんですが
スレッド主である以上は何か継続して提供できるものが欲しいし、
来られる時だけふらっと来るのは自分のスタンスとしては好まないなという感じですかね
省1
795(1): ◆tn/bxC5pOJF. 03/25(月)16:27 ID:roNg8jcH0(5/6) AAS
>>786
彩さんの方は今が思春期のような状態かもしれませんね
>>787
こちらこそリクエストありがとうございました
やはり違和感はありますよね
自身の障害に対して向き合ったり寄り添ってくれる人がいたりはしないのかなぁ
言葉や言い回しについては悩むところも多く、力を尽くした部分でもあるので
とても嬉しいです!
796: ◆tn/bxC5pOJF. 03/25(月)16:37 ID:roNg8jcH0(6/6) AAS
>>788
自分で傷つけちゃった跡なのか〜今もいじっちゃってるかもですね
もうチャンネルとか仕事とかいいから療養してほしい
けどファンも多いし出す動画称賛のコメントばかりだから難しいんだろうな…
最悪の顛末を迎えないよう祈るくらいしか出来ないですね 家族とか近くにいないのかなぁ
797: 03/25(月)17:14 ID:Hr7dwc0v0(21/40) AAS
田中寅彦と言えば、A級に昇級した頃、
「これだけの人がまだ名人になれないでいる!!」
と自戦記に書いていた。
それだけならばよかったのだが、続けて
「逆にあのくらいで名人になれる男もいる」
と書いていた。
これを読んだ中原十段(当時)が
「これは私のことじゃないのかね?」
とコメントして、横に居た谷川名人(当時)を爆笑させた。
798: 03/25(月)17:14 ID:Hr7dwc0v0(22/40) AAS
記者:
前に中原(誠)名人が森内(俊之)さんにこういうことを言っておられたのを知っているんですが、
「羽生さんはどうしてやらないんだろうね」とおっしゃってたんですね。
それはなにかというと、名人戦に特化して、
いろんな研究の成果やひらめきやいろんなものを名人戦用にとっておいて、
それを中原さんの場合は名人戦にぶつけて、
それで名人の記録を確保していたという経験がおありなわけなんですね。
そして渡辺(明)さんも竜王についてはそういうような、
経験をそこに集中しているような、そういうふうに見ていたんです。
それに対して羽生さんは各7つのタイトルをどんどん真剣に闘ってお獲りになっていたので、
省5
799: 03/25(月)17:14 ID:Hr7dwc0v0(23/40) AAS
先ちゃんこと先崎学はハタチそこそこで将棋世界の「公式棋戦の動き」のコーナーを担当していた。
ある時、天王戦という、のちに棋王戦に吸収合併された棋戦のコーナーで、「老師」こと河口俊彦を取り上げていた。
34歳年長の老師を「浜っ子・河ピー」などと呼んで、「何を血迷ったのか、森下を破る大金星を挙げてしまった。このまま天王になったらオモロイけど、まあ無理やろな」
と書いていた。
老師は、たぶん「しょうのないワルガキだな」などと言いながら大爆笑していたと思う。
間違いなく怒っていない。
死んだ芹沢博文にそっくりだな、とも感じたことだろう。
老師は、何故かワルガキぽい男と非常にウマが合った。
残念だったのは、藤井聡太のデビューに間に合わず、亡くなってしまったこと。
生きていたら「諸君。脱帽したまえ。真の天才が現れた」などと言って、大喜びした
省5
800: 03/25(月)17:15 ID:Hr7dwc0v0(24/40) AAS
日浦市郎がある時、後輩棋士の対局態度にブチ切れて「ちゃんと座れ!」と
怒鳴りつけたことがあるようだ。「対局は当然のことながら僕が勝った」
みたいに書いてあった。
私は、この「態度が悪い」という後輩棋士が誰なのか、非常に気になって、
将棋世界の「公式棋戦の動き」の欄で調べた。
直近の対局に違いなく、日浦勝利・相手は後輩棋士、と条件に合った棋士を
調べていくうちに
田村康介
という名前が浮かんできた。
これならば矛盾点がない。
801: 03/25(月)17:16 ID:Hr7dwc0v0(25/40) AAS
郷田は第65期順位戦A級8回戦(2007年2月1日)に勝利し初の名人挑戦を決めたが、対局終了後、当日朝に父が死去していたことが知らされる。「大事な一戦の最中に余計な心配をかけたくない」という家族の意向によるものであった。その第65期名人戦第1局1日目(2007年4月10日)の午後、森内俊之の手番で郷田が扇子音を鳴らし、苦情を訴えた森内が鼻血を出すというハプニングがあった(結果は勝利)。同第3局、亡くなった父親が好きだったという升田式石田流を採用したが、敗北を喫する。
802: 03/25(月)17:21 ID:TAsX9qO80(2/2) AAS
>>780
ありがとう♡ありがとう♡ありがとう♡
チャチャ入れ要員の自分にまであたたかいお言葉をいただいて恐縮至極!
うれしくて本当に目から汗が大量に溢れた…
またどこかのスレで交差することもありましょう
優しくて素敵なあなた様もどうかお元気で♡
1氏もスレ民の皆さんもいつかまたね♡
楽しかったー本当にどうもありがとう!
803(1): 03/25(月)18:01 ID:c0wFF6Z/0(1) AAS
>>795
今が思春期?どゆこと?🤔
804: 03/25(月)18:30 ID:Hr7dwc0v0(26/40) AAS
森内は18歳当時で既にA級の技量があると感じたが、まさか永世名人まで昇りつめるとまでは読めなかった。羽生がいるので、名人になれないままで終わるのでは、とさえ思っていた。
不明を恥じる。
佐藤天彦もA級までは行くが、名人になれるとは予想もしていなかった。
これまた不明を恥じる。
丸山忠久もしかり。ただ、名人挑戦を決めた時は、「もしかしたら名人になるのでは」の予感もあったが。
これまた不明を恥じる。
渡辺明は名人になるのが予想よりも10年遅かった。竜王戦の実績は文句なしだが。
次の永世名人になれない可能性が非常に高い。
805: 03/25(月)18:30 ID:Hr7dwc0v0(27/40) AAS
「えっ、食事ですか? 先に風呂に入りましょうよ」と中原名人。
周りの人がみんな若き名人に従い風呂へ。
ひとり取り残されたのが大山15世名人。
それまで、場の空気を支配し「ワシに逆らうか?」という無言の威圧で周囲を従わせていた15世名人が、意のままに従わせることが出来なかった。
言いたいことをハッキリ言った中原名人が、見えない大山15世名人との争いに勝った勝負。
場所は神奈川県の鶴巻温泉・陣屋。今でもタイトル戦などで、たびたび登場する宿で知られる。
806: 03/25(月)18:30 ID:Hr7dwc0v0(28/40) AAS
外部リンク:allabout.co.jp
将棋界のステルス戦闘機と呼ぶべき挙動不審者~森内俊之~
「Q&A」におけるステルス
前掲のムックに「Q&A」が掲載されている。ファンの質問に森内が答える形式だ。ここでもステルスが味わえるので、少し紹介しよう。
Q1. 得意な家事は何ですか
A1. 水やり
私はひっくり返った。水やりとは家事なのか。たとえそうだとしても、得意か不得意かに分けられるようなものなのか。森内は家事をどうとらえているのだろう。まさしく家事においてもステルスだ。さらに続けてお読みいただきたい。
Q2. 好きな花は何ですか
A2. 白い花 ww
省6
807: 03/25(月)18:31 ID:Hr7dwc0v0(29/40) AAS
田丸昇の著書「将棋界の事件簿」によれば、
「14歳で奨励会六級を受験したが、アマチュア二段程度の実力だったので二連敗した。当日の夕方、師匠の佐瀬勇次七段に誘われて新宿の釜飯屋に行った。奨励会幹事の芹沢(博文八段)も連れ立った。(中略)やがて芹沢は少しばかり威儀を正すと「よろしい。君は学生服を着てきちんと正座して対局していたので、試験は合格にしよう」と言ってくれた。
これは後で知ったことだが、師匠と芹沢の間には「芹沢くん、うちの弟子を何とか頼むよ」「わかりました。佐瀬さんには麻雀でいつも稼がせてもらっていますからね」というような話の密約があり、最初から合格が決まっていたのだ。昔の将棋界は、幹事の独断や有力棋士の働きかけで奨励会入会を認めることは珍しくなかったという。」とのこと。
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