[過去ログ] 【LA SALLE】ラ・サール中学校・高等学校【Part8】 (1001レス)
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515: 2008/08/29(金)18:01 ID:/YIs6eyL0(1/3) AAS
ラ・サール高校2期生、マルセル・プティ初代校長とカナダで再会
モントリオールの邦字新聞モントリオール・ブレテン紙から
(2006年1月21日発行61巻1号)。鶴 丸 泰 久 (ラ・サール高校2期生)
鹿児島市のラ・サール高校2期生13名と家族など19名、それに現地参加1名、計20名は、
2005年9月27日から10月5日、カナダのモントリオール市郊外在住の初代校長、マルセル・プティ師を訪ねるツアーを実施した。
当初の計画では2003年に卒業50周年記念プレイベントとするはずであったが、
旅行ルートのトロントで SARSによる死者が出る騒ぎが起こったため止む無く延期せざるを得なくなった。
それに、昨年(2004年)は古稀を記念する全体大会を東京で開催したので、カナダ旅行は見送られた。
しかしながら、旅行再開を望む声が多く、2年遅れの今年遂に実現に至ったのだった。
現地モントリオールでは、第二次世界大戦での敗戦間もない昭和25年にカソリック系の
省13
516: 2008/08/29(金)18:02 ID:/YIs6eyL0(2/3) AAS
プティ先生の謝恩会は大いに盛り上がった。席上、「学校創設に当たり一番心がけられたことは何でしたか」
という平石圭太君の質問にプティ先生は「良い先生を集めることだった」と答えた。
それは 井畔、山口、猶野、芳、大塚、岩井、野田など当時大学教授クラスの
専門性の高い知識と識見を兼ね備えた素晴らしい先生方を集めたことからも納得できる。
プティ先生は、50数年前の教え子たちと久しぶりに会えた喜びと共に
「政・官・財界はもとより日本、いや世界のあらゆる分野で活躍しているラ・サールボーイは、
大先輩である諸君のよき伝統の成果だ。私の夢は今、実現した。ありがとう! 私は諸君を誇りに思う」
と感激の面持ちで述べた。
委託された、ラ・サール高校OBである中山成彬 前文部科学大臣、伊藤祐一郎 鹿児島県知事、
森博幸 鹿児島市長の三人が寄せたプティ先生への仏語、英語での感謝のメッセージも読み上げられた。
省13
517: 2008/08/29(金)18:03 ID:/YIs6eyL0(3/3) AAS
また、なかでも印象的だったのは、バスでモントリオールへの帰途、Saint-Sauveur-des-Montsという町に寄ったが、
ここはプティ先生が4歳から6歳までの幼年期を過ごされた所で、80年後の今も先生の家はブテイークとして、
先生が通われた学校は不動産屋として、その面影を残していた。
参加した2期生の坂口孝一君は、帰国後
「私にとってはもう一人の親のような存在。いい親孝行ができた」としみじみと話していた。
昨年、2期生が発議して「ラ・サール奨学金制度」を創設、2期生は合わせて100万円の基金を寄付した。
また卒業後20年・30年・40年・50年と区切り年度が来る卒業生たちは記念同窓会の開催に合わせて、
ラ・サール学園、ラ・サール修道会などに対し多額の浄財を寄付している。
これこそ、まさにマルセル・プティ先生がいつも説いておられた
ファミリー・スピリットが花開いたことの証であるといえるのではあるまいか。
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